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疾風怒濤に駆け抜ける−小説の行間から低周波の批評が聞こえる

『町屋良平『私の小説』はコロナ禍の2020年以降に時々に著された短編『私の文体』『私の労働』『私の推敲』『私の批評』と新たに書き下ろされた『私の大江』が1冊にまとめられた小説である。2016年『青が破れる』で第53回文藝賞受賞でデビュー以降、2019年『1R1分34秒』で160回芥川賞、2022年『ほんのこども』で第44回野間文芸新人賞、2024年『私の批評』川端康成文学賞、ほか『生きる演技』などの作品群が描かれたが、5編からなる短編集はこれら大作の間隙をうめるような作品群とも位置付けられる。

「人生には必然性はないので小説は問いを発するが必然の答えは読者に委ねられる。大きな問いをテーマにする傾向が強まっているが、小説には必然性ではなく批評性を引き受けて書かれるべきだと考えている。答えは一つではなくいくつでもある」

「ことばとはなし」『ことばと vol.7』書肆侃侃房 刊行&第一期完結記念トーク 佐々木敦×戸田真琴×町屋良平 本屋B&B主催 2024.1.24

時間的な経緯では『私の小説』には今回書き下ろされた第5編『私の大江』つまり大江健三郎が町屋良平にとって重要な位置を占めるようになってきていることを示している。

時間の経過を辿りながらそれぞれの作品を読んだり、また一つひとつ独立した作品として対峙しても、時々に行間から町屋良平は何かに怯えながら書き続けているように映ってしまう。この怯えは母が私を怖いと思っている(『私の小説』132ページ)ように、私は私で何かを恐れている表裏のようでもある。自然の摂理の死への恐怖なのか、または生への恐怖なのか。自分の文体への恐れなのか、防御するための攻撃なのか。考える隙間の時間を与えないように周囲を睨みつけながら、生きること、書くこと、闘うことに真正面から対峙して書き続けているように映る。この怯えこそが逆に次々に著される作品を生み出す原動力になっている。

川端康成文学賞『私の批評』では次の一文がとくに印象的だった。

私は数年前のある日、まだ同居していたころの母に「おまえがなにを考えているか、ぜんぜんわからないよ」と泣きながら言われたことがある。「たとえ怒鳴ってでも、お互い考えていることをちゃんと全部ぶつけあったほうがまだいいよ。家族なんだから」  

私の小説『私の批評』121ページ

「ことば」とは何だろう。動物や鳥など怒鳴りあっているように聞こえてもそれが音やリズムの意思疎通であればそれはそれなのだろう。とにかく母親にこんなことを言われたら相当に切ない。こんなことを言わせてしまった自分自身を責め続けることになるのは誰でも勘づく。だから一歩離れて小説にして、さらにもっと離れて批評したのだと。もっともっと甘え上手になれば、甘え上手を演じればいいのにと思うが人はそれぞれ感じ方やこだわりのポイントがあるのでわかっていても外野から見守るしかない。それが自分自身の相手との距離感であり人は誰もがそれぞれ違ったこだわりを持ち、それぞれ違った相手との距離感で生きている。「本当の私」と小説の中の「私」の視座もある。小説として文字に託して自分を描けば描くほど自分自身から乖離してしまう溝に対して「私」を探し続けてもがいている作者がいる。永遠の反抗期のようだ。甘えたいという膨大なエネルギーが真逆の怒りに置き換わってしまう。おそらく「家族」がテーマだからなのであろう。

「母も小説家であったら私はよかったのに」(同133ページ)と私がいうのと同様に母は母でこのように言うのだろう。「息子の『私』も祖母や母と同様に意味を持たない〝ことば〟で動物や鳥のように毛づくろいをするかのように触れ合えればそれだけでよかったのに。〝ことば〟はいらないよ」

親孝行したい時には親はなし

町屋良平はすべてを見通しているのであろう。どのように振舞えばどのように記述すればいいのか、どのように小説家として自分を位置付けていけばいいのか。時々の偶然のような短編集が小説として昇華し、あらゆる想定もした上でそれぞれの作品がどのように読まれて批評されるかをも想定している。川端康成文学賞の受賞の言では「いちいち〝批評〟しなければ身動き一つとれない愚鈍な〝私〟だと、これは子どものころからの劣等感であったが本作においてはそれが大いに役立った」とこの厄介な劣等感こそ評価されたと謝意を表わした。

