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【創作】桃じゃないよモモだよ
桃を食べに行くはずが、僕は錦糸町のインド・ネパール料理店に立っていた。店に誘ったのはタツヤだ。
「なんでインネパなんだよ」
インネパとはインド・ネパール料理の略だ。タツヤのエスニック好きに絆されてすっかり僕も専門用語に詳しい。タツヤは誇らしげに腕を組む。
「ここのモモがうまいんだ」
「いや、フルーツパラダイスとかを期待してたんだけど」
「俺がそんなとこ行くと思うか?」
タツヤとは社会人バスケットボールサークルで知り合ったが、彼は最近辞めた。リバウンドをミスし、顔面にボールを受けて鼻を骨折したのが原因だ。高い鼻が折れて会社でも笑い者になり、二度と怪我をしたくないと引退した。今は治療中で、バットマンのようなマスクをつけている。その姿が彼の発言をいちいち悪役との密談のように感じさせる。
「モモって、マスクのせいで変な発音になってない?」
「モモはモモだよ」
「わけわからん」
店に入るとクミンやバターの香りが鼻をくすぐった。
僕が
「今日はワインの気分だから」
と言いかけてる最中で
「タンドリーチキンとサグカレー、チャツネとモモ! あとナマふたつ!」
タツヤが厨房に大声で叫ぶ。日常会話でも大きな声が響き渡り、大机のネパール人の家族たちがこちらを振り向いて一笑いが起きた。
「ちょっとちょっと! ワイン頼みたかったんだけど」
「モモにはビールだろ!」
「桃にはワインだろ!」
すぐにビールとパパドという名前の豆の煎餅がお通しで、到着した。
仕方なくビールで乾杯し、パリッとしたパパドをつまむ。占いに使えそうな割れ方をしたパパドを見て、今日は「大凶」だと僕の中のインチキ占い師が占いをする。
「で、何かあったの?」
適当に話を振ると、タツヤは
「結婚すんだよ」
と言い出した。マッチングアプリで出会った彼女だという。デジタルに弱い彼が本当に頑張ったのだと思うと祝いたい気持ちになる。
「だからヨオ、モモ食おうってことなんだ」
「なるほど分かるけど、なんでインネパなの?」
「インネパだからいいんだよ」
普段、タツヤは「インネパはどこも味が同じ」と言って敬遠するのに、今日はなぜか意気揚々としている。理由はわからないが、これから特別な料理でも食べるのかと思って適当に流した。
料理が運ばれてくる中、ついにモモが登場した。小籠包に似た料理が丸皿に花形に並べられ、中央にはソース皿が添えられている。
「なるほど、これがモモか」
僕はタツヤの謎の発音に納得した。写真を見ていたら勘違いしなかっただろうが、エスニック飯を食べるときはメニューを見ないと決めていた。
そして想像と違う結果に驚いたのだ。
「モモは特別な料理なんだよ」
とタツヤは言う。
「日本じゃ普通に食べられるけど、ネパールでは特別な日にしか出さない料理なんだ。朝から皮に肉を包んで一日がかりで料理するんだよ」
「だから今日なのか」
「そう、俺は特別な日にしか食べないと決めてるんだ」
モモを口に運ぶと、独特なスパイスの香りが広がった。食感は日本の小籠包に似ているがアニスのような甘い香りが別の食欲を引き出す。赤ワインが合いそうだと思った。
「それにしても、桃だと思ってた僕の気持ちは返してほしい」
タツヤは笑いながら
「モモはモモだ」
と繰り返した。彼のこだわりに押し切られる形で、僕は次第にモモを気に入り始めた。後で調べてみると、ネパールでは他にも特別な日にしか食べられない料理があるらしい。
白米がかつて贅沢品だったように、価値観は時代と共に変わる。そんな中で、タツヤの「ハレ」を守る姿勢は立派だと思った。でもやっぱり、桃は食べたかった。