嫉妬が成長を阻害する日本 人格が成長を阻害する米国
二十数年サラリーマン組織に向き合い、五十路になりました。
日本とアメリカの会社組織で経験を積み、色々見えてきたものがあります。
若い人の参考になれば、と思い記事に記します。同年代から年配の方々にとっては「今更文章にしなくても」という内容かもしれません。
ここに記すことを私が若い頃に知っていたならば、「もっと賢く振舞った」かもしれないし、或いは今まで通りのスタイルを貫いたかもしれません。たらればの話は意味がありませんが、将来に何が起こるかを予測する材料をより多く持っておくことは常に自分にとって有利なことです。
日本企業の成長を阻害する重要な因子のひとつに「嫉妬」があると感じます。
私は新入社員の頃から、朝8時から午前2時まで働き、ひたすら業務成果を求める「モーレツ社員」でした。
リーダーとして取り立てられるのも早かったと思います。周りの2倍以上の時間を働いているわけだから経験値も2倍以上、部署の実務を知り尽くした状態になるので何が課題かを明確に理解しており、リーダーに指名されて改革業務に取り組みます。
色んなプロジェクトを立案してチームを率い成果を出しました。躍動の日々ではありますが、組織の長を拝命するからには綺麗事ばかりではありません。奸計を仕掛けてくる敵と戦うこともあり、若さゆえの無謀な勇気もあったでしょう、ずっと年上のリーダーにもひるまず戦い、それでも成果を挙げれば、周りは文句を言わないものでした。
実務に徹底的に向き合ったばかりの私にはフレッシュな現場事情がアップデートされているので、「私の新しいやり方で現場が良くなる」という確信があったし、何よりも、斬新なやり方で成果を挙げる私を応援してくれる経営層の上役が味方に付いてくれました。
ところが三十代中盤から四十代にかけてでしょうか、何か「風向きが変わった」感じがありました。私の場合同僚や部下たちから支持を得るので成果を挙げるのですが、どうも「上からの支持」を取り付けることに苦労する。ともすると、「支持を取り付ける」どころか、「押さえつけようとする」、「足元を掬おうとする」上役が現れたりします。
日本企業の多くは五十代、六十代の層が何事にも決定権を握る「オジサン天国」です。ジェンダー関連の方からは「なぜ男性に絞った表現をするか」と叱られそうですが、現実が圧倒的にそうなので、敢えて「オジサン天国」と言い切ります。
私自身がその年代に近づき、何が起きていたかが分かるようになった気がします。
二十代や三十代前半のリーダーとして現場を駆け回っていた私は、オジサン世代にとって、「跳ねっ返りだがハッキリとモノを言う元気な奴だ。」と可愛がられていたのだと思います。色々な経営層の方から薫陶や激励を受けました。
私が三十代後半から四十代後半になると、オジサン層にとっての私の存在はより「リアル」なものになります。立場を脅かしかねない存在。こんな若造が通用したら私の面目が無いという嫉妬の感情。
若手の頃の私。上役と三十歳も離れれば、「目を細めて孫に接するように」してくださるわけです。脅威なんて現実感は無いし、自分自身がサラリーマンを生き抜いてもう終わりが近づいている時に、この若者に任せたら何が生まれるのかを見てみたい。
一方、十歳程度の歳の違いあたりから事態は複雑になります。「成果を出すかどうか」は求められません。上司から見れば「出世に便利かどうか」だけが基準になります。「派閥政治」に巻き込まれます。
A専務のグループか、B常務のグループか。軍門に下るならポストを用意してあげよう。「踏み絵」が提示されます。
「成果」は概して、現場の潜在課題を掘り起こし、イノベーティブな解決策を実行して得られます。派閥の論理では「泣く子を起こすな」の空気が支配し、課題を掘り起こす人物は「危険人物」と見做されます。派閥トップが「好むストーリー」を無理やりにでも捻り出して奏上する能力が問われます。
