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「コ」の字も言いたくないけれど

ツイッターなどほかのSNSでは、なるべく社会的な話題や出来事に触れたり、それについての意見を記すことは一切しないようにしている。口先番長みたいにはなりたくないし、SNSが社会性を動員するツールである以上、それに抗いたい気持ちがかなりある。反骨心といえば聞こえがよいが、天邪鬼なだけでもある。それよりなにより、社会的なものについてはほんとうに汚らわしいとおもっているので、それらで汚染されたくないのである。

ということで、今現在の話題をかっさらう社会的イシューである「ア」の字も「コ」の字も言わないようにしている。常日頃「荒しにかまう奴はそいつも荒し」という古き良きインターネットルールを金科玉条にしているので。社会的なものに触れた途端、社会性に侵されるのは耐えがたい。

のではあるが、まあ気になるものは気になる、ということで読んでしまった。

カミュ『ペスト』。一応言い訳しておくと、もういつ頃買ったか思い出せないこの本はずっと積読になっていて、それが本棚の整理のついでにひょっこり出てきたので、なにか運命めいたものを感じ、先見の明があったなあと自分を褒めていた。まあ流行がなくても文学史上の名著であり、そのために教養として買っておいたのだが、それが今役に立ったという格好である。だから、今現在のこの状況には、この本を掘り起こさせてくれたそのことだけは感謝している。

で、『ペスト』なのだが、一読してまあ均整のとれた文章、とでも言えばよいのだろうか、それに感じ入ってしまった。ちょっと長いがたとえばこう。

このようにして、各人はその日暮しに、そしてただ独り天空に対しつつ、生きることをうべなわねばならなかった。一般のこの見捨てられた状態は、長い間には結局人々の性格を鍛えあげるべき性質のものであったが、しかし最初はまず人々をつまらぬことに動かされる浮薄な人間にした。たとえば、市民のなかのある連中の場合など、彼らはそこでまた別の奴隷状態に陥り、太陽と雨によって意のままに支配される人間になってしまった。彼らの様子を見ていると、生れて初めて、それもじかに、その日の天気から受ける感じというものを感じたかのようであった。単に金色の光線が訪れたというだけでいかにもうれしそうな顔つきをしているかと思うと、雨の日にはその顔面にも想念にも厚い帷がおおいかぶさるのであった。彼らも数週間前には、こんな弱点や没理性的な隷属状態に陥らないで済んでいたのであるが、それは彼らが世界に対してただひとりでなく、そして、自分と一緒に暮らしていた人間が、ある意味で自分の住む世界の前面に介在していてくれたためであった。これに反して、もうこの瞬間からは、彼らはむきつけに天の気紛れにゆだねられることとなり、すなわち、理由もなく苦しみまた希望を抱くこととなったのである。

こんな美しい記述がありますか? という感じ。まさに「天気の子」とでも呼べばいいのだろうか、ただ人間の存在や状況(この場合はペスト)とは無関係に太陽が照りつけて雨が降り、それをただ人間が受動的に享受する。いや、天気の奴隷となる。にもかかわらず、天気は美しい。そして人間の孤独もまた美しい。ディストピアとユートピアは紙一重とはいうけれど、まさにそんな感じ。

「ペスト」は天気を美しくしてくれる。今日のお天気のように。そこに過剰に美学思考を持ち込むのもどうかと思うけど、あらゆるイシューが「密です」に回収される状況で、美的判断は見失いたくないなと。それにしても、ただ天気に対してのみ人生を肯うことができるならば、それはなんともよい世界ではないですか?

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