「如是我聞」と「我聞如是」:仏教経典の冒頭に込められた意味

仏教のお経が「如是我聞(にょぜがもん)」や「我聞如是(がもんにょぜ)」といった言葉で始まる理由について

「如是我聞」の意味
「如是我聞」はサンスクリット語の「evaṃ mayā śrutaṃ(エヴァン マヤー シュルタム)」を漢訳したもので、「私はこのように聞いた」という意味です。このフレーズは、お経の冒頭に置かれることで、以下のような意味や意図を持っています。

1. **伝承の信頼性**:
  - お経が釈迦(ブッダ)自身の教えであることを示すために使われます。弟子たちが直接聞いた教えを記録したものであることを強調しています。

2. **口伝の形式**:
  - 仏教の教えは、最初は口伝で伝えられていました。このフレーズは、弟子たちが師から直接聞いた内容をそのまま伝えていることを示しています。

3. **教えの正統性**:
  - お経が正統なものであり、改変されていないことを保証するための一種の宣言です。

「我聞如是」との違い
「我聞如是」も同様に「私はこのように聞いた」という意味ですが、語順が異なるだけで基本的な意味や意図は同じです。どちらの表現も、お経の信頼性と正統性を強調するために使われます。

歴史的背景
仏教の教えは、釈迦が亡くなった後、弟子たちによって集められ、口伝で伝えられました。その後、紀元前1世紀頃にスリランカで初めて文字に記録されました。このような背景から、「如是我聞」というフレーズが重要視されるようになりました。

このように、「如是我聞」や「我聞如是」という言葉は、お経の信頼性と正統性を示すための重要なフレーズです。

いいなと思ったら応援しよう!