母親との関係〜自分の記憶が全てではない〜
今までは父親とのことはたくさん書いてきたので
今日は母親とのことを書いてみようと思う。
家族なんだけど家族でないような
不思議な集団
私の家族は両親と姉・妹の5人家族。
いくつか前の記事でも書いたように、私が子どもの頃の家庭環境は、表面的に見たら誰もが「経済的・精神的に満たされている家族」と信じて疑わなかったと思う。
でも実際のところは、家族という1つの社会が全く効果的に機能していなかった。
父親は、仕事して稼いでくる。アルペンスキーのこと以外で子どもには興味なし。
母親は、いつも不機嫌そうに、不幸せそうに、毎日家族の世話。
姉は、元々天真爛漫だったらしい。思春期に色々あり、私の記憶上、繊細で、神経質で、脆い、、そんな人。
妹は、小さい時からかなり賢く、昔からよく考え込んでいて、一人別世界にいる感じ。賢すぎて、逆に周りの大人が困るほど。笑
各々行動していて、子供ながらに違和感を常に感じていた。
なんなんだろう、この集団。みたいな笑
各々個人プレーしていたとしても、何か感情の共有や今日あったことなど話せていたら何か違ったのかも知れない。
でも私たちの場合は、そういうことを話すこともなかった。
というか、記憶を遡るとそういう時もあった。
でも、話しても何か馬鹿にされたり、冷たい態度だったり、逆に自分が責められたり。そんな経験があって、いつしか家族間でそういう無駄な話はしなくなった。
あの当時のあの場所は、常に緊張の糸が張り詰めていた。常にお互いの出方を伺っているような、誰かなんかやらかすんじゃないか、そんなピリピリとした空気感だった。
私の中での感覚は、一緒に暮らしている人々って感じで、他の家族はどんな感じなんだろう?という疑問を持ったまま18歳で実家を離れ、一人暮らしを始めた。
妹から見ていた家族と母親
先日妹と話す機会があり、話し込んでいるといつも通り昔の家庭環境の話に。
コーチングを受け出してから、妹とよくその話をするようになった。
父親や姉に対する考え方、当時の家族の違和感などなど、共通認識がとても多く、いつも共感できるのだが
母親についての感情や考え方はまるで違くて、いつも驚かされる。
妹にとっての母親は、もう絶対的な信頼を置ける人。絶対的な味方。
子どもとして完全に、健全に、依存していた。
何から何までやってくれて、末っ子だからやってもらってある意味当たり前だと思っていた部分もあったらしい。笑
私から見た母親と、生まれた自己概念
私も母親のことは優しいとは思っていたけど、どちらかと言うと、可哀想な人だなと言う印象が強い。そして、母親を見るとある種の絶望感を感じる。
『もう私じゃ幸せにしてあげられない、満足させてあげられない、お手上げ状態』
という追い詰められた感じ。
そう思うようになったのは、中学生の頃。
私は勉強嫌いな子どもだったので、宿題もしないでふらふらと山に遊びに行ったり、塾の宿題はやらないことが普通の人間だった。笑 やる意味がわからなかった。笑(お金がもったいない。ごめんなさい。)
昔はしょっちゅう「宿題しなさい」と言われていたけど、それでも全くしなかった。笑 何かを始めても継続することができなかったし、勉強のやる意味がわからなかった。
でもある時から、突然何も言われなくなった。
何も言われなくなったことへの若干の焦りもありつつ、受験もあるし、そろそろしないとだめかなと初めて真面目に勉強を始めた。今までの成績はクラスの中でも真ん中〜少し下くらい。
でも一度ハマるととことんやるタイプなので、半年後には学年1・2位になった。スキー以外の部活にも所属していたけど、そこでもそこそこの成績を出していたし、あの当時の私は人生で一番輝いていたと思う。順位や成績も大切だけど、何かに夢中で、純粋に自分に挑戦することを楽しんでいた、という意味で。
期待する結果が出て、私は「やればできる。意外とやるじゃん。」と少し自信につながっていたし、満足感があった。
正しく頑張ったら何かしらの成果が得られる。その方程式に気づき、自分の行動次第で今までとは違う結果が得られるのだと体感した成功体験だった。これからの人生に希望が見え、楽しみになっていた。
確か2学期の終わりごろ、授業で小論文を書いたところ、学年代表に選ばれた。各学年代表の作品が学校の印刷物に掲載されることになり、私は少し恥ずかしかったけど、なんだか少し誇らしい気持ちだった。あんなに宿題もしなかったのに笑 今まで選ばれることもなかったような分野で認めてもらえたことが純粋に嬉しかった。
そして通知表をもらったあの日。口酸っぱく勉強をしろと言ってくれていた母に、通知表とその小論文の件も報告したら、喜んでもらえるかな〜と少しワクワクしながら母に通知表を手渡し、話しかけた。
でも、そこで言われたのは私が期待していた言葉とは全然違くて。
「はあ・・・。こんな小さな街で1位になったところでね。」
とため息混じりに言われた。
それを言われた時、私は想定していたシナリオと全く異なりすぎて唖然としたし、ショックだった。
