CHANGE AGENT ―R.A.メリット先生と愛知聖ルカ教会の「愛餐式」
音声データ
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詩編・聖書日課・特祷
2023年11月19日(日)の詩編・聖書日課
旧 約 ゼファニヤ書1章7節、12〜18節
詩 編 90編
使徒書 テサロニケの信徒への手紙一5章1〜10節
福音書 マタイによる福音書25章14〜15節、19〜29節
特祷(聖霊降臨後第25主日/特定28)
主よ、どうか主の民の心を奮い立たせてください。わたしたちが喜びをもってみ業にあずかり、その深い恵みによって、み助けを受けることができますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン
下記のpdfファイルをダウンロードしていただくと、詩編・特祷・聖書日課の全文をお読みいただけます。なお、このファイルは「日本聖公会京都教区 ほっこり宣教プロジェクト資料編」さんが提供しているものをモデルに自作しています。
はじめに
どうも皆さん「いつくしみ!」
今月は「み言葉の礼拝」ではなく「愛餐式」による礼拝を皆さんと一緒にお捧げできるということで、とてもワクワクしながらやってまいりました。R.A.メリット先生による初めての「愛餐式」が行われたのが、今から33年前、晴丘で伝道活動が開始された1990年でした。それ以来、愛知聖ルカ教会は、この愛餐式による交わりを続けてこられたわけですけれども、この度、その交わりの中に、僕も一人の“ゲスト(神に招かれた者)”として加わらせていただけることを心から感謝しています。この食卓を囲むひと時を、ご一緒に賛美と祈りで満たしつつ、パンとぶどうジュース、そして霊の糧の恵みをじっくりと味わいたいと思います。
アガペー(愛餐)の歴史
さて、そういうわけで、今回はじめて「愛餐式」の司式をさせていただいているのですが、さすがに、何も知らないまま司式をするわけにはいかないと思いましたので、事前に「愛餐式」について色々と調べてまいりました。ですので、今日は最初に(プレゼンテーションのような感じで恐縮ですが)「『愛餐式』とは何か?」ということを、少しお話させていただこうと思います。
まず、先ほど愛餐式の最初にお読みした、式文の序詞(イントロダクション)の部分には、このように書かれていました。
「愛餐式とは、神様の家族である私たちが主の食卓を囲んで行なう交わりの儀式です。共に、主の食卓を囲み、祈り、感謝し、食事を分かち合うことによって、交わりをより豊かなものにし、集っている私たち一人一人が互いに強められて、神と人とに愛される者として生きることができるように、あすの生活の備えをする食事の場であると理解します。」
この中に、ある重要なキーワードが2回出てきています。それは「主の食卓」という言葉ですね。
「主の食卓」と言いますと、教会では、主に「聖餐」のことを指します。聖餐の中では、イエス・キリストの死と復活を記念するための、パンとぶどう酒が分けられるわけですね。
初期のキリスト教徒たちは、早くから、日曜日を「主の日」として定めて、その日の夕方(つまり、ユダヤ教の「安息日」が終わる、その夕方)に集まって食事をするのを習慣にしていたようです。イエスがこの世を去った後も、そうやって一つのところに集まって、慰め合ったり、イエスの教えを語り合ったりしながら食事をしていたんでしょうね。すると、徐々に、彼らの食事には“儀式的な要素”が加わるようになっていきました。つまり、パンとぶどう酒を、イエス・キリストとして分け合うという形式が生まれたわけです。
その行為が、後に「聖餐(εὐχαριστία)」と呼ばれるようになっていくのですが、間違えてはならないのは、主の日の食事がそのまま「聖餐」という形に移行したわけではない、ということです。彼らは、聖餐の儀式とともに、通常の会食も大切にしていました。と言うよりも、普通の食事の一部が「聖餐」に変化していったと考えたほうが良いかもしれません。ですので、安息日後の夕食と「聖餐」とは、本来セットであって、ある程度夕食を食べ終わったところで(おそらくその流れで)、聖餐の儀式としてパンとぶどう酒を分け合っていたのだろうと思われます。
彼ら、古代のキリスト者たちが主の日に行なっていた“食事の時間”には、ある特徴がありました。それは、ただ食事を取るのではなく、生活困窮者、特に夫を亡くした女性たちに開かれた、言わば“生活援助”としての一面も兼ね備えていたということなんですね。主の日の夕食には、みんなで食事を持ち合って、全員が満足できるだけの食べ物や飲み物がその場に集められるようにしたのだろうと考えられています。また、その食事の場では「食事を残すこと」が推奨されて、その日の会食の主催者は、残ったものを、病人や貧しい人など、会食に参加できなかった者たちに届けに行ったとも伝えられているんですね。
