私は、物事を長続きさせることが苦手である。でもそんな自分が嫌いではない。
前に、こつこつ記事を書いていくと投稿したはいいものの、なんせ私はかなりの飽き性で、noteを開くのも何ヶ月ぶり…。やっと、ああ書きたいなと思えるような気持になったので、久しぶりに投稿画面を開きました。
なんで今回書きたいなと思ったかというと、慌ただしい毎日で感じた気持ちを忘れてしまいたくないから。
たかが夫婦二人の暮らしでも、職場がひどくブラックとかではなくても、プライベートとフルタイムの仕事の両立が結構難しくて、毎日ぐったりしていて、嬉しかった話とか、悲しかった話とか、感動した話とかを忘れていきそうだったから。(まあ、仕事終わるの20時とか、21時とかはざらにある。ご飯作って、家事したらあっという間に寝る時間よ。)
あと、もう一つの理由があって、表現が上手になりたいから。人と話をしていてうまく伝わらないとか、感情の表現がそうまくできないと感じていて、すっごいもやもやしながら、いろんな言葉を探しているから、勉強しつつ、表現に慣れていきたいなと思っている。
X(旧Twitter)とかInstagramでつぶやくことはあるけれど、長い文章を書いたり売ったりすることがめっきりなくなってしまって、集中してなにかに取組むのがあんまり得意じゃなくなってしまった。脳みその溝がどんどん浅くなって、つるつるの脳みそになってしまいそう。何も心に引っかからなくなってしまいそう。たくさん書いて、書くためにインプットしてしっかり溝刻んでいきたいなあ。
まあまあ、そんなこと言ってても、私は物事長続きしないタイプなので、また書かなくなる可能性もめちゃくちゃ高いと思う。そんなものなのよ。仕事もあんまり長続きしないし、趣味もずっと続いているものもないし、辞めた習い事は多数。(子供の頃は親が続けさせてくれていた。)
フラダンス、英会話、スポーツジム、ダンス、英会話、ダイエット、資格系…。大学も中退した。物事を長くコツコツ続けられる人って尊敬する。
けれど、物事を続けられない自分のことは、嫌いじゃなくて、結構好き。(笑)
もちろん続けなくていいゾ!私に続くんだ!!!って言いたいわけではなくて、物事をこつこつ積み上げることで得られる自信っていうのがあるっていうことも知っている。でもできないことに囚われて、自分の価値を下げてしまう必要はない。
たぶん、私がなにか物事を長く続けることは難しいんだと思う。今まで31年生きてきて、長く続いたことってない。絶対に私は気が変わる、飽き性だから。わかってる。そんな自分を認めてしまった。大学に入学したタイミングに戻れるとしても、絶対に辞めてしまう自信がある。だって私だもん。(笑)どういうタイミングであれ、躓いてたと思うし、不登校になっていたと思う。何回やり直しても、回り回って31歳の2024年4月19日にはnoteを書くためにパソコンに向かってると思う。自分の移ろいやすい気持ちも理解しているし、受け止めている。なにか続けないといけないときには、移ろいやすいことを理解して認めたうえで、対策を考えられるようになった。
昔の私は人と比べて、自分ができないことだけに気を取られてしてしまって凹んでいたけれど、あるときに比べることをやめた。昔のことも振り返って思い出していけたらいいな。どうやって比べることをやめられたかどうかも書いていけたらいいなあ。
最近、若い女の子たちから相談を受けることが急に増えて、不安定になってしまっている女の子の話を聞いたりしてると、なにか力になれたらなあと思う。不安定になってしまう気持ちが痛いほどわかる。私もそうだった。20代って楽しいけど、苦しくて、どこか窮屈で、焦りもあって、不安定だった。
今までも、これからも、私のペースで書いていけたらいいな!書かない期間を作りながら、書きたいときに書いて、のんびり続けていきます。