ビジョンを持つと苦労する
ことサラリーマン組織において、ビジョンを持つと苦労することが多いと感じます。
「ビジョンを持つ」という言葉の定義を明確化しておく必要があるかもしれません。
「ビジョン」とは視覚的なもので、将来の有りたい姿。「ミッション」は任務で、今すべきこと。
将来像を描く。大きな目標を立て、志を持つ。ただ、今回論じたいのはもうちょっと狭義の「ビジョン」です。
「自然とビジョンが見える」タイプの人がいると思います。志を持っているかどうか、というよりは能力・資質の特徴です。将来の長期視野のことが見渡せる。あの人が未来に関して言うことはなぜかその通りになる。
私はこれを、社会的動物として進化した人類の「遺伝的分布」だと考えています。
原始時代にムラを形成して人々が暮らすには様々な資質が必要だったはず。
貝の殻を剥き続ける作業を安定して行う者、狩りに出かける勇猛な者。
同様に、長期視野で先を見渡せる人が組織内には必要だったはずです。
「気候の変化によりこの狩り場はいずれダメになる。そろそろ次の移住先を見つけなければ。」
それを行動に移せる一族が長期的には生き残った。
この仮説に立つと、ナチュラルに未来を見渡せる人が一定割合いるはずです。そういうタイプの人が、サラリーマン組織では苦労することが多い、という話です。
なぜなら、日本のサラリーマン組織には「年長者がビジョンを持っていて、若輩者はそれに付き従う」という前提があります。過去の日本文化の父長制度の傾向を色濃く残しています。ところが、この遺伝分布の仮説に立つと、「ビジョンを持っている人」は、年齢の上下、更にいうと役職の上下に関わらずランダムに分布していることになります。
そこにギャップが生じます。ビジョンを持つ若手は、組織的に「ビジョンのない若手」として扱われます。そしてその上司は多くの場合、その若手よりもビジョンが無いにも関わらず、「ビジョンがある上司がない部下に接する態度」を所与の日常動作として接してきます。
この状態に置かれた若手のストレスはなかなかのものです。この「ナチュラルなビジョン」は主義主張ではなく、能力ですから、視力・聴力と同等のものです。「5年、10年後はこうなりますよ」ということは目の前にいるカラスを「黒い」と言っている感覚と同じなのですが、「君は何も分かっていない」などと、妙に感情的に反論されたり、或いは完全に無視されたりします。
あるいは「周回遅れ現象」が発生します。先回りして考えた結果がループして基本に戻ることがあります。そのことを、3周ほど周回遅れでちょっと前にいる上司に「お前はその程度か」と言われたりします。3周先の世界を上司は知らないので説明しても伝わりません。その結果「ハイ、この程度です」と言わざるを得ない状況が現出します。内心では「3周回ってココ。」と思いますがその声は何処へも届きません。
これらの現象に対する対処方法、うまい付き合い方で経験的に思うものを紹介したいと思います。
1.言い続ける
ビジョンに関して思うことを言い続ける。共感してくれる仲間は必ずいるものです。あるいは社外のネットワークのほうがよりノーリスクで言い合える仲間を見つけられたりします。
その際に、自分のビジョンを表すキャッチーなキーワード、キャッチフレーズを錬成しておく。
私の場合は現場メンバーと組織が一緒に幸せになりながら結果を出す「ハッピーサイクル」をキーワードとして掲げています。今の時代はnote記事など便利なツールが一杯ありますから、そこに考えをまとめて見せられるようにしておくのも効果的です。
2.ビジョンに優劣はない
先が見通せるのに何も出来ない自分に焦燥感を覚えます。自分の能力を知らしめたいと思います。予想された問題が現出した時に「ホラ言った通りだろう」と主張して溜飲を下げたいと思います。
人間ですからここに自尊心と自惚れの感情が絡みます。ですが、そういった感情は何も役に立たないことを肝に銘じて、極力排除するべきです。
2つ理由があって、一つは自分の見ているものが認められない、という救われない感情を増幅するからです。
二つ目は、自惚れが態度に表れることで伝えるチャンスを失ってしまうことです。ビジョンある人に見えるものは、ない人には見えません。すると客観的に見て、自分の姿が相手にはどう映っているか。自分の姿は「意味不明の宇宙語を声高に話す生意気な若者」でしかないことを意識すべきです。
ビジョンが見えるか見えないかは優劣ではありません。ムラ社会で集団が生き残るために一定確率で与えられた機能に過ぎません。
3.野良仕事を持つ
そのビジョンを発揮するお声が掛かるかもしれないし、掛からないかもしれない。それまでに時間を過ごす「野良仕事」を持っておくことが重要です。
「ビジョンの下方硬直性」というべき現象があります。
自分が持つより広いビジョンを想像することは出来ません。
ビジョンを持ったリーダーが、後継者を選びます。そうすると後継者は、「前任者より狭いビジョンの持ち主」が選ばれます。前任者より広いビジョンを持っている他の人は、「見えない」からです。
「彼のビジョンは立派だ」と主観的な太鼓判を押して、器の小さい人物を後継者に指名します。そしてその次の後継者はさらに小さな器が選ばれます。このことが連鎖します。
欧米企業の場合は会社価値を上げないことに対する株主からの圧力があり、この現象にある程度健康な揺り戻しが起こります。日本企業では一般公開企業がオーナー企業のように後継者選定をする傾向があり、この弊害を加速します。
「ビジョンの下方硬直性」は、カタストロフィックな結末を迎えます。いずれ組織は不祥事・破綻といった局面を迎えます。後継者リーダーは謝罪会見を開いて総辞職し、これまでリーダーに取り立てられることのなかった「現場現業メンバー」が経営者として取り立てられます。具体組織名は申しませんが、幾らでも例の挙げられる事象です。実際のビジョン者は現場にいたことを示す証左です。
ビジョンのある現場人物が取り立てられるのは不祥事、大胆な改革が求められるときのみで、「健康な通常の移譲」においてこういった禅譲が行われることは殆どありません。声が掛かるか、掛からないかは一生分からない。その時までコツコツと向き合う「野良仕事」が重要、ということです。実際、現場リーダーに禅譲された不祥事企業のケースでは、「経営陣に指名されるとは生涯思っていなかった」と、自分の現業をただライフワークとして取り組んでいた人が多いです。
明治維新の立役者であった西郷隆盛や吉田松陰も、平時にはずっと野良仕事に精を出していたそうです。おそらく、江戸時代平時の二百数十年の間にも、西郷や松陰のビジョンを持った人が野良仕事をしたまま、人知れず生涯を終えていったのです。西郷や松陰は「時代に呼ばれて世に出た人」と言えるかもしれません。
繰り返すと、ビジョンを持つ能力はムラ社会が生き残るための遺伝子分布に過ぎません。このことに必要以上に心を惑わされないようにし、「自分の人生を豊かにするためにこの才能を使う」心がけが重要、と思います。
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