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    たまの日記です。

  • 『クリュセの魚』を読む

    東浩紀『クリュセの魚』を精読する。現在時において小説を読むことを意識しつつ、虚構の表現が私たちの生を取り持つ可能性を示す。

最近の記事

「結婚」の外部(五等分の花嫁」について①)

一 プロットの転換 春場ねぎ「五等分の花嫁」(全14巻、講談社、2017~2020)は、ラブコメディジャンルにあたるストーリーマンガである。 物語の梗概を最初に示しておく。男性主人公の上杉風太郎は、結婚式場で妻と出会った高校二年生のときのことを夢に見る。風太郎は転校生の中野五月と出会うが、口論により彼女と諍いを起こしてしまう。そのとき富裕層の子女の家庭教師をするアルバイトの話が舞い込む。風太郎は背負っていた家族の借金を返済するためにその仕事を引き受けるが、しかし担当生徒は

    • 恋と否認(こじらせについて)②

      承前。長いので分割しました。ここでは恋愛本のことについて書きます。 恋についてそういうわけで、ロマンティックラブ至上主義者であるゆえんは、実はこのような男性の傷の否認=こじらせという関心が裏にあってのことで、それに基づいている。言うまでもないが、それは研究対象からの興味関心というより、実体験よりでもある。もちろんトラウマというわけではまったくないが(否認ではないです)。 で、恋愛(学)の本も多く読む。ここでは最近読んだ雑書について簡単な感想。もちろん、面白いとおもったので

      • 恋と否認(こじらせについて)①

        タイトルについての雑記である。アトランダムに書く(ほんとうに所在なく書き散らします)。とりあえず、①ではユーリと太宰の話をします(節操ない)。 ユーリについてまず、最近「ユーリ!!! on ICE」を見た。2016年の作品。今さら、かもしれないが、ここ数年ニチアサ以外はまともにアニメを見ていなかったので、なんとなくその間の時間を取り戻そうとしている、というのもある。 知らない人はそんなにいないとおもうのだが、ご存じ男子フィギュアスケートを題材にしたアニメである。とりあえず

        • 他人の推しを聴くこと――宇佐見りん「推し、燃ゆ」における傷跡の位置

          2021年3月27日、私的な読書会で宇佐見りん「推し、燃ゆ」の読書会をおこないました。まさに時宜をえた作品であり、また内容が私たちにとって身近なテーマを扱っているために、意見交換が活発におこなわれとても充実した時間だったとおもいます。そういうわけでまさに読書会向きの小説だと感じました。この記事は私の発表資料をもとに、加筆修正を施したものです。「推し」は私たちの生にとって何を示し、何を導くのか、小説を通してそれをどのように考えられるのでしょうか。 0 推しを聴く君の書きしるす

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          ひとのこころにふれること

          12月はいきなり忙しかったのだが、どうにか時間をやりくりして、こちらのイベントを視聴した。 登壇者は、『ダイエット幻想』などの著者の磯野真穂さん、『居るのはつらいよ』などの東畑開人さん、『新復興論』などの小松理虔さん。それぞれ当事者やケア、こころなどについて著作をものしているいま注目の書き手といえる。三人の著作もそれぞれ読んでいて、そういうわけだからこのイベントも楽しみにしていた。 イベントは大学の内/外で知見を発信することの話題から始まり、運動と当事者、こころにふれると

          ひとのこころにふれること

          生きたくないと口にする

          久しぶりに更新する記事タイトルがそれなのか。 丸善ジュンク堂の、杉田俊介・森岡正博トークイベント『生まれてこないほうが良かったのか?』(筑摩書房) 刊行記念生きづらい時代の「反出生主義」、その乗り越えは可能か? を視聴した。この感想を一部だけ。 森岡氏の『生れてこない方が良かったのか?』は面白く読んだ。およそ2500年以上にわたる反出生主義的思想史の検討を通して誕生肯定の哲学を基礎づけるプロジェクトのもと、世界思想やベネターの反出生主義が検討されてゆく。『ファウスト』の誕

          生きたくないと口にする

          『ファイト・クラブ』をほどいてみる

          本稿は、先日(8.22)私的な読書会の場で発表した『ファイト・クラブ』読解の原稿であり、それに当日の議論をもとに加筆修正を施した。発表や議論を促してくれた読書会の仲間たちに謝意を記したい。 1 ファイト・クラブへの入り方気が進まない。たぶん今までで一番そうだ。『ファイト・クラブ』をどう論じればいいのか? その問いの前で詰まってしまう。啓蒙や教養のモードとして、あるいは対象的に見つめる研究のスタンスもいい。でもそれではダメな気がする。『ファイト・クラブ』にふれる上で、それが正

          『ファイト・クラブ』をほどいてみる

          BLの入り口

          †堀あきこ/守如子編『BLの教科書』恋愛小説は好きだけど、普段読んでいるのは異性愛物語のテクストが大半。たまに百合も読むくらい。BLといえば、まったく見たり読まないわけではないけど、どことなくスルーしてきた。でも平凡社ライブラリーの『クィア短編小説集』だとか、今年の初めに刊行された新潮文庫の『特別な友情』というフランス文学のアンソロジーを読んでみたり、そんないわゆる固めの文学な入り口から、入門しつつある。直球の性的描写は少しドキッとしてしまうけど、少しずつ自分の性的感覚を拡張