彼らのそのような食事はまさに、生前のイエスが、社会の中にあって虐げられ、見捨てられていた人々と食事を楽しんでいた――その記憶を想い起こさせる取り組みであると言えます。そして、その食事はいつしか「ἀγάπη(アガペー)」と呼ばれるようになっていき、一つの礼拝の形をとるようになっていきます。アガペーというのは、ギリシア語で「愛」を意味する言葉ですね。この式文の表紙にも、アガペーと記されていますが、これは「愛餐式」の別の呼び名なんですね。そのようにして、初期のキリスト教会には「聖餐」と「愛餐」、この二つの(食事を伴う)礼拝が併存するようになったわけです。
愛餐の衰退と宗教改革
ところが、「愛餐」の時間は、歴史が進むにつれて少しずつ衰退していくようになります。「聖餐」の儀式が、ますます形式的に洗練されていく一方で、「愛餐」の方は、聖餐ほど厳密なルールが設けられなかったために、聖餐と比べて、あまり発展していかなかったようなんですね。
また、愛餐の時間には、しばしば、大食いの人や泥酔した人たちによって秩序が乱されることが起きていたようです。「愛餐」という行為の中心にある「分かち合い、助け合いの精神」というものが、人々の間で十分に共有されていなかったんでしょうね。
更に、ローマ帝国からの締め付けが強くなってきたせいで、キリスト者たちは自由に集まって食事を分かち合うということが難しくなってしまったという問題もあります。そのような様々な事情が重なった結果、初期のキリスト教会における「愛餐」という習慣は、「聖餐」よりも優先度が低いものとなり、その後、数世紀の間にほぼ消失してしまうことになってしまいました。
一方で、「聖餐」の儀式もまた、キリスト教の発展とともに、異様な形に変貌を遂げていくことになります。本来、共同体全体でパンとぶどう酒を分かち合う儀式だったはずの聖餐は、聖職者のみが聖卓(祭壇)の周りを囲んで礼拝を行い、一般の人たちは、彼ら聖職者たちがパンとぶどう酒を分ける行為を“ただ見るだけ”の傍観者として、食卓から遠くに退けられてしまうことになってしまったわけです。
そのような”礼拝の衰退”とも言える危機的状況に歯止めをかけたのが、16世紀以降の宗教改革者たちでした。彼らは「使徒たちの教会に立ち返ること」を目指していましたので、初期のキリスト教会がそうであったように、聖職者と会衆とを隔てている壁を取り除き、礼拝と聖餐の恵みを、聖職者だけでなく会衆も与れるように改革したんですね。
更に、宗教改革後の教会は、過去に置き去りとなっていた「愛餐」の食事にも目を留めました。そして、その習慣をなんとか復活させようと、様々な形の「愛餐式(愛餐礼拝)」が作り出されるようになったんですね。そのような歴史の延長線上に、このメリット先生が始められた「(愛知聖ルカ教会の)愛餐式」も存在しているわけです。メリット先生が、どういう資料をもとにして、この式文を作成されたのかは分かりませんけれども(ご存知の方がおられたら教えてください)、メリット先生もきっと、初期のキリスト教会が食べ物や飲み物を分かち合っている様子を想像されながら、この愛餐式の式文を作られたのだろうと思います。
R.A.メリット先生の歩み
今回、この「愛餐式」の司式をさせていただくにあたって、愛餐式のことだけでなく、メリット先生のことも(知識として)知っておく必要があると思ったので、なんとか調べられるだけの情報をかき集めて、メリット先生とはどんなお方だったのかを勉強してきました(お配りした資料には、メリット先生の経歴を載せています。欠けている部分が多くあると思うので、ぜひ皆さんには、この資料に書かれていないことを、また後ほど教えていただければと思っています)。
このメリット先生の経歴に関して、詳しいお話はいたしませんけれども、とにかく、今回メリット先生について調べてみて分かったのは、メリット先生は人一倍“人間関係”というものを大切にしておられたのだなということです。
メリット先生は、聖公会の司祭として、またアカデミックな世界においては、当時、アメリカから入ってきたばかりの“人間関係トレーニング”の研究者として、長くこの日本で活躍されてきたわけですけれども、しかし、メリット先生が、そのような聖職者や教師という立場を“越えて”、一人ひとりの「隣人」との出会いを大事にしておられたということは、きっと、生前のメリット先生と親しくされていた方々が良くご存知のことと思います。
