36冊目. 人生生涯小僧のこころ
「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)とは、険しさを極める山中を1日48kmをおよそ120日、9年の歳月をかけ、1000日間歩き続ける実修実験である。この期間中、何があっても決して休むことは許されない。もし休めば自分が持っている短刀で腹を切るか、紐で首を吊らなければならない。そんな死と隣り合わせの9年間で感じたのは「足ることを知ること」そして 「人と思いやること」の2つが人生で最も大切だということだった。
世の中には、理不尽が横行している。昨日は正解だったことが、明日には違っていて、怒られたり、呆れられたりすることだってある。無理なことをやれと言われて、当然できずにいると叱られる。そんな経験はきっと誰もがする。でも、そんなときに「これは神様が与えてくれた試練だな」そんな風に思うことができれば、きっと自分の成長に繋がるだろう。そう思うのは簡単だが、実際に心の底からそう思い、相手のことを憎まずにいられる人がどれだけいるだろうか。著者の塩沼亮潤(しおぬまりょうじゅん)も例外ではなかった。千日回峰行の途中には、彼の前に自然が猛威を振るう。豪雨で道が崩れて通れないこともあるし、雷が真横に落ちることだってあった。しかし、彼はそれすらも自然の定めだと受け入れ、自分の成長の機械として捉えた。
彼の志は清く、正しく、どこまでも高いように思えた。9年間の千日回峰行を満行した。翌年には、断食、断水、不眠、不臥(横にならないこと)を9日間に渡って実施する四無行を達成した。これらの過酷な修行を全て満行できたのは、彼が自分の為だけではなく、世のため、人のためを思っていたからだと思う。修行中、どんな過酷なことがあっても今の自分よりももっと苦しい思いをしている人がいる。それを考えると自分で決めた修行をやらせていただいている自分なんて幸せだと、彼は考えていた。自分が本当に精神的、肉体的に相手を思いやることができるのは簡単ではない。それができるからこそ、どんな状況も乗り越えられたように思う。
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