「毒」親とクズ男と揶揄するが、芥川賞受賞を記念して母親が行きたかった伊勢へ親子で旅行をした。辿り着いた旅館の歓迎のドラが鳴り響いた。

Dwooooooooon!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
qw…a…a…a……n

同『私の大江』137ページ

『私の大江』を語る最新の時間軸ではその文体は明るい。それまでの内にこもったエネルギーの表出よりはより自然体でこの柔和な行間はある種の安堵や諦念とも受け取れる。描写には経年変化の兆しがある。そのなかにも小説に書く自分が自分自身であるという自分とのずれは課題としては残っている。私小説の「私」が自分自身だと伝わるかに腐心する。私は「私」だと。

『私の批評』で私が自分のことを小説に書き始めたとき、読者がまずこの〈作中の「私」〉を〈書き手の「私」(町屋良平)〉のことだと信じて読んでくれるのか疑問だったんです。なので無駄に個人情報を書いたりして、「サービス」してしまっている感覚もあります。従来の「私小説」を書く人はそんな疑問を抱いて書かないと思うんです。「私小説」には、〈作中の「私」〉は、〈書き手の「私」〉と同一であることを信じましょうという暗黙のルールがある。作品の中には書かれていない、作品の外からの強制があるわけです。その強制が、読者への抑圧にもなっていて、それがいまの時代にもそぐわなくなっているんじゃないかな……

imidas対談 
鴻池瑠衣&町屋良平 2023.2.2より

私小説として自分自身を表現して自分自身のことを書いても、ほんとうにそれで自分自身のことが読み手に伝わるのかという不安がつきまとう。またどんなに自分のことを描いても自分自身が「素」の自分を表現できないことにも悩む。

私は「私の文体」を読み始めた当初、『ほんのこども』を書き終えてのエッセイかと思ったんです。というのも『ほんのこども』は、作家の「私」が他者の文体を奪って書き連ねる、という物語が描かれていましたが、「私の文体」他者の文体を盗んで作家としてデビューした「私」が主人公だからです。

文藝2024秋号 川端康成文学賞受賞記念インタビュー 
町屋良平が語る「私」と物語をめぐる新しい私小説 聞き手・構成 水上文 475ページ

『素』でいられないですね。『本当の私』をだれにも出せない。だれかのまえで自分自身でいることが、そもそもできないし、それはだれであっても、家族相手であってもかわらない。

同『私の労働』54ページ

小説を読みながら実はその文体から読み手は深層の自分自身の記憶を引き出して文体のリズムに自身を相乗させている。町屋良平を読みながら自分自身のモノサシで並走している。このように捉えるとなぜ大江健三郎で『私の大江』なのかが見えてきた。

大江というより大江の作品群を父として、自作を子として生きる、もはやそれしかないのか・・・・・・

同『私の大江』162ページ

書いたものは推敲せずそのまま自分から切り離して独立した文体、独立した文章として独り立ちさせて作者自身とも別人格で対峙しさせてきた。ただし経年の知恵や叡智からだろうか、大江健三郎のようにいつまでも過去の文章を推敲し続ける執念が生きざまとなってきているのだろうか。大江健三郎に自身を投影しているのだろう。町屋良平、齢40にして20代や30代とは違った世界が見えてきた予兆なのか。

放っとかれるとすぐに小説を書いてしまう私には、しかし主題がない。涸れてしまった。涸れている井戸からなぜか湧く濁った水がわたしの小説だから恥ずかしい、だが大江もまたそうした恥の感情までをよく書いた作家でもある。大江と私は恥の感情においてのみ繋がれる気がしていた。

同『私の大江』162ページ

芥川賞や川端康成文学賞はとても大きな転機で雲の上の存在へと押し上げられる。しかしそれらの亡霊がつきまという怯えを逆に武器にして書き続ける。あらゆるものがエネルギー源になってしまうような町屋良平のことばは時代を斬り時代を批評することで未来への視点の灯をともし続けている。