悠崎ゆうさ

悠崎ゆうさ

最近の記事

『たのしいライティング〜あなたも書くことが好きになる〜』イベントレポート

自己紹介 イベントレポート SHEのライティング課題提出がズルズルと先延ばしになっており、まさに「書くこと自体にプレッシャーを感じるようになっていた」私の背中を押してくれる内容が盛りだくさんでした。 内容が濃くて良かったのはもちろん、CPノンノさんが好きなことを楽しそうに話してくださる姿が良かったです。 「ナレッジシェア」と言うと「知識」というちょっと固いイメージが自然と浮かぶのですが、「好きなことを嬉しい気持ちでシェアしてなんぼだな!! それでいい、それがいい!うんう

    • 朝の散歩ができなかった。

      習慣にできかけてたのに、今日はできなかった。 着替えて朝ごはんまでは済ませたけど、そこからがっつり二度寝。 あれやらなきゃ。いい加減やばい。頑張らなきゃ。 わかっているのに、またベッドへ。Youtubeへ。 そして数時間後、ハッと目を覚ます。 あぁ、またじゃないか。 数週間前と、数ヶ月前と、数年前と、自分は何も変わっちゃいないのではないか。 やらないといけないってわかった上でやらないなんて、 本当にやる気があるのか?頑張る気があるのか? ちょっと何か変われた気がしてい

      • いいとこ取り、したいなぁ

        …という考えが時々湧いてくる。 この「いいとこ取り」という表現で的確なのかは若干不安だけど。 具体的に説明すると、 物事の悪いところって無数に存在するけど、悪いとこは悪いとことして、 自分の好きなところは好きなところとして都合よく楽しめば良いんじゃないかな、というような考え。 もしかすると人によっては「え?そりゃそうでしょ」と思うかもしれないけど、 個人的には、無意識にとれる姿勢ではない気がしている。 自分は好きだなと思っていたものとか、好きまでいかなくても、ごく普通に

        • ぼやきながら前を向くのもまた一興

          最近また投稿が創作系全般で滞ってきた(一番やるべきことは別にあるのは事実なんですが)。 滞る主な要因は「ある程度しっかりしたものを投稿しなければ」みたいな基準を無意識に設けがちなところにある気がしているので、少カロリーで創作できる自分なりの術を見つけたいなと考えている。 「好きなことなら体が勝手に動く」かと思いきや、個人的にはあまりそうは感じなくて 動線的なものがある程度ないと、好きなことをやるのでさえ億劫に感じてしまうし、うだうだしてる間にそれを好きでやろうとしてたことす

          縛って不安、漂っても不安。

          インスタの投稿が100件を突破した。 9月の終わり頃の記事で「もうすぐ100件いくのが楽しみ」って言っていたけど、結局そこから1ヶ月経ってようやく達した…。 実際に達成してみると、ギャラリーを遡ってみても数スクロール分しかなくて、「たかが100件」とも思える。 でも、物事を自主的に継続させるのはあまり得意でないので、小さな嬉しさと誇らしさを確かに感じた。 そんな私のインスタのギャラリーは写真が主だが、たまにイラストとかも投稿している。 あとは最近、ちょっとした作字?タイ

          縛って不安、漂っても不安。

          毒あっての美しさ、なのだろうか

          「プロフェッショナル」の、田中みな実さんの回を観た。 私は、ファンというほど追っかけているわけではないのだけれど、バラエティやCMに出ていたり女性誌に載っていたりするみな実さんの姿に、何かしら惹かれるものを感じていた。 なので、直感で「観たい」と思った。 詳細な感想を語り出すと長くなるけれど一言で言うと、とても心打たれた。 観終わったとき、「私も頑張ろう。」という気持ちが自然と湧いてきた。 日頃、「頑張るのが絶対的な正義なのか」「頑張るって結局のところ何だ」などと考えを

