人間の長所は欠点があるということである
「人間の長所は欠点があるということである。」
ユダヤの格言です。
良し悪しは別として、「完璧主義」である自分自身を認識しております。
当然、完璧などはあり得ませんので、「完璧はあり得ないという前提で完璧を目指す」ことにしております。
お陰様で、「完璧ではない自分」を憂いたりすることもなく、心が折れることもなくなりました。
それでも、「完璧」をイメージしてしまいますので、「より良く」を積み重ねることに集中し、その先にあるであろう「完璧」を目指すことにしております。
何かで躓いたり、失敗したりしても、落ち込むことはなくなりました。
躓き、失敗を「より良く」するための機会として捉えております。
そんな感覚で毎日を過ごしていると、小さなことを気にすることがなくなったように感じております。
とても楽な気持ちで、過ごすことができているようです。
間違いなく、沢山の「欠点」が存在している筈なのですが。。。
優劣、上下など違いは、「比較」によるものである。
「比較」さえしなければ、上も下も存在しない。
それでも、人間は、「他人との比較」に振り回されてしまう。
何もかもが違うことを自覚している筈なのに、比べてしまう。
「長所と短所」
「長所」と思えることが、時と場合で、「短所」になり得る。
「短所」と思えることが、時と場合で、「長所」になり得る。
「長所」と「短所」の両方を「キャラクター」として捉えると、楽になる気がする。
何が「長所」で、何が「短所」なのかを定義することができないが故、時と場合に囚われずに、全てを「個性」として、プラスに働かせることができれば良いと思っている。
比較をすると、自分の良い点、悪い点を露呈される気がする。
良い点を拾って、優越感に浸る。
悪い点を拾って、劣等感に悩まされる。
賢い人のやることではないと確信している。
誰かとの比較により、自分の良い点を拾ったのであれば、その良い点をより良くすれば良いだけではないだろうか。
誰かとの比較により、自分の悪い点を拾ったのであれば、その悪い点を改善すれば良いだけではないだろうか。
欠点に気付くたびに、改善を試みる。
その後、また別の欠点に気付き、改善を試みる。
欠点により学べることがあるのであれば、その学びを「長所」として機能させることができるような気もする。
いずれにしても、完璧な人間など存在しないことを自覚しなければいけないと考える。
「長所」にも「短所」にもなり得る色々な要素を「個性」として持っているのが、人間なのではないだろうか。
この名言により、人間は、「良くも悪くも」の要素によって形成されているのではないだろうかと考える機会を得ることができた気がする。
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