「踏み絵」を踏んだ人物には、派閥トップが戦いに勝利すれば、ポストが回ってきます。こうして、「成果を求めず派閥の存続を目的とするマネジメント」が再生産されます。
「踏み絵」を踏まなかった人物。現場を見捨て、課題を見て見ぬふりをして生きることに価値を見出せない者は、成果を出し続けるが決して「主流派」にはなれない人物になります。いわば今の私がそのような人物です。
(なお、「踏み絵」を踏んだが派閥トップの敗戦とともに一斉粛清される、というパターンがあり、これが最も救いが無いように思います。)
米国の企業に勤めて、こうした派閥経営が日本特有のものであることが良く分かりました。
米国ではなぜそのようなことが起こりにくいのか。ひと言でいうと、それは「人材の流動化」です。
米国にも政治的な人はいます。奸計を使う人もいるし、権力者に媚びへつらう人もいる。それらの構成の比率は同じではないかという気がします。
米国組織では、合わない上司に出会った、と部下が感じるとき、優秀な人材はすぐに会社を辞めてしまうのです。例えばここに、保身だけを考え、成果を重視せず、チームビルディングを気に掛けないサイコパス的な上司がいます。その部下たちは働くことが苦痛になるので、次々に辞めて行ってしまいます。その結果、チームは崩壊し、部門は成果を挙げられなくなってしまいます。サイコパス上司はいずれ言い訳が出来なくなり、会社を去らざるを得なくなります。
逆もまた真なりで、チームの士気を上げる人格者のリーダーがいる部門は成果を挙げます。こう言うと、米国は万能じゃないか、のように聞こえますが、米国にも落とし穴があります。
人材が流動化しているのはトップマネジメント層も同じです。経営幹部に他社からの引き抜きが入ってきます。ここに罠があります。
他社からの幹部は面接を受けて入ってきます。サイコパスは一定時間の面接の中で好印象を創り出す能力に長けている場合が多く、これが経営幹部として入って来ることを防ぐことが出来ないのです。
着任して数ヶ月で「ヤバい奴が来た」という評判が立ちます。米国では簡単に人をクビに出来る、という印象があるかもしれませんが、実際には相当明確な理由が無い限りクビには出来ません。定量的評価の明示が無いままクビにしようものなら、訴訟を起こされるリスクがあります。
人格者の部門長を慕って集まったチームが著しい成果を挙げている。その上に何かの間違いで、サイコパス取締役が就任してしまった。部門長は転職し、ハチの巣が崩壊するかの如くにチームは雲散霧消。米国でよく見かける光景です。この崩壊プロセスには最低3年くらいの時間が掛かるので、サイコパスの立場は早急に脅かされることはありません。チーム崩壊後に責任を取って辞めたとしても、「数年毎に組織を改革して結果を残すエグゼクティブ」のような履歴書を自分の都合の良いストーリー仕立てで書き上げ、課題解決を必要とする企業を渡り歩いていくのです。
日本型、米国型、どちらの組織にも一長一短があります。日本型組織の難点は、イノベーティブな人材を潰してしまう傾向がある一方、良い点は長く同じ組織で頑張った仲間とのネット―ワークが構築されることだと思います。米国では、雰囲気が悪くなるとすぐに転職先を探す傾向があるので、「過去最も良い雰囲気のチームを一緒に過ごした仲間」の会社OBでプライベートな友情を続けていて、そのネットワークで転職先を探したりします。
米国企業では人はより良い収入を求めてドライに渡り歩く、というイメージを持たれる方が多いかもしれませんが、私の見る限り退職理由の9割9分は「変な上司に当たってモチベーションが下がった」で、(表向きはもちろん別の理由を述べて去って行きます。)そのへんの人間としての根源的な性質は洋の東西で変わりません。
若手でバリバリ頑張っている方には特に参考にして頂きたいと思います。そのうち変曲点が現れるかもしれません。どの環境下なら自分がより幸せに働けそうか、それを事前にイメトレしておくことは重要です。
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