思考を強制される:山形一生・永田康祐
長谷川新さんのご紹介で山形一生さんと、永田康祐さんと飲めるということで、MVを拝見したりICCへ行ってきたので、その感想メモです。
山形さんと永田さんの作品の感想。
他人の感想を読まずにまず受容したい方は読まないように。
山形さんのMV「窓から見える」
https://youtu.be/S_XKg8Ywqmo
これが非常に面白い。
窓というか穴から部屋らしき風景の断片が見えるんですが「ここはどこだろう?」「自分は誰だろう?」「この部屋で何か起こったのだろうか?」と次々考えることがやめられません。作品により強制的に思考させられるのです。
さらに窓と窓の間には真っ暗になる瞬間もあるのですが、右から左に外の景色が流れていると、次の窓もその延長、左側にあると推定して受け入れてしまいます。
でも実際は真っ暗の瞬間にカメラがグルンと回ってても良い。しかし、これを音楽の連続性がそれを許さない。聴覚と視覚ということなる感覚器官からの入力なのに、これまた強制的に結び付けられてしまうのです。
そして音楽が途切れるのに合わせてガラっとカメラアングルが変わる。もはや音楽と映像の連動性が説得されてしまう。
ある意味催眠術にかけられているような展開。
だからこそ、僕たちは何をもって現実を確かなものと捉えているのか、そんな事を考えさせられる作品でした。
永田さんのSierra
http://www.ntticc.or.jp/ja/archive/works/sierra/
これはMacのデスクトップに表示された美しい山に関する作品で、
非常に美しい山があり、デスクトップにはHTMLリンクがあり、それらを自由にクリックできる。
しかし画面のほぼ全ては山で占められていて、山に対する感想を持たざるを得ない。
山、綺麗だなぁと。
すると突然デスクトップに字幕が現れ、山は自然を映す映像になり、字幕で説明が展開されます。
それはその山にある凄惨な歴史。
Win10にも美しい風景が表示され、Bingによって収集された素敵な景色の場所の情報へのリンクが表示されます。
しかし、永田さんの作品はその裏にある凄惨な現実を強制的に突きつける。
Win10の情報はMicrosoftによるフィルタリング後の情報であり、Sierraの景色もAppleによって美しく切り取られたもの。
決して真実ではない。
横っ面をはたかれた印象で、
永田さんはこの作品を通して、世界中のMacユーザーの横っ面をはたきたいのだなぁと思いました。
(ご本人に聞いたところ、美しい景色とのコントラストが高いから、凄惨な情報を提示しているわけではなく、そこにあるコアな歴史を探ったらそういうものに行き着いたとのこと。横っ面をはたく意図もないそうです(笑))
永田さんのポストプロダクション
http://www.ntticc.or.jp/ja/archive/works/postproduction/
こちらも非常に面白い作品で、現実の輪郭が消失している写真です。おそらくポストプロダクションにより。
それはソフトの現実世界認知が我々人間の現実認知とズレていることを意味していて、作品を通して人間はなぜそこに境界を認知しているのかを考えさせられます。
この構図は人工知能と全く同じ。人工知能を作ることで、人工知能を通して世界を、人間をみることで、人間の本質がみえてくるのです。
非常に印象深い作品でした。