灯りが消えても、遺された光は続く――岩波書店『文学』休刊に思う
ふとした瞬間に、本棚を整理していたときに目に留まった一冊。それは日に焼けた背表紙が印象的な分厚い雑誌で、その表紙には「文学」の文字が刻まれていました。この雑誌は、岩波書店の学術誌『文学』であり、2016年の秋に85年の歴史に幕を下ろしたことを思い出しました。その瞬間、まるで親しい友人が亡くなったかのような、静かな喪失感が胸をよぎりました。
文学の羅針盤として
『文学』の創刊号が発行されたのは、昭和初期の日本でした。この時代、日本の文学は社会を映し出す鏡として熱く論じられていた時期であり、『文学』は「純正なる文学理論の建設」を掲げ、単なる作品の評論にとどまらず、文学そのものの本質を探求する場として誕生しました。時代の流れと共に、そのページをめくるたびに、時を超えた対話が続いているような感覚に浸ることができました。
戦争の影が色濃くなる中、三木清や小林秀雄らが思想を深め、戦後には大江健三郎や江藤淳といった新たな思想家たちが登場しました。『文学』は、まさに日本文学の精神的な指針となり、知識人たちにとってなくてはならない存在でした。文学の深層に迫るための「知の実験場」として、様々なジャンルの論考や対話が織りなされ、学問的な宝庫として機能していたのです。
研究者たちの「駆け込み寺」
大学院時代、指導教授が古びたバックナンバーを取り出すたび、私たちはその内容に引き込まれていきました。虫食いのページにもしっかりと込められた思索が、今も私の記憶に刻まれています。「この特集号には伝説的な論考が載っている」と、教授が目を輝かせて話す姿が今でも鮮明に浮かびます。『文学』は、単なる学術誌ではなく、若手研究者にとっては大胆な仮説を発表する場であり、文学の未来を切り開くための場でした。そのため、雑誌のページ一つひとつが、知識を深めるための重要な鍵となっていました。
また、ある作家はインタビューの中で、「『文学』に掲載される緊張感が、創作の背骨を作った」と語っていました。論文という形式にとどまらず、その掲載によって、作家や研究者はさらなる高みを目指していたことが伺えます。『文学』は、まさに文学そのものの息吹を記録している生命体のような存在だったのです。
消えゆく灯の理由
近年、古書店の棚で見かける『文学』は、まるで時間が止まったかのように静かに佇んでいます。その休刊に至った背景には、「発行部数の減少」という現実的な理由がありました。しかし、さらにその裏には、現代社会の変化とともに、文学や学術誌の役割がどんどん変わりつつあるという大きな時代のうねりがあると感じます。スマートフォンを使って小説を読む世代が増え、文学研究も多様化する中で、かつてのように分厚い学術誌を維持し続けることは難しくなっていたのでしょう。
それでも、編集部が最終号で述べた「休刊は終わりではなく、新たな形への模様替え」という言葉には、希望が込められていました。確かに、物理的な形が消えても、その精神や影響は新たなメディアを通じて続いていくことでしょう。
受け継がれる灯火
最近、若い詩人と喫茶店で話す機会がありました。彼女は「図書館で『文学』のバックナンバーを読むのが好き」と言っていました。デジタルアーカイブ化が進んでいる現在でも、あの独特の紙質や活字の匂いが、彼女の創作にインスピレーションを与えているのだと言います。休刊から8年が経った今でも、SNSでは「#文学雑誌」のタグを通じて、若者たちが熱い議論を交わしている姿が見受けられます。かつて『文学』に載った言葉たちは、今や新たな形で息吹を吹き返しているのです。
本棚に静かに戻された『文学』を見つめながら、私はふと思いました。本当に大切なものは、形が変わってもその精神は受け継がれるのだと。この雑誌が問い続けた「文学とは何か」というテーマは、今後も多くの形で新たな世代の心を温め続けていくことでしょう。それはまるで冬枯れの大地の下で春の芽吹きが待たれているように、確かな形で次の世代に受け継がれていくに違いありません。