今回、メリット先生と関わりを持っておられた様々な人たちの資料を読んでみたんですが、それらの記録の中に残されている、一人ひとりの証言からも読み取れるように、メリット先生というお方は、日常生活における“他者とのコミュニケーション”というものがいかに大切であるかということを、言葉で語るだけでなく、自ら実践することで、相手に伝えていたのだろうと感じました。
それだけでなく、おそらくメリット先生は(これは僕の想像ですが)一人の“人間関係トレーニング”の被験者として、日々の出会いの中から、新しい気づきや学びを得て、自己洞察をし、それをまた、日常生活の中で活かしていく……ということを続けておられたのではないかと思いました。そう考えますと、かつて皆さんが感じておられた、メリット先生のいつも新鮮な“エンタテインメント性”というのは、まさにメリット先生ご自身の、たゆまぬ研究と訓練の賜物だったのだろうと思います。
愛餐式の意義
このようなメリット先生の人間像を振り返ってみることで、どうしてメリット先生がこの教会で「愛餐式」を行おうと思われたのかが、少し理解できた気がします。
メリット先生と一緒に、立教大学のキリスト教教育研究所で長く働いておられた柳原光教授(やなぎはら ひかる/1918〜1994)は、このような言葉を残しています。「原始キリスト教会は愛の共同体であった。Tグループ・トレーニングはそれを現代において実現させる方法である。」
「Tグループ・トレーニング」というのは、先ほどからお話している“人間関係”を学ぶための訓練法の一種ですね。この「愛餐式」自体は、もちろん、「Tグループ・トレーニング」として行われるものではありませんけれども、しかし、「Tグループ」が目指している、少人数の中で、他者と自分との相互関係から様々なものを学んで、そこで得たものを日常生活に還元していくというのは、実は、冒頭でお読みしたこの「愛餐式」の序詞の内容にも通じるものがあるんですね。「[……]集っている私たち一人一人が互いに強められて、神と人とに愛される者として生きることができるように、あすの生活の備えをする食事の場であると理解します。」
愛餐式だけでなく、本当は、キリスト教の礼拝すべてが、このような目的を共有していると言えるわけなんですが、ただどうしても、我々が普段行なっているような、形式的で、つい“受け身”になってしまいがちな礼拝の在り方では、なかなか“新しい何か”を得ることが難しい。メリット先生も、おそらくそのことに気付いておられた。だからメリット先生は、このように「愛餐式」という特別な礼拝を行うことで、そもそも教会とはどういう集まりなのか……、また我々はどうして教会に集うのか……、そして毎週定期的に集まる意味は何なのか……というような“キリスト教における基本的なこと”を、時々みんなで思い出そうとされたのではないかと僕は想像しています。
おわりに
「愛餐」「聖餐」という、キリスト教会において非常に大事な二つの(食事を伴う)儀式。これらは、来たるべき未来における「神の国の祝宴」の先取りであると、皆さんも聞かれたことがあると思います。
キリスト教会は、その歴史のはじめから「『主の日』の訪れ」というものを待ち望んできました。「主の日」というのは、今日の聖書日課の中にも様々な形で描かれていたように、突然訪れる“神の裁きの日”を意味しているわけですけれども、どうして“神の裁きの日”などという(恐ろしい)未来をキリスト教会は待望しているのか。それは決して、キリスト教会以外の“救われない者たち”が滅ぼされるのを願っているから、などという傲岸不遜極まりない理由からではありません。そうではなく、むしろ、神がこの不完全な世界に真の平和をもたらしてくださり、すべての生きとし生けるものが神の豊かな恵みに与れるようになることを切望しているからなんですね。教会は、そのような未来を「神の国の祝宴(大宴会)」という壮大なイメージをもって思い描き、その時が訪れることをいつも期待し続けているわけです。
キリスト教会で行われる「聖餐式」、そしてこの「愛餐式」もまた、そのような「神が催される祝宴」を象徴する行為です。いつか必ず、神はこの世界に完全な愛と平和をもたらしてくださり、すべての命を祝宴に招いてくださる――。そのことを信じつつ、我々教会は、その未来の言わば“予行演習”として「主の食卓」をともに囲み、恵みをいただくわけなんですね。
愛知聖ルカ教会が、これまで33年間にわたって大切にしてきたこの「愛餐」の時が、これからもなお一層、豊かな交わりとして続けられていくのを心から願っています。そして、メリット先生と皆さんが一緒になって築いてきた愛の働きとその精神が、教会の外へと広がり、それぞれの場所で実を結んでいくことを祈りつつ、この後の食事の分かち合いを皆さんとご一緒に楽しみたいと思います。
……それでは、愛餐式を続けてまいりましょう。