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自惚れ、虚栄、罪。「不適切な欲望」の解放へ歴史の中で咲き続けた花。神話からダリまで。

歴史の中で変わるそのイメージ

人間の魂は映された影に宿る

 水仙。英語で言えばnarcissus(ナルキッソス)。
 春、あちらこちらで黄色いラッパ水仙や白い水仙が目を楽しませてくれます。
 ギリシャ神話でニンフのエコー(こだま)を失恋させ、水に映る自分の姿に恋して死んだ美青年ナルキッソスが化した花と言われています。古代世界では人間の魂は鏡や水面などに映った影の映像の中にあり、その自分に見入ることは死の前兆だと信じられていました。ギリシャ人にとってナルキッソスの運命は明白なことだったのです。この話がもとになってナルシシズムという言葉が生み出されましたが、水仙はVanity、つまり自惚れや虚栄心、そして若年の死の象徴となりました。

Echo and Narcissus 1903 by John Willian Waterhouse
青年の横には水仙、エコーの前にはアイリス。アイリスの花言葉は「メッセージ」
と同時にキリスト教では聖母マリアの悲しみと関連付けられている。

冥界の裂け目に咲く花

 水仙の花に関するギリシャ神話はもう一つあります。
 豊穣の女神デーメテール(ローマ名ケレス)の娘ペルセフォーネ(ローマ名プロセルピナ)は野に咲く美しい水仙を摘もうとした時、地が裂け、冥界の王ハデス(ローマ名プルート)が彼女をさらい無理やり冥界へ連れて行ってしまいました。水仙は冥界への裂け目に咲く花。以来、水仙は死者の花輪に編み込まれ、墓に植えられるようになったそう。ローマ人たちは愛する人や、戦死した仲間の思い出のために水仙を植えていました。こうしたアンダーワールドの花というイメージはイギリスにおいてある混乱を引き起こします。

「あれ、ほら、お墓によく植えてある花、あれ、なんて名前だっけ?」

 narcissusナルキッソスは植物学上の名前で、イギリスでは水仙をdaffodil(ダフォデル)と呼ぶことが多い気がします。
 このダフォデルという名前、ちょっと紛らわしい。なぜなら全く別の植物asphodel(アスフォデル)から名前をもらっているから。
 asphodelを辞書で引くと
1、ユリ科の植物 (ツルボラン)
2、スイセン類
3、(ギリシャ神話)アスポデロス、善良な死者が住むアスポデロスの野に咲く不死の花
 とあります。死後の世界、アンダーワールドの小道に咲く花アスフォデルはこんな花。

この写真を見る限り、蕾や茎の色がちょっと死者感ある?

 元々「死を悼む」ために植えられていた水仙が、死後の世界の花アスフォデルと混合されていつしかダフォデルとも呼ばれるようになったとも言われています。
 このように「死の暗さ」がつきまとう水仙は、イギリスの一部の地方では「不吉な花」とされ、卵が孵化しなくなるから鳥を飼っている家に持って行ってはいけない、などという迷信もありました。
 しかしダフォデル、特に黄色いラッパ水仙の可愛さと明るさはどちらかというと陽キャラそのもの。「バターと卵」(butter and eggs)なんて美味しそうなニックネームがあったり。ダフォデルが死後の世界の花の由来をもつなどということも忘れられるほど明るい黄金色の水仙は、キリストの復活を祝うイースターを盛り上げる重要なメンバーとなります。水仙はキリスト教的には「幸福」なイメージなのです。

キリストの復活を告げるラッパ

 キリスト教の時代には、水仙は全く違うシンボルとなっていきます。花の形がラッパに似ていることから、キリストの到来を告げるラッパに見立てられ復活のシンボルとなるのです。イースターリリーなどの別名からも分かるように、むしろ「命」を喜ぶ花です。

岩窟の聖母 ロンドンナショナルギャラリー
ルーブル美術館蔵の岩窟の聖母ではアヤメ?になっています。

「自分」について考えさせられる花

イメージ合戦に勝ったのは

「神の愛」というポジティブな意味を与えられた水仙ですが、段々とこの象徴は、神話時代からの「罪深き、自分に恋して命落とした美青年」の圧倒的なイメージに負けてしまったようです。

Narcissus
Caravaggio 
1597-1599

  神話のナルキッソス青年は、一般的には自惚れや虚栄心などへの戒めとして語られています。しかしアート作品に登場する彼の姿はそんな戒めのかけらもないようなものが多い。むしろ恍惚状態で自分の姿と見つめあっていたり、美しい男性が悩ましげなポーズで水辺に立っていたり。
 西洋絵画に脈々と受け継がれるナルキッソス像について、面白い解説をしてくれるのがナショナルギャラリーのYou Tube
 「どのようにナルキッソス神話は歴史を通じてクイアたちのインスピレーションとなってきたか」
(How has the Narcissus myth inspired queer artists through history)
 です。
 水仙の花を持った解説者が、クイアたちの秘められた欲望が絵画の中でどのように表現されてきたのか、たくさんの絵画を紹介。神話は時代と共に何度となく違う解釈をされ、それはその社会を反映していることがよく分かります。
 絵画好きな人にはロンドンナショナルギャラリーのYou Tube、おすすめです。英語ですが、日本語字幕にすれば大体理解できます。ヘンテコ翻訳されていたら、英語字幕にして確認すれば大丈夫。
 どれも本格的な興味深いものばかりなのでぜひ!


象徴的な水仙の絵といえば最後はこれ ダリ


Salvador Dali 
Metamorphosis of Narcissus 1937
尊敬するフロイトにあったときこの絵を持って見せたらしい。

 自惚れ、虚栄心、復活への期待、そして抑圧からの解放と、ナルキッソスの生まれ変わりの水仙はたくさんの意味を背負わされてきました。その中で独特な意味をこの花に持たせたのがダリ。
 作品の左側では膝をつく人物、右側は化石化した人物とダブルイメージで書かれており、右側の卵型の頭からは水仙がニュイっと生えてきました。
 この絵はダリ自身の詩も同時に書かれました。
 詩を原文と共に読んでみます。(以下の日本語訳は私の勝手な翻訳です)
 絵の右側部分を解説したであろう、詩の後半部分です。
his head held up by the tips of the water’s fingers,
at the tips of the fingers
of the insensate hand,

(彼の頭は水の指の先端で、無感覚な手の指先で支えられている)
of the terrible hand,
of the excrement-eating hand,
of the mortal hand
of his own reflection.

(恐ろしい手、排泄物を食べる手、自分自身を反映した死すべき手)
 ナルキッソスが変容するその瞬間、その水面に映った己の姿から生まれた恐ろしい手の指。その先には柔らかな卵/種子/球根がしっかりと支えられている。
 ダリはこの卵型の頭を、生命を生み出すものとして捉えているようです。
 そしてそこからは新しい水仙が生まれます。
When that head slits
when that head splits
when that head bursts,
it will be the flower,
the new Narcissus,
Gala –
my narcissus

(頭が裂け、割れ、弾けるとき、花となる。新しい水仙、ガラ、私のナルキッソス)
 ダリにとっては水仙はガラそのもの。
 ダリにとってはガラは、水面に映った自分そのものと一体だったのでしょうか。「自分」というものについて考えさせられる花、それが水仙なのだと思います。

今日もいい花が摘めました。carpe diem.

参考資料
花と果実の美術館 小林頼子
The Language of Flowers   Mandy Kirkby
他海外サイト(tate modern)Wikiなど


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