POOLO6期を終える私の変革と自己ビジョン
今回書いた内容は、現在参加している「POOLO」6期の卒業制作。
自分のことを知って、自分も世界も豊かにしていく。そのためには、何が必要か考えて行動までできた8か月間だったと思う。
その間には退職や引っ越しなど、POOLOに入る前から続く、自分の人生の大きな転換期もあって。なかなか活動に参加できないタイミングもあった。それでも、少しずつ自分の中の価値観が変わったり、変わらないところもあったり、いろんな自分が見えた8か月というのは間違っていない表現だと思う。
私がPOOLOをとおして、実感したことはいくつかあるが、今日は2つ。
これからそれぞれ紹介していこう。
他人との付き合い方
これまでの旅のスタイル
POOLOというコミュニティについて話すには、旅の話は欠かせない。私はこれまで、海外は16か国、国内も37都道府県上陸済みの旅好きだ。
学生時代の座右の銘は、「隙あらば海外」。それほどまでに旅が好きな私。高校時代から好きなカフェにひとりで行くことがリフレッシュになっていた私。そんな私がひとりで海外も国内も飛び回るようになるまでに、そう時間はかからなかった。
もともとひとりは好きな質だった。高校のときも部活のことなどでストレスが溜まったときに、月に1回くらいはとカフェに行き始めたのがひとりでどこまでも行くようになったきっかけだと思う。
部活仲間と来ればよかったんじゃない?と思うかもしれない。ただし、当時マネージャーは同期におらず、先輩が引退した後は特に、ひとりで抱えることの多くなったストレスを大好きな空間で発散することが多くなった。
美味しいカフェラテもチョコケーキも。店内を流れるモーツァルトの旋律も。誰かのために体育館を駆け回る私から解放してくれた。
そして、歳を重ねてバイトも始めて、自分の時間やお金を自由に使えるようになった私は、自分のリソースは極力自分のために使うようになった。端的に言えば、他人との旅行で気を遣うのが億劫だったのだ。
大して興味ないものに行きたいと言われても、その時間があるなら私は別の遺跡が見たかったし、ブランドものが並ぶ高級ショッピングモールよりも現地の暮らしが見えるローカルな市場の方が好きだった。
そんなことをぐにゃぐにゃ考えていると、ポケットに入れて絡まってしまったネックレスのチェーンのように諦めたくなってしまって、もうひとりで行っちゃおうとなってしまうのである。
もちろん仲のいい友人もいるし、一緒に旅に出れる友人もいるが、スケジュール調整や予算の感覚。色々な観点のギャップは、普段の生活の荒波に飲まれ、気づかぬ間に攫われてしまうのだ。
ただ、そんな他人と旅に出ることに面倒くささを感じがちの私が、この半年くらいで幾度となく他人と旅に出る経験をした。
そこで昔の自分との変化に気づく。
あれ私、案外誰かと行く旅も素直に楽しんでるじゃん。
複数人の旅恐怖症
2月下旬に、私はPOOLO6期の淡路島旅に参加した。淡路島って車がないと行きづらそうだな……ペーパードライバーだし、この企画に乗らないと次がいつになるか見当もつかない。そう思った私は行きたいと声を上げてみた。
ただ、行きたいと声を上げてからしばらくは、波に揺られるように考えが行ったり来たりした。初めましての人、結構いるなとか。飲み会で話したことはあるけど、深い話したことない人もいるからあまりみんなの価値観わからないな、とか。行ってストレス溜まったら嫌だと行くのを辞めようかとも考えた。
でも、企画してくれたメンバーが送ってくれる旅のしおりや、行きたいところのGoogle Mapのピン留めを見ると、旅好きはどうしてもワクワクしてしまう。ダメだ、腹括って行くしかない!そう思った私は、2月に入ってからようやく航空券をとった。
淡路島旅に参加してみて
実際に行ってみると、深い話もしたし、みんなで鍋を囲むこともしたし、本当にくだらないこともした。結果として、めちゃくちゃ楽しかったのである。不安がっていたあの時間なんだったんだろうと思うくらいの衝撃だった。
これまで10人近い旅行は高校・大学時代の部活の友人としてきた。今回は10人を優に超えていたのに、全然ストレスにならなかった。
むしろ卒業旅行で会えるのが楽しみなくらい。
