町屋良平 『私の批評』 をたどる
次の一文が印象的だった。
「ことば」とは何だろう。動物や鳥など怒鳴りあっているように聞こえてもそれが音やリズムの意思疎通であればそれはそれなのだろう。動物と人の違いは「火、道具、ことば」とは云うが、かえって「ことば」で表現できればできるほど相手とのすれ違いや齟齬が生れてしまうこともある。猫のように甘えて擦り寄って来るときもあれば猫自身のペースで涼しい顔を見せることもあるほうがかえって周りの方が気をつかうのでスムースな関係性を保てるのかもしれない。とにかく母親にこんなことを言われたら相当に切ない。こんなことを言わせてしまった自分自身を責め続けることになるのは誰でも勘づく。だから一歩離れて小説にして、さらにもっと離れて批評したのだと。もっともっと甘え上手になれば、甘え上手を演じればいいのにと思うが人はそれぞれ感じ方やこだわりのポイントがあるのでわかっていても外野から見守るしかない。それが自分自身の相手との距離感であり人は誰もがそれぞれ違ったこだわりを持ち、それぞれ違った相手との距離感で生きている。
ただ話していても怒鳴って聞こえてしまう損な性格の人もいる。とくに言葉を権威づけの道具として、ねじ伏せる道具として扱う時にはとくにそうだ。書き言葉は最たるもの。わざと相手が畏怖するような言葉や言霊を全面に出し近寄りがたく君臨する。刑法条文が最たるもの。口を挟む余地をも許さない。家制度や家督の亡霊か残る明治大正昭和初期はこの世代の共通のキャラクターのように、男も女も〝がなり合う〟ような〝ことばを吐き捨てる〟ような会話が日常茶飯であり珍しくない光景と受け取っていた。セクハラパワハラ当たり前、個人情報なんて関係なしにズケズケと踏み込んできて一種異様なが殺気が蔓延していた。今は真逆で相手との距離感にはとても慎重になりすぎて戸惑ってしまう。とくにコロナ禍で大きく変わった。この2年半は家族でさえも触れあうことすら躊躇せざるを得ない事態になり、消し去ることのできないベールが世の中を、心の中をも覆ってしまった。その後遺症や見えない亡霊に取り憑かれたように、いまだにその残留があちこちに漂う。
『私の批評』は小説家として生きる「私」と家族の物語である。自分を主人公とした私小説で、母、兄、亡き祖母、亡き父の家族。自分自身を語る視点もあるために「本当の私」と小説の中の「私」の視座もある。小説として文字に託して自分を描けば描くほど自分自身から乖離してしまう溝に対して「私」を探し続けてもがいている作者がいる。永遠の反抗期のようだ。甘えたいという膨大なエネルギーが真逆の怒りに置き換わってしまう。おそらく「家族」がテーマだからなのであろう。母と子の時間の経過は同じように進むので永遠に母に対しては子どもの「私」でいたい、11歳の私を詩に託して時を止めて漂っていたい。家族を理解しているようで理解していない、理解できない、理解してほしいが理解してほしくない。伝えれば伝えるほど無口になって怒りの表出に飲み込まれて対話ができない不器用な「私」、本当の「私」を見失いそうで、家族それぞれがそれぞれの役割を演じていると感じてしまわざる「私」が私によって語られる。
自分の本心を語れば語るほど母の「私」に対する理解がその範疇を超えていき目の前にいるのに手の届かない理解ができないという互いの存在となっていく。お互い理解できるという幻影のような前提があるためにかえって互いが互いを苦しめる。母と子は血縁の中でも特別な存在である。肉体は分かれているようだが精神的には一体のようで一体ではない。
気持ちを伝えるには素のまま裸のまま飛び出せばいいようなものの気取ってしまう。宴席で無礼講とは言いながらしっかりとわきまえておかないと冷気が差し込むのに似ているので厄介だ。人の目は怖い。とにかく怖い。相手からよく見られたいと思ってしまうのだ。誰も自分なんかは相手にしていないし相手にする余裕なんてないのに。格好をつけることは意識上でも意識下でも働いていてしまうが他人にはわからない。人にはそれぞれこだわりがあって家族でさえももわからないし理解できない。夫婦でもわからない。一番近しいと思う母と子でさえもわからない薄く透明でもありまた深く謎めいた溝や壁でもある。
このように視点をずらしてみると全然「毒」親ではないではないか。むしろ素のまま全力でいてくれるどこにでもいる癖の強い母ちゃんではないかと他人だから勝手に口にする。祖母と母親が怒鳴りあってばかりいたとしてもこのような一瞬を小説に登場させること自体、解答のない迷路に迷い込んだ自分を小説に押し込めてかたい殻にこもって批評をすることで誰からも踏み込ませないバリアを築いてしまっている。家族なのでその関係は切り捨てられない運命なので母を通り越して祖母に「毒」をスライドさせる。井の中の蛙や山椒魚のようではないか。
