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コレのアレが始まって・・(日常診療)

 70代半ばを超えたおじいさん。
 夜に何度もトイレに行ってなかなか寝られないと訴える。

 夜間頻尿(夜間に何度も排尿に起きること)は泌尿器科にとって、非常に悩ましい問題なのである。

 前立腺疾患等で夜間頻尿を来すことはあるが、最近は多尿(尿量が多いこと)が原因の夜間頻尿も珍しくない。
 血液をサラサラにするために水分の摂取を勧められ、過度の水分摂取によって尿量が増加し、夜間に排尿のために起きなければならない方が増えている。
 多尿による頻尿は当たり前のことなので、尿量をコントロールせずして治療で改善することはない(内科の先生、ただ何となく水を飲めって言ってません?)

 話をしているうちにその方、やにわに左手の小指を立てて、

「自分のオシッコもさることながら、コレが夜に寝かしてくれないこともあって、私はもうへとへとになってます」
「え?」

 小指を立てることがいかなる意味を指し示すのか、別に法律で定められている訳ではないが、我が国ではそれは女性、しかも自分と関係の深い女性を示す意味に使われることが多い。
 まさかこの方の小指だけが自分の意思で夜中に何らかの大騒ぎをやらかしている訳ではなかろう。

 親しい女性が夜に寝かしてくれない・・ううむ、なんかとんでもない方向に話が行きそうな気がするなあ。
 あなたの後ろにいる看護師がおっかない顔でにらんでるぞ。

 その小指が何を指すのか、まず最初に確認してみたいという衝動を抑えながら、続けてお話をお聞きすることにする。

 すると、またしても小指を立てて・・

「コレは最近、ちょっとアレが始まってるみたいで・・」

 アレ・・これまた意味が規定されている言葉ではなく、単なる代名詞に過ぎないのであるが、実にいろいろなものを表し得る言葉だといえる。

 その指し示す物を正確に理解するためには、状況、前後の文章の繋がり、話し手の醸し出す雰囲気等々、実にさまざまな事柄を読み解かなくてはならない、考えようによっては実にやっかいな言葉なのである。

 繰り返すが、目の前に座っている方は70代半ばを優に超えている。
 その方が小指を立ててコレと表現される方のアレが始まって・・あまり深く考えたくない気もするなあ。

 返答に窮している私にかまうことなく、その方は話し続ける。

「物忘れは激しいし、昼にはうとうと眠って、夜になると起き出していろいろとやらかしてくれるんです」
「は・・?」
「台所では火をつけっ放しにしたままにするので、もう大変なんです」

 私の予想とはいささかかけ離れた方向に話が進んでいくので、これ以上の混乱を避けるため、ここはひとつ勇気を出してはっきりと確認することにしよう。

 私は自分の小指を立てて、
「すみません、あの・・コレっていうのは?」   

「先生、コレって言ったらワイフです。ワイフ、わかりませんか? ワイフがちょっと認知症が始まっておかしくなってるんです」

 ワイフって・・欧米か!

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