          BLの入り口

          少女……

          遠いなあと。心の距離? こちらの記事を見て、「マリみて」面白そうだなと感じて先日ジュンク堂で購入してきた。というか長年通ってきて、コバルト文庫がどこの棚にあるのか初めて把握した。BLの棚と近いところにあってへえとおもったのだけど、それはそれ。 「マリみて」は超有名タイトルと認知してたけどスルーしてたもので。きっかけができてお近づきになれてよかったなという感じ。 なんかお耽美な感じかと思っていたらけっこうさくさく読めて、昔青い鳥文庫とか読んでた感じに近くて、ああこういう文

          対話と議論

          セイックラ+アーンキル『開かれた対話と未来』。オープンダイアローグの解説のベスト盤といったところ。 セイックラ+アーンキルは、対話とは技術や方法論でなく、態度だという。他者に向かう態度。他者を尊重することに向けた。相手の話を受け止めることが、他者性の尊重の在りかただと。自分とはどこまで行っても異質な他者を受容すること。 学問の現場では、議論のために反論や説得といった技法やレトリックを使うことが多い。けれどもそれは対話の態度とはまるで正反対のことがらでもある。確かに確実な知

          対話と議論

          死ぬ準備してますか

          してません。たまに歩いてるときとか、ふっと死ぬのが恐くなるときがあって、そうすると死んだらどうなるんだろう、そもそもなんでいま生きてるんだろうと感じてフリーズしてしまうことがある。その場で固まり。ああいうのなぜ起こるのでしょうね。 †キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』鈴木晶訳著者は有名な医師で、この本は死生学や看護学の分野ではビッグタイトルの古典となっている。 著者が唱えた学説のなかでも一番有名なのが「死の五段階説」で、人間は死の自覚から死ぬ間際までに、否認、怒り、取り引き、

          死ぬ準備してますか

          アイマス……何?

          最近身のまわりで目について触れられることが多くなってきたなあ、と思ってたところのシャニマス。Vtuberの配信とか身近なひとのツイートとかで目に入ると、だんだんだんだん気になってくるわけで。ということでシャニマス始めてみた。 もともと自分のなかでアイドルコンテンツに親和性が高かったわけではなかった。三次元のアイドルには興味ないし、二次元でいえばプリチャン、キンプリ、アイカツあたりは好きだけど、もともと摂取するコンテンツの軸足がキッズアニメにあるため、その延長線上で見ていると

          アイマス……何?

          谷崎のキツさ

          必要があって谷崎の『痴人の愛』を読み返していた。 以前読んだときは、もういつ読んだかも思い出せないころなので、感想などはよく覚えていない。ただ、この小説の内容についてはよく入り込めないなあということだけは記憶している。 で、今回読み直してみて、明らかにキツいなと感じた。その内容以前に、語り手のジョージが繰り出すホモソーシャルとミソジニーの発露が、読んでいてはっきり不快だとおもったし、いまの基準からすると相当差別的だとおもう。それがキツさのほぼすべてを構成している。 語り

          谷崎のキツさ

          「コ」の字も言いたくないけれど

          ツイッターなどほかのSNSでは、なるべく社会的な話題や出来事に触れたり、それについての意見を記すことは一切しないようにしている。口先番長みたいにはなりたくないし、SNSが社会性を動員するツールである以上、それに抗いたい気持ちがかなりある。反骨心といえば聞こえがよいが、天邪鬼なだけでもある。それよりなにより、社会的なものについてはほんとうに汚らわしいとおもっているので、それらで汚染されたくないのである。 ということで、今現在の話題をかっさらう社会的イシューである「ア」の字も「

          「コ」の字も言いたくないけれど

          恋のアントニム

          ちょうど一年ぶりの更新になってしまった。怠惰がすぎる……。ある程度長い文章を書くのが怖いせいでもある。無知や思考がばれるから。 今日は特別な日なので、恋愛論や恋愛小説を読んでいた。小説は、少し前に話題になっていた『アステリズムに花束を』。副題は百合アンソロジー。去年の年末から読みさしだったのを、終わりまでやっと。 百合、というとそれほど熱心な読者ではないのだけれども、興味のあるジャンルではあるし、マンガやアニメを含めていろいろと視聴している。ただ、やはりどこかそこで描かれ

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          恋愛学は災厄のあとに

          毎年4月20日は、恋愛論や恋愛小説を読むようにしている。追憶と戒めといったところか。そのプロセスのうちに、この日は恋愛学者になる日というわけだ。 で、今年読んだのは、ずっと数年前に100ページほど読みさして積読だった、いとうせいこう『我々の恋愛』。二人でするはずの恋愛に我々とは! 設定がもう面白い。2001年、「二十世紀の恋愛を振り返る十五ヵ国会議」に出席した恋愛学者が、その場で表彰された二十世紀にふさわしい恋愛エピソードをドキュメント形式にまとめ、それに自身のある女性との

          恋愛学は災厄のあとに