人はどのようにしたら優しくなれるのか
ある日電車で隣になった人が終始舌打ちしてくる人に出会った。やばい奴だと思い、距離を置いて警戒していたが、冷静になって考えるとそうした精神障害がある人なんだなと解釈して優しくできる人はいるのだろうかと疑問に思った。
今回は人はどのようにしたら優しくならるのだろうか考えてみた。
辛い経験をしたことがある
悩みを話しても人によって共感してくれたり、してくれなかったりする。
その違いは、その辛さを知っているか、いないかということで現れていると考えることができる。運動できる人には運動できない人の気持ちが分からない。人は経験によって物事を判断したりするのだ、知らないことには何も理解することはできない。
相手の立場に立った想像ができる
同じような経験はないのに、優しい人がいるのではないかと思うかもしれない。
そういう人は相手の立場に立って想像できる人なのだろう。
車椅子で移動する方に道を譲ることは、
実際には自分は健常者だから分からないが、身体の不自由さを想像して配慮した結果である。
相手の立場に立って物事を考えることで、何が大変かを想像することができる。
心にゆとりがあること
よく金持ちは優しいと聞いたことがある。金持ちはお金に余裕があるため、心にゆとりが出るため寛大になれるというためのようだ。
これがピンとこない人のために、他の例として、朝の通勤で余裕がない場合を考えてみよう。おそらく満員電車で人がいっぱいいるだけでイライラするし、あまり人に絡まれないように困ってそうな人がいても無視するだろう。
これは時間に余裕がないので、心のゆとりが持てないからである。
優しさは必要か
最後に今までの話を台無しにするようで申し訳ないが、果たして優しさは必要だろうか。そもそも優しさとはなんだろうか。
私が好きな進撃の巨人というアニメでアルミンが、
「自分がいい人は分からないが、アニは自分にとってはいい人だと思う。」
というセリフがある。
どういう人かという評価は絶対的な存在するものでなく、他の人が感じ、判断するものである。
同じ行動をしてもある人にとっていい奴だと評価され、ある人にはダメな奴と評価される。
人は社会の中で生きているため、どうしても評価を気にしてしまうものだが、良かれと思ってしたことが、最悪の印象を与えたりすることがある。
道徳至上主義者は置いておき、いちいち気にしすぎて生きていくのは疲れやしませんか。
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