とあるオケの不文律
小学校の校内合唱の練習で「お前下手だから歌うな」と先生から言われた経験があると聞いたことがある。そこのフレーズは口パクでいいと言われたそうだ。イヤだった小学校の思い出として語られた。それ以来音楽が嫌いになったというから何気ない一言や対応がとにかくとても罪深い。
合唱指導や指揮の指導に自信がない先生が安易にしそうなことだ。下手だと笑う。歌うなと言われる。とにかく合唱の仕上がりもさることながら、先生自身が恥ずかしくないようにつくろって発表会に向かいたい的外れな一所懸命さの一場面だったのであろう。
かといって、それ以来音楽が嫌いになった、音楽ばかりか表現すること自体に気後れするようになった原因を作った一場面であるわけで、間違いなくとても罪深い。ズケズケとしたある意味大らかな一昔や二昔前には当たり前の出来事として片づけられてしまうような一幕なのかもしれない。
いろいろと突っ込みたくなるテーマがここにはあるが、逆に全体像をつかもうなどとは考えないで自分が団長を務める「上田アンサンブル・オーケストラ」と関連して紐解いてみたい。
上田アンサンブル・オーケストラは2004年設立の市民オーケストラで、音楽監督・指揮者の高橋秀先生が立ち上げた。設立以来モットーにしていることがある。今では定着して当たり前のようになっている。
「人の演奏に対する評価や何かいいたいことはすべて音楽監督にいうこと。直接に相手に言ったり、笑うことなどはもってのほか」
つまり面と向かって人に嫌な思いにさせる言動は一切するなという不文律である。たとえ音程を外したり音がひっくり返っても誰もが淡々としている雰囲気が今では当たり前になっている。
先日国会の質問で、海外でご活躍の方の答弁で「NATO」を母語に近く流暢に「ネィトウ」と発話され、カタカナ読みで丁寧に「ナトー」と言い換える場面が何回かあった。その都度に議場には乾いた笑い声が漂った。
この笑いや反応の発露こそ日本人特有な気をつけないといけない感情表現である。
言われた方は冷笑や嘲笑と受け止めるだろう。しかし笑った側は相手へ向けたものというよりはむしろ自分が知らないこと、そのこと自体が気恥ずかしいこととして自虐的に反応した表現である。だからその場にいるとおかしな空気感となる。ばかにされたとかいじめられたようなきっかけとなりかねない噛み合わない出来事につながる危険性がある。
楽器の演奏や歌についても自分の気に入らない場面や気に触る場面に遭遇すると、とにかく言いたくて言いたくてウズウズしてしまう人がいる。不思議とそこかしこにいる。正義感に駆られたと錯覚している場合もあり、とにかくタチが悪い。
このことは分かっているので、上田アンサンブル・オーケストラでは不文律を設けている。2004年設立なので20年を越えた。長く運営するコツの一つであることは確かだ。
ことば足らずで表情や表現が下手。体育や音楽は技術を競うよりは身体を使ったり楽器や声で表情や表現をみがくことが主目的な分野である。にもかかわらず「歌うな」とは情けない。喜怒哀楽の中で「喜」と「楽」は素直に表情に出せて表現できるといいが自分には苦手だ。ことばで表現する、音楽で表現する、楽器や歌で表現する、身体で表現する、何でも自分らしい分野で表現できるといい。
音楽の上手い下手はちょっとした匙加減で豹変する。柔らかい力の抜けた厚みのある温かい音質で演奏されたら老若男女誰もが立ち止まってしまう。世界中そこかしこにあるストリートピアノでもそうだ。なぜ音楽に感情的に即時反応してしまうのか。いろいろとその原因を追求してみた。
おそらくそれは琴線に触れるからだろう、という自分なりきの答えには辿り着いた。