縛って不安、漂っても不安。
インスタの投稿が100件を突破した。
9月の終わり頃の記事で「もうすぐ100件いくのが楽しみ」って言っていたけど、結局そこから1ヶ月経ってようやく達した…。
実際に達成してみると、ギャラリーを遡ってみても数スクロール分しかなくて、「たかが100件」とも思える。
でも、物事を自主的に継続させるのはあまり得意でないので、小さな嬉しさと誇らしさを確かに感じた。
そんな私のインスタのギャラリーは写真が主だが、たまにイラストとかも投稿している。
あとは最近、ちょっとした作字?タイポグラフィ?のようなものも投稿している。
(作字やタイポグラフィのタグがついた他の投稿を見てみると、「これ私が混ざって良いんかな…」とは思うけど。えいやとタグ付けしている。)
そんなわけで、ちょっとわちゃわちゃしている私のギャラリー。
自分の興味をもったものに勿体ぶらずに手を出すのは、尻込みがちな自分から変われているような感じがして嬉しいし、
色々な表現方法を使ってみると、思わぬ発見などがあって楽しい。
ただ楽しい反面、「1つのことに特化できない自分」に焦る気持ちもある。
前にも書いたように私は「色々な選択肢がある」方が安心するし楽しいと感じるのだが、見方を変えると、
1つのことを突き詰められないのを誤魔化すため、もっと言えば、1つのことを突き詰めようしたものの成果が出せないという可能性に怯えて、色々とつまむように手を出している自分がいるようにも感じられてしまう。
相変わらずネガティブに捉えるのがお得意だな、と我ながら思う。
「いいねもフォロワーもそんなに多いわけじゃない。」
「投稿するものには統一感を出した方が絶対興味を引きやすいのに、あれやこれやと出してる。写真だけでもレタッチの雰囲気バラバラだし。」
「これはインスタに限らずだ。noteも最近雑多になってきて、自分が何を書いている人なのかよくわからなくなってきてる。」
どうやら私は、あれやこれやとした結果、自分の立ち位置が自分でわからないことに不安を覚えているらしい。
…こうやって書くことで俯瞰して見てみると、なんとも生意気な悩みだと思う。
1つのことを突き詰めようとしている人だって、手応えが感じられない不安は十分にあり得る。
だから自分は「あれやこれやと手を出しているから不安になっている」のではなく、単純に「目に見える結果が得られず不安になっている」だけで、その理由を「色々と手を出しているからだ」と自分でこじつけているだけだ。
色々と手を出している”から”と言うのではなく、色々と手を出しているなら”なおさら”、その不安は飼い慣らす心意気でいた方が良い。
それに、わちゃわちゃしてるとは言ったけど自分の投稿が並んだギャラリーのことは割と気に入っている。
振り返って見ていると、ちょっと嬉しい気持ちになれる。
自分の生み出したもので自分をご機嫌にできているとしたら、至上の幸せとも言えるだろう。その幸せは大事にした方が良い。
創作の投稿を定期的にし始めたとき「自分のご機嫌をとるために創作をする」と心の中で決めたはずなのに、
ちょっと気分が落ち込んだ隙に目先の数字に囚われてしまったらしい。
私が今できるのは、特化していない自分に”焦って焦る”ことではなく、
色々と手を出す自分をむしろ積極的に受け入れつつ、
自分の立ち位置を探してちょこちょことでも歩き続けることだと思う。
今回顔を出した不安には、飲み込まれるにはまだ早い。
(なんとも自己完結甚だしい記事になったなぁ……。)
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