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会社員を辞めたアラサー女、建前と不要な我慢も辞めることにしました


私って、あと何十年もこの会社で働けるのかな。


そんな疑問がよぎったのは、社会人1年目のことだった。コロナ禍入社で、同期とも仲良くなる時間が取れず、自分の所属する場所でも馴染めず、先輩とも相性が悪かった。

この疑問が浮かんだのは、その環境だったからという可能性もある。しかし、会社員時代、環境が少し変わったとしても、この疑問はどうしても拭えなかった。

私が会社を辞めようと思ったきっかけは、私のキャリアプランが自分の会社では実現できないと思ったからだった。

そんなタイミングで出会ったのが、小学生の頃から続けてきた「書く」ことで、お金を稼ぐ仕事。ライターだった。

ライターのスキルを身につけるために、自分の環境を変えてから、私の見ていた世界の狭さを知った。当時の私が知らなかった仕事をしている人たちに、たくさん出会った。

そして、私は2023年の年末に、仕事を辞めた。

この2024年、フリーランスとして独立をしたのだ。


会社員時代の不満からの解放

会社員時代の不満は、たくさんあった。人混みが苦手な私は、学生時代のように平日に美術館に行ったり、映画を見に行ったりしたいと思った。家に帰ってからの洗濯をはじめとした家事が面倒で、リモート勤務ならスイッチを先に押しておくくらいできるのにと思っていた。体調が良くない時には、無理に戦闘服のように着飾らずに、化粧をせずに仕事ができる方が嬉しいと思っていた。

そういう前の働き方に対する小さな不安が、一気に解消された。私は私のやりたいように仕事ができるようになった。収支のバランスが取れてるかなど、最初はガタガタ道を走るような不安定さで、力の限り進めていった。

楽しく一緒に仕事をさせてもらえるクライアントにも恵まれた。

ただ、昨今の情報社会では、こうあるべきだとか、次のステップはこうした方がいいという情報が、たくさん舞い込んでくる。妙なところで完璧主義の私は、今よりもとにかく頑張れば、何でも結果がついてくると思っていた時期があった。

自分よりできる人や成功している人を見て、私も不安のない生活をした方がいいよねと思った。私の幸せのためではないものさしが入ってきたことで、今の私の働き方や収入では、好きなことをしている場合ではないという思い込みに変わっていった。

もっともっとと、頑張っていくうちに私は私に疲れていった。

あれ、何のために私はこの働き方を選んだんだっけ。

これなら、会社員に戻っても全然いいのでは。

そんなことを思って、悩んだ。私は、私を幸せにしてあげたかっただけだったのに。

かつての夢の清算

この頃に、私はどこかでケリをつけなければならない、と思う事柄ができた。それは、私が掲げてきた夢の清算だ。

初めて将来の夢を聞かれた記憶があるのは、幼稚園の時だ。卒業アルバムにみんなの夢を書くからと、ひとりひとり子どもたちに先生が夢を聞いていた。

子供ながらに、私はそんなの分かんないよと思っていた。特にやりたいことがなかった私は、周りに合わせてケーキ屋さんと答えた。

しかし、自分がこれ面白そう!と思える仕事に約2年後に出会う。私は昔から本が好きで、物語というものに対して、今でも一定の執着がある。

小学校低学年の私が初めて出会った、物語を作る仕事は漫画家だった。漫画家になりたいな、と何の気なしに言った私の言葉は、呆気なく母親の言葉で吹き飛ばされる。

「お金にならないから、やめておきなさい」

この後も何度か自分の夢や進学先の話をする時、同じような反応を両親からされてしまった。これも喜んでもらえないならダメだな、と幾度となく夢を捨てた。書くことだけは、趣味として捨てられなかったが。

しかし、その経験から、私の夢は親を喜ばせないものだと思ってしまった。だから私は、自分のことを決める時に相談をしなくなった。

自分の進みたい先へ向けて、まっすぐにペンを走らせたつもりだったのに、親の言葉という障害物で線は曲がってしまった。何度も曲がって、ぐるぐると巡って、白い紙が真っ黒に染まるころ。辿り着いたのが、前の仕事だった。

前の仕事を見つけた時には、もう親に相談することはやめていた。これって決めたから。それだけを伝えた。

しかし、今やっているライターは、どちらかというと最初に抱いた夢、物語を作る人に近い。コミュマネの仕事も、コミュニティを通してメンバーが主人公の物語を時折垣間見ているような感覚があった。