          毒あっての美しさ、なのだろうか

          昨日上げた記事を書いていて、 「頑張る」ことに好印象をもっている人には、「自分を抑圧せずに頑張るという能力(?)を”偶然”獲得した人」もいるのかもしれないなと思った。 そうでなければあとは、逆に「自分を抑圧してまで頑張ってるから、抑圧していないように見える人が疎ましい人」…かも。

          昨日上げた記事を書いていて、 「頑張る」ことに好印象をもっている人には、「自分を抑圧せずに頑張るという能力(?)を”偶然”獲得した人」もいるのかもしれないなと思った。 そうでなければあとは、逆に「自分を抑圧してまで頑張ってるから、抑圧していないように見える人が疎ましい人」…かも。

          心の中にある、物足りなさと防衛センサー。

          高校のときの、英単語帳や参考書。 もう何度目かの断捨離だけど、今回も全部は捨てられず。 付箋がやたらと貼ってあるのが主に残った。 開いても内容はほとんど覚えていない。 ただ、渡り廊下のすぐ近く、極寒の自習スペースで、毎日一人で始業前に勉強をしていたときの景色は覚えている。 今よりあの頃の方が、先の見えない未来にも冷静に向き合えていたような気がする。 (とは言っても、二次試験直前にはすっかり諦めモードに入ってろくに勉強できなかったんだけど。最後の最後に絶望して半分投げ出

          心の中にある、物足りなさと防衛センサー。

          自分という未知の生物を、調査する

          「わからない」っていうのは、こわい。 計算問題でも記述問題でもそう。 学問でも仕事でもそう。 家族のことでも友達のことでも、見知らぬ人のことでもそう。 でも一番こわいのは、自分のことがわからないとき。 どうして自分はこういう行動をしているのか どうして自分はこういう気持ちになってるのか 自分は本当は何がしたいのか、本当はどう思ってるのか。 自分のことなのに、よっぽど気合を入れないと全然わからないことが往々にしてある。 「自分のことは自分がよくわかってる」という言葉に

          自分という未知の生物を、調査する

          ずっと意味がわからなかった参考書の一文。ふと読み返してみたら急に意味が理解できた。特に何をしたわけでもないのに。 これを「だから人生は面白い」と言うもいれば、「だから人生はよくわからなくて困る」と言う人もいる。 人生は想像以上に、「実体の見えにくい何か」に左右されていると思う。

          ずっと意味がわからなかった参考書の一文。ふと読み返してみたら急に意味が理解できた。特に何をしたわけでもないのに。 これを「だから人生は面白い」と言うもいれば、「だから人生はよくわからなくて困る」と言う人もいる。 人生は想像以上に、「実体の見えにくい何か」に左右されていると思う。

          心が穏やかなときの真夜中が好き

          心が穏やかなときの真夜中が好き

          ダラダラ自戒。

          ダラダラ自戒。

          「なんだこれ」とか「全然好きじゃないわ」とか、 誰か何かに対してそういう否定的な感想が出てくる時 その誰かにとって、”そう思う人はお呼びじゃない”のではないか。 建設的な意見はともかく、独りよがりな感想を言いたくなったら そもそも自分は求められてないと思った方が良い気がする。

          「なんだこれ」とか「全然好きじゃないわ」とか、 誰か何かに対してそういう否定的な感想が出てくる時 その誰かにとって、”そう思う人はお呼びじゃない”のではないか。 建設的な意見はともかく、独りよがりな感想を言いたくなったら そもそも自分は求められてないと思った方が良い気がする。

          もやもやとした。

          もやもやとした。

          1時になったら、今日のことは全部店じまいして「完全寝るモード」になってみよう。 試しに。 今月は「試し月間」ということで。(今決めた)

          1時になったら、今日のことは全部店じまいして「完全寝るモード」になってみよう。 試しに。 今月は「試し月間」ということで。(今決めた)

          後でヒーターを出してきて掃除しようと思う

          後でヒーターを出してきて掃除しようと思う