『海のはじまり』 「あったかもしれなかったこと」と「あるかもしれないこと」
『海のはじまり』が終了して一週間が経った。いろいろな方の感想やら考察やらを読み、なるほど、とはっとさせられたことは多数、自分の考えの浅さを恥じることもかなりあった。それにしても、これだけ人の心を動かすドラマだったのだなあ、と改めて思わされた一週間だった。
今回はドラマの感想からは離れて、ストーリーでは描かれなかったことを、勝手に想像してみたいと思う。
まずはあったかもしれないこと。
水季は夏が海の父親になると予想していたのだろうか。私の想像では、五分五分と考えていたような気がする。もともと水季は夏に知らせることなく海を生んだわけだが、そのようなケース、つまり最初からシングルマザーを選択するケースというのは決して珍しいケースではないだろう。たとえばネットで調べると令和3年度のデータしかなかったが、母子世帯数の数は約119万5千世帯。そのうち非婚・未婚の母親は10.8%、つまり約12万9千世帯ほどになる。賛否はともかく母と娘だけという家族は珍しくはなかった。(最終回でどういう結末になるか分からないが、『素晴らしき哉、先生』においても主人公が未婚の母になることを選んだ!なんでこう同じクールにいろいろ繋がるんでしょうね。)両親の助けを借りずに生活しようとしていたため、経済的にも楽な生活ではなかったようだが、少なくても自分が健康なうちは海に夏のことを伝えたり、夏に海のことを知らせたりするつもりはなかったように思える。海にはどこかのタイミングで実の父親のことを伝えようとは思っていたかもしれないが、少なくても、本編や特別編を見ても、夏に対して何か働きかけようという気はさらさらなかったのだと思う。
ところが病魔が水季を襲う。自分の命は長くはない。そのとき水季が考えたのは、海の前に選択肢を多く残す、ということだったのだろう。夏のことを海にいろいろ話し、海の夏に対する好感度を上げておく。また、今住んでいるかどうかも分からない夏のアパートに海を連れて行く。あのとき夏が弥生と一緒に出てきたために、会わずに帰ってきてしまったが、一人で出てきたとしたら夏に会わせたのだろうか。会わせたかもしれない。その方が水季らしいのかもしれない。でも、とにかくあの場で会わせることはしなかった。その後は水季は自分で事態をコントロールすることはしなかったように思う。夏が現れるのか。海のことを知ってどうするのか。そこは、もうその時の流れに任せるしかない、と考えていたのだと思う。
そもそも夏が水季の死を知ったのは友達経由だった。ということは、夏は水季の死をすぐには知ることができなかった可能性もあったのだ。もし、葬式には間に合わずにしばらく経ってから知ったときに、夏は行動を起こしただろうか。例えば南雲家がどこにあるかを調べ線香をあげに行っただろうか。夏の性格を考えると、どうもそうはしなかったような気がする。学生時代にあんな別れ方をして、しかも中絶させたという負い目を持っている昔の彼女の実家に、わざわざ訪ねていくとは思えないのだ。つまり、葬式に行かなければ夏と海は出会わなかった。そもそも葬式の場面だって、一人でいる海と出会ったのは偶然もいいところだ。
何を言いたいかというと、夏と海があのタイミングで出会う確率はかなり低かった、ということだ。だから水季の死後、南雲夫妻が養子として引き取る、というのが、あったかもしれないことだ。そして、そのことは当然、水季の生前に話し合われていた可能性が高い。「夏くんへ」と書かれた手紙が読まれる可能性は、限りなく低かったのだ。その場合、南雲夫妻は早いタイミングで夏のことを探そうとしただろうか。海が会いたがったとしても、南雲夫妻はもう少し海が成長するまでは会わせなかった可能性が高いと思う。成長した海と夏が出会っても、そこから親子として一緒に住むことはなかったであろう。
そう考えると、ごく当たり前のように夏と海は出会ったが。それはあくまでもドラマだからで、それでもとても細い糸が繋がって、夏と海は家族になった、というストーリーなのだと思う。だから水季の行動が自分勝手だ、いう感想が結構あったが、私はそのようには思えなかった。子どもを産んだのは確かに勝手な水季の選択だが、それ自体、今の世の中では珍しい選択ではない。病気になってからだって、アパートの前で帰った瞬間からは、夏と海が出会い家族になるかどうかは、水季にとってもまったく確信が持てなかったことだったと思う。もしかすると、最終話で水季が朱音に言った、「(海のパパは)優しい人だよ。あんま意地悪言わないであげてね」というセリフを、「だから、もしその人が現れて海のことを知っても、海の父親になると言っても、あんま意地悪言わないであげてね」とすれば、夏が海の父親になることを水季は前提としていた、という誤解を防げたのではないかと思う。もちろん、そんなことは百も承知で、いろいろと検討した結果、余計なことを省いたセリフになったのだと思うが。
現れる確率がかなり低いと思っていた夏が現れ、海と出会った。しかも、はっきりはしないが、どうも海のことについて悩んでいるみたいだ、となれば、周囲の人々、南雲夫妻や津野のあるいは図書館の人々の夏に対する厳しさも理解できる。水季からは聞いているものの、どんな人物なのか、今どのような生活をしているのかも皆目分からないやつが、いきなり現れて海の父親になろうとしているのだから、厳しい目で見られて当たり前だし、かえって、海の幸せのために夏を受け入れようとする海の周囲の人々の度量の大きさに、心を打たれた。
ここまではあったかもしれなかったことで、ここからはあるかもしれないこと。
夏と弥生は復縁する!まだ懲りずに言ってしまう。最終回の弥生の「まあ、そんなないか、はい、か、いいえ、でね、答えられることなんて」という言葉からもそんな予感がした。別れる、と決めなくても、よかったのではないか、と言っているようにも感じたからだ。二人は復縁する。そして海と三人で幸せな家庭を築く。やがて、夏と弥生の間にも子どもが生まれる。南雲夫妻とも親密な関係は続く。そんな未来があってもよいのではないか。そして、海は成長し、例えば結婚し、その結婚式に南雲夫妻も出席して・・・。そういう特別編を生方さんや村瀬さんは作ってくれないだろうか。号泣しながら見る自信がある。
さて、また長々と書いてしまったが、これを『海のはじまり』についての最後の投稿にする。生方さんの次の作品を楽しみに待ちたいと思う。そして、秋のドラマにも語りたくなるドラマがたくさんありますように。
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