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二重構造のリーダー:部下の下に部下がいるとき

部下にどう接したらよいか。よくある文脈だと思います。コーチング手法、1on1、昔のようなパワーマネジメントでは扱えない若い世代にどう接するか、というビジネス書が近年はとても多いです。
 
それでは部下の部下にどう接したらよいか。ちょっと複雑になってきます。
部下を飛び越えて部下の部下へ指示・指導するのは部下の立場を侵害する越権行為です。
でも、部下の部下の言動で気になる部分があって、ちょっと口を挟みたい。
 
先日ある同僚に、「部下の部下にどう接したらよいか悩みます。」と言われて私も返答に困ってしまいました。
「バランスですよね~。」は余りにも玉虫色の都合の良い返答で、参考になりません。(「バランスですよね~」はとても都合の良い返事なので、私は時間稼ぎによく使ってしまうのですが。)
 
参考になるかどうか、私は過去にあったエピソードをお話ししました。部下の部下として、新人社員が入社した時の話です。

新人の子はちょっと朴訥としていて、飲み込みが遅いようでした。現場からも、基本的な常識がなっていない、というような声が聞こえてきます。
 
ある日、彼の教育担当をしている部下が愚痴交じりに言いました。結構ストレスが溜まっていたようです。
「あいつは向上心が無いし、成長するような人間ではないんですよ、あんな奴を一生懸命教えても、エネルギーの無駄です!」
私はつい反射的に怒ってしまいました。普段は感情を抑えて「叱る」ことに心掛けているのですが、この時は感情が抑えられませんでした。
「教育担当のアンタが無理と言うならそりゃ彼が成長するのは無理だわ!じゃあ彼は今後一生成長しないということだね、それが今あなたが下した結論か?」
 
新人はまな板の上の鯉、親の手に取られた赤ん坊のようなものです。直上司に見捨てられた新人にはどんな希望が残るのか。どんな絶望感の中に打ち捨てられるのか。あなたは自分が言っていることがどんなに冷たいことかを分かっているのか。私はそれを問うていたのです。
 
まあ教育担当の彼がその時言っていたのはただの愚痴なので、そこまで深い意味はなかったのですが、彼はビックリしていました。「このことでこんなに怒られるとは思いませんでした。」
 
新人の彼は、ゆっくりではありましたがその後成長を続け、やがて現場を支える中核のキーパーソンになっていきました。それから10年ほど経った頃でしょうか。
 
教育担当が私の異動先に新人の彼を連れて来てくれました。新人と言っても10年経ちましたから、中堅あるいはもうベテランです。立ち寄る機会があったから、顔を見せたかったのだ、と。アポも無かったので時間がありませんでしたが私は嬉しくて、部署のお茶コーナーで100円玉を取り出して、「缶コーヒー、飲む?」と。長話も無く「元気?」とかそういう話でしたが彼の朴訥ぶりも相変わらずではにかみながら「ハイ。」とか。
部下の成長した姿を見るのは、いつになっても大きな喜びの一つです。

パワハラ系部下の甘い誘惑
 
さて、話題を変えて二重構造のネガティブな側面なのですが、私が「パワハラ系部下の甘い誘惑」と呼んでいることがあります。
 
パワハラ系の上司はなぜなくならないのか。上司の上司になることで見えてくる別の視点・構造があります。
パワハラ系の部下はとても「便利な」存在なのです。会社組織では、上部から中間管理職へと、無理難題が降ろされてきます。
 
パワハラ系の部下はこう言います。「部長、大丈夫です。私がこれを皆に徹底してやらせます。お任せください。」上司としてはとてもラクです。合意形成のための話し合いや説明の時間も必要ない。
 
そのやり方でチームにストレスがあることも薄々理解しています。でも降りてくるミッションはどんどん捌けるし、もし最悪チームのストレスが限界に達し顕在化することがあればどうするか。そのときは今気づいたかのように介入すればよいのです。
 
「話を聞いてみると○○課長のやり方も少々強引だよ。皆の気持ちを考えて進めた方がいい。ちょっと皆で話し合って、この件に関する進め方を擦り合わせようじゃないか。」と。自分が救世主のヒーローになれば良いのです。どちらに転んでも美味しい。これが、私が「パワハラは蜜の味」と言うゆえんです。
 
部長は出世コースとして数年毎に異動していきます。パワハラ系マネージャーは次に来た部長に、「私は多少強引に見えるでしょうが、一手に掌握している私を外すとこの部署は回りませんよ?」というアピールを向けて来るようになります。これが、モンスターの誕生プロセスです。
 
このことは、多重構造のリーダーになる人が十分に注意と観察をしなければならない部分です。
 
さて、上司部下の関係を親子に例えました。そのように出来ると深い愛情でつながるでしょうが、自分の子どものように、というのはさすがに難しく、理想論ではあります。でも逆もまたしかりで、我が子のように思った部下や後輩を、部署を去るときに「私の責任範囲では無くなったから明日から心配にならない。」というのも無理なことです。どっちに転んでも人間は自然な動物です。
 
過去の部下で、その後の部署で何かがあり(大概は人間関係なのですが)、不遇な形で会社を去った者がいます。私はずっとそれが気に掛かっており、時々そういう元部下の田舎に訪ねて行ったりします。
 
久し振りに食事などして、近況の話を聞かせてもらい、家族ともども充実して幸せに暮らしている様子を知って、ホッとして帰ってきます。まあ自己満足です。そこで「今の私はこんなに不遇です」と言われても何もしてあげられません。
 
もう一度最初の問いに戻り、「部下の部下にはどう接したらよいでしょうか?」。
理想論ですが、孫のように接する、ということになるのでしょうか。親の教育方針にはそうそう口を出すわけにはいかない。そして孫の成長には目を細めて喜ぶ。缶コーヒーのくだりは、さしずめ孫を連れ帰った帰省を喜んでもてなすおじいちゃんです。もうちょっとましなおもてなしを用意するべきでしたが。

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