以前の仕事とは異なるものでも、やっていて楽しかった。少なくとも、前の仕事の時に抱いていた、「私って、この仕事を何十年も続けるのかな」という疑問はないのだ。

前の仕事を選択させてくれた夢は、もう今の私の夢じゃないのかもしれない。そう思った私は、自分一人での清算は難しいと考え、コーチングをお願いした。

そこで私は、やっと物語というかつての夢を宝物のように拾い上げることができた。
会社員時代どころか更にずっと前から積み重なった、こうしないとダメだよね、こっちの方が世間的に見て望ましいよねという建前の山から、やっと見つけ出した私の大切にしたかったもの。

コーチング中の約束で、私は自分が拾い上げた夢を、毎晩寝る前に心象風景の中で眺めるようにした。私が今やっている仕事の楽しさや、自分が物語に与えてもらった世界。どれもこれまでの私を私たらしめてきた、お守りのようだった。夢を眺める行為は、窓から差し込む月の光のように、穏やかな気持ちにして、私を眠りの世界へ誘ってくれる。

そしてこのころ、現実の世界の私も何かに吹っ切れたようになったのだった。

私の幸せを紐解いていく

自分の理想と現実のギャップに疲れ切っていた中、私は大事なものをまた見つけられた。それと同時に、もういいや!と変に開き直った。

この1ヶ月は、やりたいことをたくさんやろう。お金になんてならなくてもいい。1ヶ月営業しなかったからって死なないから!

そんな思いで、私は継続のお仕事はしつつも、私のための時間を設けるようにした。旅の時間をたくさんとった。昔からの友人と会う時間を作って、新しい友人と会う時間を作って。宿泊先は、大好きな海の近くにした。

宿泊先の窓から見えた景色

そうやって過ごしてみると、私の幸せに必要なものは指数関数的に伸びていく収入でもなく、SNSに書けるような成功体験でもなかったことが分かっていった。

私は、海を見に行ったら幸せになれちゃうし、好きだなって思う人となんてことない話をしたり、美味しいご飯を食べたりすることでも幸せになれる。

広い空を見上げて、時間の変化に触れて、大きな海や山で人にはどうしようもできないようなエネルギーに圧倒されて。人が紡ぎ出した物語とその物語への祈りが織りなす力にも触れて。なんとも形容し難いこの美しさに触れていると、エネルギーチャージができているのだと改めて私は私を知ったのだ。

私は私を幸せにしたい、という想いの解像度が上がった。その先で、仕事も任せてもらえるものが増えたり、新たな契約先が増えたりと仕事まわりもかつての自分が思い描いていたような世界が広がり始めた。

不思議だよね、と私はこの話を誰かに話すたびに口にするのだが、何も論理的なつながりが分からないから仕方がないとも思う。

私の幸せの解像度が上がったことで、どうしたら私は私を幸せにできるか、具体的な手段を考えた。そして、手段が見えた時、私は私を幸せにできそう!と思えた。

その確信から、私の持っている何かがきらめきに変わってくれたなら、嬉しいなと思う。

この1年を振り返って

この1年を振り返ってみると、間違いなく自分の幸せの解像度が上がったと思う。会社員やめてみてどう?と聞かれることもよくあるが、小さな我慢や建前、常識みたいなものに縛られなくなって、昨年よりも私は私の心に素直になれたような気もしている。

ただ、途中にはもっともっとと自分の価値観ではないものに支配されて、心が不安定な時期もあった。そんなときに、私に前を向かせてくれた人たちみんなに感謝を。

来年も一緒に笑ってお酒を飲んだり、おいしいご飯を食べたり、最近のやりたいことについて話し合える仲であれたら、嬉しい。

2025年の予定

海の近くが大好きな私は、1月から海の近くにお試し移住することにした。これもご縁あってのことで、相手方に頭が上がらないと思いつつ、私を呼んでよかったと思ってもらえるような価値をたくさん提供できたらいいなと思っている。

海の近くに住むという夢を叶えつつ、その場に行くからこそできることもたくさん挑戦してみたい。

下見の時に見た海

私が住んだことのないエリアだからこそ、見えてくるその土地での暮らしや人の温かさのようなものが見える。それをひとつひとつ、また大事に拾ってこんな魅力があるんですよと伝えていきたい。

仕事もたくさんお願いしてもらえている、今のクライアントを大切にしながら、もっともっと誰かがちょっとだけ前向きになれるような物語を伝えていけたらと思うのだ。



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