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夏子Kakoの庭 16 スマホ休む日
6月17日(土)晴れ
6:25起床。昨晩寝つきが悪くスマホを片手にネットサーフィンをしていたら1時間近く惰性で見てしまった。すごく後味が悪い。なんとなく目もチカチカするし朝のシャキッとした目覚めではない。スマホはなければないでも過ごせるのだろうが、世の中じゅうがスマホの画面に吸い込まれてしまっている。電源がなければただの文鎮でしかないのに、なんでこんなにも時間を充てなければならないのか。もっと見なければならないもの、聞かなければならないもの、触れて感じなければならないものが世の中には多くあるはずだ!! 今日の日記の自分宣言だ!!
昨日の「マイ宣言」にならって、今日の会社が休みの土曜日は朝から1日、スマホは着信の電話以外は触らない宣言を自分で課した。今11時だから午前はクリアできそうだ。誰にも知られないで自分で自分だけの、今日1日の自分への約束が守れるかどうか、やってみないと分からない。わたしは変なところが頑固な性格で、自分でも自分自身に負けないように闘うことがある。どちらが勝つとか負けるとかではなく、昨日の本当にイヤな自分には、とくにその部分に蓋をして葬りさりたい。昨日の寝がけのスマホは本当に無意味だった。あんな1時間だったら、1時間あれば、種や、芽や、つぼみや、花の表情を見ていた方がずっといい。
家にいると何かと誘惑が多すぎて、昼から外出して気を紛らわせスマホ禁止令の日を完結する作戦に出た。まずは駅前の「フラワーショップはな」でじっくりと種や苗や鉢植えを観察し、種からの育て方のガイドブック、たぶん佐伯さんの労作の数々だろう、を丁寧に読む。こうして1時間以上が経って、電車に乗って繁華街に出た。足を伸ばして銀座まで一人で冒険してみたくなった。いつもは直接地下道を目指す出口までひたすら一直線だったが、今日は冒険なので、有楽町の出口から泰明小学校の正門や校庭を丁寧に眺めながら並木町の裏通りに入った。こんなところに路地があって、お稲荷さんが祀られている、と普段は見ない土地の息遣いを感じながら歩く。一軒一軒のウィンドーにも趣向が凝らされて、とてもセンスがいい。ゆっくとした時間を過ごすと見えないものまで見えてくるようだ。たぶんスマホに目も耳も、関心も、気も取られすぎていたのだろう。
たぶんLineやメールも届いているだろうが、今日は居留守を押し通す。電源が切れて充電器も具合が悪かった、と嘘で言い逃れればいいと明日の言い訳を頭の中で作ってみる。
木村屋に入ってあんぱんと、うぐいすパンを二つ買う。手でちぎりながら歩いて少しずつ食べようかと思っている。一人で銀座を歩くなど気を張らないとできないが、今日はスマホを禁止しているので堂々としていられる。高級なブランドの店に入る勇気はないので、伊東屋の文房具や便箋や和紙や折り紙などを見て触って没頭する。普段は会社で過ごしてそれだけで生活のリズムを組み立てていれば何も考えることは必要ないが、今日の自分は自分でしっかりしていないと何もかもが崩れてしまいそうで、吹けば飛ばされてしまうような自分をことさらに意識してしまう。
午後3時を過ぎた。スマホがない時間も9時間ほど経過している。本当に必要な情報って何だろう。1日中スマホに縛られているが、本当に必要なスマホを操作している時間は延べでも数分だろう。あとは何をしているのか。だらだらといじっているだけではないか、という核心の答えが見つかってしまった。忙しそうに見せたくて、何もしていない自分を自分自身が認めたくなくて、テレビをつけっぱなしにして、受動的な感心ごとをあたかも自主的に関心があるかのように自分自身を錯覚させている。
もっと新鮮な目で世の中を眺めてみると、きっと見えていないものが見えてくるに違いない。まだ見ていない品種の花だって世界にはたくさんある。歳を重ねただけで何でも知っているような錯覚をしてしまい、いつのまにか惰性で時間を過ごしている。夕方になってそろそろ一人でいるのがつらくなって帰りの電車に乗る。1時間半近くかかるが、今日1日の程よい疲れがある。周りは全員スマホをみたり操作をしている。自分は今日はスマホ禁止令を出しているので眠たくはないが目を閉じてウトウトとする。半分寝ていて半分起きているような、まどろんだ時間に、種から育てたジキタリスの成長がゆっくりと頭に浮かんだ。種から芽が出て、ゆっくりと成長しているのだがスローモーションのように左右に揺れながら大きくなっていく。茎がしっかりと成長してキツネノテブクロのつぼみが縦に順番にそろってくる。紫色の斑点がある花が大きさもグラデーションのように咲き誇る。
寝ているのか覚めているのか分からないが、頭の中では花の成長のゆったりとした時間が自分の体内時計と波長が合って、同じ振り子のメトロノームの揺れをする。自分の人生の時間ではどんな長くても100年は生きられない。せいぜい寿命の80や90だろう。たぶんこっそりとこの世に存在し、消えるときもこっそりといなくなるのだろう。昔の名主以外は名前がない時代の、その他大勢のような自分の人生だ。でも今日は、今日1日はほとんど誰も知らないがスマホから自由になった自分が記念日を打ち立てた。