気づいたら、複数人の旅恐怖症を突破していたのである。
それまでPOOLO JOBのメンバーともたくさん旅をしたけど、POOLO JOBのメンバーはもうオフラインで会ったときには戦友マインドで会えていたから、きっと部活の友達との旅行に近いのだと思う。
ただ、はじめましてもいる中の旅を純粋に楽しめる自分がいたことは、昔の自分との大きな違いだった(もちろん旅を楽しくしてくれた同期のみんなのおかげなのだが)。
淡路島旅の学びを生活に落とし込む
今回は、旅で例えたが普段の人付き合いにも、私には似たような線引きがある。仲のいい人、普通の人、他人。そんな垣根の必要性すらも一気に揺らいだ出来事だった。
これまで大して知らない人と会うことは、自分の何かを消耗するような感覚だった。だから、大して知らない人と会うことに対して、さまざまな装備をした。
でも、もう無駄に重い鎧を装備して他の人と話をする必要がないと思えた。
このご時世、受け手を考えてしまってなかなか伝えたいことを直接伝えられない気持ちもある。
それでも、本当に伝えたいことがある大好きな人たちにはしっかり本音で、これからも向き合いたいし、その線引きは早急にする必要はない。
そう気づけたのは、大きな財産になったような気がしている。
これからの私
最終講義を経て
木本さんの講義を経てから、私が好きで突き抜けられるようなことは一体なんだろう、とずっと考えている。好きなものはたくさんある。だが、私にとって継続が可能で、どこかの誰かがちょっとだけ豊かになれることって何なのだろう。
私がフリーランスになると決意したとき、POOLO JOBのサポーターだったゆりかさんにコーチングをしてもらった。そのときに聞いてもらったことで、印象深く残っている質問がある。
今、お金も時間も何も制限がないとしたら、何がしたい?
今の私がそれを考えたときに浮かんできた言葉は、「表現」だった。
これまでの表現とこれからの表現
昔から文章を書くのが好きだった。今もライターとして活動をしている。インタビューで誰かの想いを聞くことも、まだ続けられている。どれも好きで続けていることなのだが、もうひとつやってみたいなと軽い気持ちで思っていることがある。
それは、自分が好きなものを伝えたり、表現していくことだ。
POOLOの第3タームでインタビューをしに熱海に訪れたとき。インタビューをした市來さんお話があまりにもおもしろくて、全然インタビューを削れなかった。インタビューするにあたって滞在した熱海の宿。まち。人。いろいろな好きがまた増えた。
POOLO生に聞いてほしい市來さんの話や宿泊した宿のことは、noteで記事を公開できた。ただ、今でもインタビューしたいなと思っている人がほかにもいて。どうにか企画したいなと思っている。私が魅力を感じたものや人を紹介するコンテンツを作りたい。
自主企画の楽しさを思い出せたのは、きっと第3タームの活動のおかげだとも思っている。これまでは基本的に企画はひとりでやっていたけど、誰かとつくる自主企画もとても面白いというのも新たな発見だった。
第1タームの自己ビジョンを経て
POOLOの第1タームでは、自己分析を行う。その第1タームで出した自己ビジョンは、自分と悩める誰かを下記のnoteにもある「これからの人生と頑張る自分を偽りなく愛せる」状態にすることだった。
第1タームの発表から約半年が経過した今。私が思うのは、一生懸命な誰かを応援したいだ。この8か月間で、何かに打ち込む人や切実に頑張る人をたくさん見てきた。それは、第3タームの活動でも然りだ。
そんな一生懸命人たちが私は昔から好きだった(これは掘り下げると長くなるので割愛)。何かを頑張りたい誰かのサポートをする。そんなこともやっていきたい。
できることなら、私の書くものや表現で切実に頑張る誰かを応援したい。
そのために必要な手順は何か。どんなことを考える必要があるか。まだまだ壁打ちは必要だが、誰かの手も借りながら考えていこうと思う。
まとめ
長々と自分語りをしてしまったが、8か月を経た今思うことの7割は書けたような気がしている。
私にたくさんの問いと考えるきっかけをくれた6期生、運営のみなさまにはここで改めてお礼を。
どうかこれからも、みんなと心の荷物を下ろして笑い合えますように。