見出し画像

有吉佐和子の描いた「女」を読み直す:昭和の作家が描いた普遍性と現代への示唆


昭和を代表する作家、有吉佐和子。その作品群は、多彩なテーマと徹底した取材を基に、現代にも通じる普遍的な女性像を描き出しました。「あの、私は女だから女を感じている単純な理由じゃなくて、あまりにも多くの女が存在を前にされてきたではないか」と語る彼女の作品には、時代を越えて問いかけられるテーマが刻まれています。本記事では、有吉佐和子の人生と作品を通して、彼女が描いた「女」を改めて見つめ直します。

有吉佐和子の生涯:和歌山から昭和文学の第一線へ

有吉佐和子は、昭和6年(1931年)に和歌山県和歌山市で生まれました。父親の仕事の都合で幼少期にインドネシアで数年を過ごした経験は、後の彼女の広い視野と国際的な感覚に影響を与えました。昭和31年(1956年)には『地唄』で芥川賞候補となり、作家としての道を歩み始めます。代表作には、和歌山を舞台にした「紀州三部作」や、公害問題に切り込んだ『複合汚染』、女性の葛藤を描いた『悪女について』などがあります。

彼女の執筆スタイルは、念入りな取材と徹底的な事実検証を基にしたもので、一作ごとに全身全霊を注ぐ姿勢が特徴でした。そのため、執筆後に体調を崩すことも多く、まさに身を削るように作品を生み出していました。

代表作『華岡青洲の妻』:普遍的な女性の葛藤と強さ

昭和42年(1967年)に発表された『華岡青洲の妻』は、江戸時代に世界初の麻酔薬を発明した医師・華岡青洲の家庭を描いた作品です。この小説は、青洲の妻・加恵と姑・於継(おつぎ)の間で繰り広げられる家庭内の緊張を軸に、女性同士の葛藤や役割を描き出しています。

加恵と於継:表に現れない対立

作品の冒頭では、加恵が夫の留学先から帰国した際、期待していた夫婦の再会が姑・於継によって遮られる場面が描かれます。この一件から、加恵の心には於継への不信感が芽生え、家庭内の関係は次第に冷戦状態へと変化していきます。

「何1つ目に見える衝突があったわけでもないのに、この2人の女はいつの頃からかめったに口をきかなくなってしまっている」という描写は、現代の家庭や職場でも共感される場面です。明確な対立がない分、積もり積もる不満が女性たちの心に影を落とし、関係を複雑にしていく過程がリアルに描かれています。

妊娠・出産で高まる緊張感

物語の中盤では、加恵が妊娠し、出産に至る過程でさらに緊張が高まります。姑が「お腹の子のため」と称して贅沢な食事を勧める場面や、出産直後に「次は男の子を産んで」と告げられる場面では、女性が家のために役割を期待される社会的プレッシャーが浮き彫りにされます。これらの描写は、時代を越えて共感を呼び、読者自身の経験とも重なる部分が多いでしょう。

現代へのメッセージ:普遍的な女性像の描写

有吉佐和子の作品が今なお読まれ続けている理由は、その普遍性にあります。彼女の描く女性たちは、時代や文化を越えて、現代社会に生きる私たちにも深い示唆を与えてくれます。

例えば、女性同士の微妙な関係や家庭内での役割を巡る葛藤は、どの時代にも存在するテーマです。それを徹底的な取材と鋭い視点で描き出した有吉佐和子の作品には、女性が持つ強さやしなやかさが感じられます。

まとめ:有吉佐和子の描く「女」を読む意義

有吉佐和子の作品は、昭和という時代背景を超えて、現代社会の私たちに「女性とは何か」「家族とは何か」を問いかけ続けています。

特に『花岡青洲の妻』に見られるような、女性同士の対立や家の中での役割の問題は、今日でも多くの人々に共感を与えるテーマです。この機会に、有吉佐和子の描いた「女」の姿を改めて読み直し、自分自身の経験や価値観と照らし合わせてみてはいかがでしょうか。

いいなと思ったら応援しよう!