川端康成のように小説家なんだから温泉宿で湯治をして浴衣姿が板につく絵に描いた小説家のように筆に任せて文字を紡げよと外野から勝手気ままに突っ込まれたいから小説にして批評にしたのかな、と読者に話題を振りまいたのだろうか。防音室の中で外に向かって叫んでいるようだ。
人間は奇妙な生き物だ。朝に日が昇ると起きて沈むと寝る、お腹がすいたら食事をする、何もすることがなくても寝てばかりだと退屈するので、何かをちょこちょことする。お金にならないことをすることのほうが生きていく上では大半だと気づくと、またいいとか悪いとか判断する必要がないことも世の中たくさんあると開き直ると肩の力がどんどん抜けていく。仕事だって、ちびまる子ちゃんの川をきれいに掃除する川田さんや友蔵みたいにたまに俳句をよむゆったりとした生き方それ自体だと思うと、またそれを当たり前のように受け入れる家族や地域があると生きやすい。ただし近しき仲にも礼儀ありで何でも言い合える関係がいいわけではない。親子や家族だから言わなくても分かってもらえるだろうなんていう訳にはいかない。何でも自由に自分らしくなんて逆に難しい。人やあつらえのモノサシで分かったつもりになることは楽だけれど自分で不安にならず落ち着ける「幸せの尺度」を悩みぬいてその定位点をみつけることだ。
儲かりまっかと尋ねたらボチボチでんなと応じる。誰もいくら儲かっているかなんて聞いていない。会話の流儀だ。困ってないかと尋ねられたら大丈夫です、ご心配ありがとうございますと実際には困っていても相手を慮るのが「ことば」の相手との距離感だ。おそらく〝怖い〟という語義が持つニュアンスの違いまで伝えきれず伝わり切れていない。“真心は嘘”ではない。自分でも自分の本心なんてつかめないのだ。CHAGE and ASUKAのCD、手塚治虫『リボンの騎士』、スピッツのCDと同じように用意周到な「回転ずし」の用意された応えは母が悩みぬいた挙句の果てにたどり着いた「私」に近づこうと懸命に考え抜いた「本心」そのものなのである。
家族が登場人物なので小説であっても架空の人物ではない。なぜその場面なのかなぜその発言なのかを引き受ける必然性はない。しかし現実の断片の繋がりの描写が果たして意図した内容として伝えられているのか。
ある対談でこう語っている。
「人生には必然性はないので小説は問いを発するが必然の答えは読者に委ねられる。大きな問いをテーマにする傾向が強まっているが、小説には必然性ではなく批評性を引き受けて書かれるべきだと考えている。答えは一つではなくいくつでもある」(「ことばとはなし」『ことばと vol.7』書肆侃侃房 刊行&第一期完結記念 佐々木敦×戸田真琴×町屋良平 本屋B&B主催 2024.1.24)
コロナ禍は家族でさえも一線を引かざるを得なかった。同じ空間で息をすることでさえ「怖い」と感じてしまうと自分の殻に物理的にも精神的にもこもる以外には方法はない。コロナが明けてもマスクを外せなかったりコロナ禍でのその人のとった意識や行動や他者との距離の置き方で一人ひとり違った恐怖の対象が分かってしまう。「私」は母と意思疎通を素直にしたいと思っている。母も「私」を知りたいと思っている。しかしなぜすれ違ってしまうのか。
「母も小説家であったら私はよかったのに」と私がいうのと同様に母は母でこのように言うのだろう。「息子の『私』も祖母や母と同様に意味を持たない〝ことば〟で動物や鳥のように毛づくろいをするかのように触れ合えればそれだけでよかったのに。〝ことば〟はいらないよ」
親孝行したい時には親はなし
町屋良平はすべてを見通しているのであろう。どのように振舞えばどのように記述すればいいのか、どのように小説家として自分を位置付けていけばいいのか。全ての分析をした上で答えを見出しあらゆる想定もした上で『私の批評』がどのように読まれて批評されるかも想定しているのだがそこから一歩が踏み出せないでいる。川端康成文学賞の受賞の言では「いちいち〝批評〟しなければ身動き一つとれない愚鈍な〝私〟だと、これは子どものころからの劣等感であったが本作においてはそれが大いに役立った」とこの厄介な劣等感こそ評価されたと謝意を表わした。川端康成の遺作『たんぽぽ』を読むにいたって自身の批評の届く対象であるという萌芽を微かに見つけられたと語る。
私小説の「私」が自分自身だと伝わるかに腐心する。私は「私」だと。
羽織袴姿の文豪が対照されてよみがえった。遺作にまでたどり着いたとコメントしていたので、またせっかくの川端康成賞なので「普段小説を読まない人に、実はおもしろい文豪小説」を引用する。ぼやき芸も磨いている柴崎友香さんの紹介。芥川賞作家として、また川端康成文学賞受賞作家のこれからも勢いのある町屋良平作品群に大いに期待したい。