24/6/25 比べてしまう不思議
最近、人と自分を心の中で比較して、過剰に舞い上がったり、逆に過剰に落ち込んだり、ということが減った気がする。もちろん、今でも日によってはそういうモードになっているが、頻度が格段に減った。
私が人生で一番「他人との比較」をしていた時期は、中高生である。同じ地域、同じクラス、同じ年齢、、、といった沢山の「同じ」条件があることにより、その他の差に敏感になっていた。「幼馴染なのに、なんで私より勉強ができるんだろう」というように。
その傾向が和らいだのが、大学生である。「クラス」というカテゴリーがなくなり、自由になった。高校生の頃に気にしていた「陰キャ/陽キャ」というくくりも、気にならなくなっていた。それでも、比較をしてしまうことは多かった。
そして現在、社会人3カ月。ほとんど他人との比較が気にならない。今一瞬なのかもしれないし、何か根本的に変わったのかもしれない。
要因としてはおそらく、大学時代よりもいっそう「自由」になっていること(会社の人と会うのはほとんど会社にいるときだけ)。また、大学生の頃にやっていたインスタグラムをやめたこと。あとは、大学時代のゼミナールの経験や、恋人がいるという状況、家族と以前よりうまくいっていることなどが、自分に自信をつけさせているのかもしれない。
この感覚は私だけなのか?と思うことがある。自分に自信がついてくると、反対に、自信がなく、他人と比較している人の事のほうが不思議になってくる。自分もそうなるときがあるから、なんで?!ではないけれど、純粋な疑問が湧く。
最近、会社の同期は「私は○〇さんと違って暗いから~」のように言っている。会社のひとつ上の先輩は、「○〇さんが優秀だから、ちょっと腹黒い気持ちになる」と言っているらしい。ゼミ時代の同期には、「ゼミ時代お前がうらやましかったんだよ」と言われた。
自分が人と比較しない、冷静な状態になってみると、「な~に言ってんだ」という感想しかでてこない。こういうことを言っているときは、みんな気分が下がっている。ただそれだけのように感じる。
だって、あの人は私より綺麗だから飲み会で爪痕なんて残さなくても華があるし、あの人は理系で私よりも頭の回転が良く、伝え方がうまいし、あの人は失恋してるものの私よりモテモテだし。
まず、自信ががなくなるような出来事が起きる。例えば、飲み会で人と仲良くなれなかったとか、仕事が上手くいかなかったとか、失恋したとか。
次に、その状態の自分に、うまくいっていそうな、刺激的な人間が映る。それも、自分と「同じ」要素がある人に対して。
すると、自分は上手くいっていないのに、どうして自分と同レベル、もしくは下レベルのやつが上手くいっているんだ、となる。
最近、私のことを口ではほめてくる人の何人かから、奥底に僻み・恨みのような感情を感じるようになった。このタイプの褒めをしてくる人は、気持ちが良くない。
純粋にほめてくれる人は、ほめたうえで、「次も期待しているよ」「もっと成長してね」など、未来がさらにプラスになる言葉を付け加える。
それに対して僻みの感情をもっている人は、口先ではほめつつも、「偉すぎますよ~私なんてこの時期勉強してなかった、しなくていいと思いますよ」「それに比べて私は、、」と未来の私の行動が減速するような言葉をかけてくる。
今までは、自分が僻む側の気持ちばかり感じていたからわからなかった。でもこの社会人生活で、なぜか僻まれることがでてきた。ああ、誉め言葉は一概に嬉しくはないんだな、と学んだ。
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