その時の母の目を今でも覚えているが、何か敵意のようなものを宿していた気がする。それが本当かはわからないけど、その目からは優しい・ポジティブなイメージは感じられなかった。
何をしても認められない。どうやっても喜ばせることはできない。無力感。
母がいつも口うるさく「勉強しろ」と言っていたこともあったので、単純にいい成績をとったら喜んでもらえると思っていたし、私よりはるかに優秀な人はたくさんいることは十分にわかっていた。そんなことは自分が一番わかっていた。でも私は今までの変わりようや過程を評価してほしかった。
でも実際は、そんなことはなくて。まるで興味がないような態度で、努力も結果も認めてもらえなくて。きっと当時の私が欲しかった「頑張ったね」の一言がもらえなかったことで、その時から私の心は無意識レベルで努力をしても自分を認められない、無力感、無価値観、努力して得られた成果に価値を感じられなくなってしまった。
他にもいくつか同様のストーリーはある。
高校か大学生の時、当時の彼と別れたのをたまたま知った母は、
「〇〇にその程度の価値しかないから、その程度の男が寄ってくるんだよ。」
と言われたのも、別れただけでダメージを負っていた私の心は深く傷ついた。
いつからか、「どうせ、私なんて。私がやっても無駄。私には何もできない」と、何かを諦め、自分を卑下して、自分のやること成すこと全てに意味はないんだと思うようになった。
そんな話を妹にしたら、本当に驚いていた。
母親がそんなことを言うなんて信じられない。。。と。
妹は自分の知っている母親と異なりすぎて、信じられない様子だった。
自分のキャラクター
妹は今振り返ると、両親とも私に求めるレベルが3姉妹の中で一番高かったと思うと言っていた。
妹は割と何やっても褒められるタイプだし、
姉は精神弱めなので、気遣って誰もきついことは言わない。
当時の私は言われやすいキャラクターだったんだと思う。
それはすごく自覚しているし、何より事の始まりは自分だったから。
一番初めでも書いたように、当時の家での空気が悪すぎて、誰も笑う人や冗談を言う人、戯ける人がいなかった。
子どもながらに、「これどうなるんだろう?」「このまま皆バラバラになっちゃう」という危機感が強く、生存本能的になのか、「このままじゃまずい。私が取り持たないと。」と思い、いつからか無理に明るく振る舞うようになった。
大して面白くもないことで大笑いしてみたり、戯けてみたり。気づいたら、家族の中で私はいじっていいポジションの人間になっていった。
初めはちょっと小馬鹿にされたり、冗談言われたりその程度だった。でも気がついたらその延長でばか・デブ・3人の中で一番出来が悪いなど、誰かが(主に両親)私を虐げる発言をすることで、笑いが起きるようになっていった。
当時の私は、この事態を言語化して表現できなかったし、もうなんでそんな風に自分が扱われているのか分からなくなっていたけど、、
それでも、これで家族がなんとなく1つになってる風、バラバラにならずなんとか保てるなら全然いいと思っていた。
今思うこと
文字に起こして書いてみると、あまりいいストーリーではないなとつくづく思う。笑
色々省略して書いてはいるが、これが私がみていた小学生〜中学生の景色だった。
「私はいじっていいポジションの人間」に自分からなっていたなんて、当時は全く気づかず、皆が笑ってくれて「あーまだ大丈夫そうだ」と安心する一方で、
「なんで私だけこんな扱いをされなければいけないんだろう」と思っていた時期は確かにあった。
でも不思議なことに、両親に何回も、繰り返し言われ続けることで「私はそういう価値の人間、そうされるのが当然」なんだと思うようになっていった。時々褒められることはあったけど、その時でさえ、受け取れなくなっていた。
これが私の自己肯定感の低い原因の一つとなっているのに気づいたのは、コーチングを受け始めてから。
思い出したときは「そういえばそんなことあったな。みんな笑ってくれるようになったからよかった。」くらいにしか思っていなかった。でも、よくよく振り返り、当時の自分がどう思っていたのか向き合い続け、ようやくこうやって言葉にできるようになった。
子どもの頃の私は、言語化することが特に苦手だったから人にもうまく伝えられず、消化できないまま18歳で実家を出て、そのまま振り返ることもなくこの歳になった。あの当時の記憶や感情は過去のものなのに、まだ生傷の状態で、ずっと過去から逃れられず付き纏っている感じがしていた。
深く振り返っている途中では、両親、姉、妹に対して怒りの感情があった。
なんで私だけ。
なんで私だけがこんな扱いや思いをしなければならなかったんだ。
なんで私が犠牲にならないといけなかったんだ。
被害者意識が生まれた時もあった。
でも、本当はいつだって、そんなキャラクターでいることをやめることだってできたはずだった。でも私はそれを選ばなかったし、それを受け入れていた。
そこに気づいた時、「家族というものが分からない」と散々書いているけど
