海のはじまり 第11話感想
ハッピーエンド好きの私にとって、「海のはじまり」は視聴していてきつい。「いちばんすきな花」の印象が強かったので、温かく包み込まれるような展開を予想していたのだが、第9話あたりから、どうもハッピーエンドが遠のいてきたような気がして視聴するのがきつくなってきた。それでもどうしてもこのドラマについて語りたくなった。それどころか、感じたことを誰かに聞いてもらいたくなった。だから生まれて初めて投稿してみることにした。自己紹介も何もないまま、いきなり、しかも、第9話の感想からとえらく中途半端なところ投稿が始まっているのは、そういう理由です。
というわけで第11話の感想も語りたいので語ります。でも、さすがに前回までの感想のように、脳天気にハッピーエンド希望、とは言えなくなったというのが正直なところである。あまりにも夏は辛い。第10話の感想でも書いたが、夏はやはり海の気持ちが分かっていない。彼は彼なりの誠実さで海に向き合うが、やはり水季の死に直面した4人には分かって、夏には分からないことが確かにある。南雲夫婦には海の気持ちが分かる。津野にも海の気持ちが分かる。もしかすると弥生にも、自分の子どもを中絶したという経験からなにか感じるところがあるようにも見える。
ちなみに津野と夏の対面シーンは秀逸であった。池松壮亮の繊細な演技がすばらしかった。予告ではただただひどいだけに聞こえたセリフが、その後の津野の表情から、押し殺した思いが伝わってきた。最後にもう一度だけちらりと去って行く夏の方へ視線を送る、その表情がなんとも言えない。複雑な思い(嫉妬にも近いかもしれないが)があっても、決して夏を悪く思いたいわけではないのだろう。海が幸せになるためには夏との間がうまくいった方がいいことくらい津野にだって分かっている。夏が海のことを大切に思っていることだって分かっている。でも、やりきれない思い、水季を失った喪失感は決して夏と共有はできない。水季の死に直面した、しないの違いは際立ってしまう。
海は率直に、そして残酷に尋ねる。「ママがいたのに何で一緒にいてくれなかったの?まだパパじゃなかったから?」と。夏は思い出す。「責任感じないでよ。夏君まだ親じゃないんだから」と水季に言われたことを。さらに海はたたみかける。「何でママいたときパパになってくれなかったの?」「何でママいないって言うの?海、ママとずっと一緒にいたもん。」そして津野が夏に言った言葉をくしくも繰り返すことになる。「いなかったの夏君じゃん。」夏は何も答えられない。答えられるはずがない。本当のことだ。自分だけがいなかった。
ここから夏はどうするのだろうか。海の気持ちを分かろうと、話し合おうとするのだろうか。その気力はあるのだろうか。海の親になることを諦める道も、もちろんある。でも、きっと夏が選ぶのは、親であろうとし続けることだ。ここまで傷つけられても、傷ついても、親であろうとすることだけ、海と「いる」ことを、はじめることだけが、夏のできることなのだと思う。
前回の感想の終わりで、弥生の言葉「ちゃんと大丈夫なとこへ流れ着くよ」の「大丈夫なとこ」=「海のはじまり」だ、と書いたが、これは正直いいことを言ってやろうとして、自分でも意味の分からないことを言ってしまう、典型的なだめなパターンだった。でも、第11話を視聴して改めて思う。このドラマの行き着く先は「はじまり」なのかもしれない、と。ハッピーエンドでもバッドエンドでもない、「はじまり」。
手放しでは喜べないラストなのかもしれない。でも、「いちばんすきな花」の最終回でも、4人のこれからをもっと見てみたいと思ったのと同じように(今田美桜の出演には驚いた!続きが見たいという願いがちょっとだけ叶った)、続きを見続けたい「はじまり」が描かれるのに違いない。ただただ楽しみに待ちたいと思う。
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