DREAM BOYSってタイトルをどうやって受け止めよう
先日、舞台「DREAM BOYS」を観ました。
2021年はチケットが当たらなかったので円盤で見たのが初見。そのとき正直な感想は「フウマ! お前はそれでいいのか!?」でした。だってあまりにも周りに振り回されているんですもの。
■ 「お前はそれでいいのか!?」ポイント
フウマは優し過ぎて「お前はそれでいいのか!?」と肩を揺さぶりたくなります。ドラマ「ファイトソング」の慎吾ちゃんと同じ。
まずこの二人に巻き込まれています。
芸能の世界で夢を追ってフウマを犠牲にした母のエマ
エマの昔の付き人で、彼女の活動の影で犠牲になって復讐にフウマを巻き込むマリア
さらに親友であるチャンプのことを思ってリングを降りているし、弟のようなコウキのことを思ってお金を稼ごうと奮闘します。
チャンプはコウキに「あいつがボクシングやめたのお前のためなんじゃないかな」と言っていましたが、そう、そうなのか……?
ボクシングの世界を去ったのはかなりチャンプを意識してのことで、コウキだけでなくチャンプにも優しかったと思うのだけど、生きている間にチャンプにそのフウマの底抜けの優しさは届かなかったのかな。仮に伝わっていたとしても、チャンプが望んでいたのはその優しさではなく、命を賭けた真っ向勝負だったというのが難しいすれ違いですね。
閑話休題。フウマの過ぎた優しさの話に戻ります。
終盤、フウマは「みんな誰かのために生きている!」というけれど「それはあなただけでは?」と内心つっこんでしまいました。そこまでのストーリーでそう言われても……。
そんなフウマを見ていると「DREAM BOYSっていうけどフウマの夢はなんなんだ?」と思います。
チャンプは立派なボクサーになった。コウキはボクシングの世界に行くか芸能の世界に行くか悩んでいるけれど、いずれにせよ夢は持っている。ではフウマは? ボクシングの世界を去り、役者の仕事もあくまでお金を稼ぐために見える。そんなフウマの夢ってなんなんでしょうか?
フウマの夢が見えてこないこと、周りの人の夢がフウマを犠牲にしているように見えるところを思うと「DREAM BOYSが言いたいことって『夢を追うならその影にいる人が苦しむんだよ!」』なの……??」とオロオロします。たしかに人が夢を追うときにそういう側面はあるだろうけれど(例:Eternal SHOCKのコウイチ)、夢追う人が集まるジャニーズの舞台でそれはさすがにないだろうと。
いっそ弟(コウキ)を主人公に作られているほうが理解しやすかったかもしれません。二つの夢の間で悩む主人公、夢を支えてくれる兄のような存在、自分に夢を託して死んでいく兄の親友。二人の思いを継ぐ自分がDREAM BOY、あるいは二人の思いも背負ってDREAM BOY"S"なんだと。
でも主人公はフウマで、この舞台にはこの舞台だからこそ受け取れるメッセージがあるはず。ということでもう少し考えてみました。先人からは「ジャニーズの舞台はDon't think feelだ」という話も聞きましたがそれはそれとして。
■「フウマ=夢の影」以外の見方
フウマについて夢を追う人を支える人、いわば夢の影以外の見方をするなら、どう見ればいいんでしょうか。
夢を追う人と言われるとSHOCKのコウイチみたいなイメージがあるので「みんなのために生きる」と「夢を追う」が私の中で両立しません。DREAM BOYSのエマさんもマリアさんも、芸能の夢なり、復讐というある種の夢なりを追いかけて周りを犠牲にしました。チャンプがフウマとの過去にこだわって映画の撮影を止めたのも、見方によっては周りよりも我を通したって感じです。
みんなを助けるばかりでは自分のやりたいことがかき消されてしまう。フウマはみんなのために何もかも引き受けて自分の夢を諦めることになったのでは。そう思って見ると、夢を追う人を支える人、夢の影です。
ただ、この二つが両立するケースもあることに気がつきました。みんなのために何もかも引き受けることが真に自分のやりたいことである場合です。
作中、警察に追われるフウマはダークヒーローになるんだ〜なんて言われるシーンがありました。それを反転させて「いやダークヒーローじゃなくてヒーローなんだ」と考えると、フウマの驚くほどの利他精神にも納得がいきます。ヒーローはみんなを助けるのが生き様ですもんね。そういえばビルの間を逃げ回るフウマはアメコミヒーローのようでしたわ。
フウマはみんなの夢の影ではなく、みんなの夢を支えてくれるヒーロー。みんなが幸せでいてくれることがフウマにとって夢のような日々。だとすれば、フウマばかりが損しているように見えたDREAM BOYSという作品の見え方が変わってきます。損得勘定で生きている私が卑しかった。すまん。
フウマが心の底からみんなの幸せな日々を夢見ていたのであれば、フウマもチャンプもコウキも他の子たちも、彼らはみな夢を見る少年=DREAM BOYSです。ここまでぐるぐると考えてきてようやくタイトルを受け入れられました。
■ヒーローとアイドルの共通点
余談ですが、ヒーローとアイドルは通じる部分があるように思います。アイドルもしばしば「ファンのため」という利他主義を持ち合わせているし、アイドルに救われている人は大勢います。まさにヒーローです。
今年のSexy Zoneのツアー「セクシーゾーン ライブツアー2022 ザ・アリーナ」で、アイドルを辞めた人がヒーローのように再びアイドルに変身するというシーンがありました。今回のヒーローという解釈にたどり着いたときに思い出したのがこの変身シーンです。DREAM BOYSで見た「フウマ」とアイドルである「Sexy Zone 菊池風磨」が通じたように感じました。
まあこういうのはだいたい自分がそう解釈したいだけ、自分がそういう存在を見たがっているだけなんですけどね! いずれにせよ自己分析が進んでよかった(?)。
以上がふまじゅり版 DREAM BOYSの個人的な受け止め方です。
■ 役者・菊池風磨のすごいところ
読み返すと、かなりフウマを利他的な人として解釈しています。「こんなに利他的なことってある??」と思わないこともない。
ただ、驚くほどの利他精神に裏を感じさせないところが役者・菊池風磨のすごいところです。前述したファイトソングの慎吾もそう。「本当にいい人」を演じるのが上手い。実際に劇場でお芝居を見たら歌以外の台詞やちょっとした表情がナチュラルで何気なくて、芝居っ気がないからこそ裏を感じさせないのかなあと思いました。
きっと他の人が主人公を演じたバージョンを見たらまた感想が変わるんでしょうね。芝居の上手い下手というよりはご本人への印象や役へのアプローチの違いによって。役者に合わせてキャラクターが変わるのは長く演じられている舞台あるあるですが、ジャニーズの舞台は特にキャラクターが役者ご本人に寄る、のかなあ。SHOCKとドリボしか見ていないので詳しくないのですが、いろんなジャニーズの舞台を長く見ていればそういう面白さも見つけられそうです。
それとも中の人を知らないと気づけないのかな……いや、役から滲み出るのかな……。チケット取りが大変なので軽々しくは行けませんが、いろいろ観てみたいなあと思う今日この頃です。