結局は、子どもの時に頼れるのはその家族しかいないし、無力で、自分一人の力では何かを解決することなんてできなくて。それでもなんとか関係が良くなって欲しくて、その一心で無意識やっていたことだったんだと気がついた。子どもの自分にはそれくらいしかできなかったし、別に誰かにそうしろと言われたことなんてなかったけど、自分で「そう振る舞うこと」を選んでいたんだなと腑に落ちた。 ようやく子どもの頃の自分の気持ちに気づけた気がしたし、だから私は分離不安が強いんだなとすごく納得した。
色々振り返ってみると別に誰も悪くないなと思った。
大人になってから母に当時のことを聞いたことがある。「あの時こう言われて本当に悲しかった。」と伝えたんだけど・・・父もだけど、母も全く何一つ覚えていないんだよね、そういうやりとりのことなんて。笑
大人にとっては、気にも留めないような、小さな出来事が子どもの心に残り続ける。こんな小さなことで、そう思ってたの!?みたいなことが、振り返っているとよくある。これはいつか、自分が子育てする時が来たらちゃんと教訓として生かしていきたいところ。
あの当時、父も母もみんな傷ついていたし、疲れていた。お互いを思いやる余裕なんてなかった。深く考えず、その場のノリで乗り切るしかなかったんだろうなと、今は出来事と感情を分ける整理がほぼ終わっている。この整理が終わると、過去の傷ついた出来事も、尾を引いて今に続いていることも、完結・終わりにして、次に進むことができるようになると最近思う。
自分の記憶だけが正しいわけではない
私がいくつもの経験を振り返って思うことなんだけど、
当時の記憶をそのまま忠実に、正確に記憶していることはかなり少ない
ということ。
過去のトラウマ、深く傷ついた出来事は、何回も何回も思い出すことになる。最初は本当に起きた出来事そのものを忠実に記憶しているかもしれない。でも、何回も時間をかけ繰り返し思い出すことで感じた感情や思考が後から付け足される。
その工程が何度も何度も繰り返される。
そして自己概念や価値観が生まれたり、その価値観が全く別の出来事で似たような感情を感じた出来事に紐づいてしまったり・・・。ややこしいことになっていく。
私の中でのイメージは、
最初は一本の糸(トラウマなど)に色々な別の糸(感情や思考)がどんどん継ぎ足されて、絡まった糸くずのような感じ。そして、長い年月をかけて思い出して、感じて、また別の出来事と紐づいて・・・を繰り返すことで、毛糸みたいな大きな糸の塊になっちゃう感じ。
大きな毛糸になってしまったら、もうどこが事の発端なのか、自分でもわからなくなる。
一番初めの糸に辿り着くまで、ゆっくりゆっくり丁寧に記憶の糸をたどり、解いていく必要がある。
そんな地味な作業なんだけど、私にはすごく大切な時間で、すごく合っている方法だと思う。
振り返ったことを実際にその張本人や周りに聞くことで、解消されたこともあった。私は自分の記憶が全て正しいと思っていたけど、そうでなかったり、勘違いしていたり、別の出来事と記憶が混ざってしまっていたこともわかったり。笑 勝手に悲しんでいたなんて出来事もあったり。笑
人間の記憶なんてそんなもんで、時々混乱もする。
勘違いして長年悲しんでいた自分もいたんだよなということも、別に否定する気もないし、なんだか今は笑って話せる。
前半はちょっと重めの話をしたけど、、、。
母とはとことん話して、この件についてはしっかり解消している。
ネガティブに捉えられる場面を先に書いてしまっているけど、母は本当に優しい人だし、自分を犠牲にして私たちを育ててくれたから感謝している。
母も葛藤の中に生きていて、タイミングが悪かったり、機嫌が悪かったり、そんな時もあるよなと思うようになった。
そういう少しのずれで、人は傷つけたり、傷ついたりする。
また、「母親だから、子どもには無条件に優しいはず」というのも神話だと思う。
私が子どもを持っていてもおかしくない年齢になり思うけど、いつまで経っても自分は自分のままで何も変わっていない。この歳だと、もっと立派な?大人になっているんだろうなという気がしていたけど、いい意味でも、悪い意味でもなく、昔と比べ何も変わっちゃいない。
20歳になったから、社会人になったからと言って、真新しい自分にはならなかったのと同じように、母親になってもきっと自分は変わらないんだと思う。
その一個人の人格の上に母親という肩書きが、突然乗っかるだけ。
突然肩書きがついたからといって、100点満点の母親に突然なることは難しいことだと思う。
子どもの頃の私はどこかで期待しすぎていた自分もいるし、欲しかったものがもらえず悲しい思いをしたこともあった。ただそれだけ。
人間には多面性があるということ。最近になってようやく少し理解できたかもしれない。
妹から見えていた母親と私から見えていた母親は、見え方は全く違ったかもしれない。でもそれは紛れもなく私たちの母親で、そういう多面性に母親の為人や、葛藤・悩みなど人間の生々しさみたいなものが現れているのかな〜という気がする。
そういう多面性をニュートラルに見ることができるようになったら、また人の見え方が変わってくるのかな。
おしまい。