病は突然に〜①手術の後はツラいよ。
今日(2020年11月2日)で肺の手術してから早いもので1ヶ月が経った。
今年もあと1ヶ月とちょっと。全世界的には「新型コロナウイルス」の年だったこと間違い無いけれど、私にとっては年始から始まった体調不良〜病と真正面から向き合うことになる1年だった。突然の血痰、久しぶりの病院通い、入院、手術の経験。なにがどうなって私のカラダに現れたのだろう、これからの人生このカラダとどうやって生きていこう、という頭の中のぐるぐる。備忘録的に書いてみようと思う。
階段が下りれなくて泣く
10月9日に退院してからの日々、最初は嘘みたいに不自由だった。
右の肺を手術したので、脇の下からざっくり8センチ近い長さの縦に走る傷、その下に内視鏡を通すための2センチほどの穴を縫い合わせた傷の2つがある。切った傷が痛いのがわからないくらい、手術の時に触れざるをえなかったからという神経痛による痛みがものすごい。場所は、右のおっぱいの下から脇にかけて。
神経痛なんて生まれてこの方なったことがなかった。なんて表現したらいいのか。体があるボジションに来ると、患部が破れる感じ、電気が走る感じ、一瞬のことなんだけど、涙が出るくらいのショック。
病院から帰ってきた晩。階段を前向きに降りると痛みが走ることに気がついた。うちはスキップフロアという中2階がダイニングで、1階にトイレや寝室がある作りになっている。階段が降りれない。泣けた。どうやってトイレに行ったらいいのだ。えーん、とうずくまっていたけれど、誰も代わりにトイレに行ってくれるわけじゃない。横を向いて蟹さん歩きで1段ずつそろりそろーり下りることで、痛みが出ないことがわかり、そこから毎日蟹さん歩き。
いきなり介護の夜
横になる時、起き上がる時もすごく痛い。入院中、病院では自動で頭の部分が上がったり下がったりする素敵なベッドがあった。家に帰った時に困らないようにと、リハビリの先生と一緒に寝起きを練習した。クッションをしきつめて、そこにダイブ!すれば大丈夫なはずだったんだけど、痛い。なので新しい方法を編み出した。
まずベッドのヘッドボードにクッションを3つ。座る。ずりずり足で仰向けになるまで下がる。寝るときは良し。しかし夜中にトイレに行きたいときどうする?ここは甘えよう!と隣に寝ている旦那さんを起こしヨイショ、と首から背中を支えてもらってお山ずわりの姿勢までサポートしてもらう。
日中も、家事がほとんどできないわたしに代わり、仕事を普通にして家に帰ってからいろいろをこなす旦那さん。疲れているはずなのに、夜中声をかけると機敏に起き上がって抱え上げてくれる。本当にありがたい。
しかし数日経って抱えてもらった時、痛みが走った。申し訳ない。お願いしてるのに、「痛い」とか言えない。「自分でなんとかしよう」クッションずりずり方式の逆をやって起き上がることを練習した。できた。これで何とか、気をつければ激痛を感じなくて済むようになった。
こんなことになるなんて!
何て事でしょう。この不自由さは。手術前のことを思い出す。何でも自分でできていた。手術することになった原因についての不安はあったけど、何でもできた。自由だったよ私。こんなことなら手術なんてすべきじゃなかったーーー!と叫んで!はないけど、日記に力強く書いた。
不安になって「肺術後 痛み」とネット検索してみれば、「1年以上続きます」と余計不安になる情報ばっかり。痛みが与えるダメージは想像以上に大きいのだと体感。医師によるALS嘱託殺人のニュースが思い浮かんだ。是非はともかくとして痛くて生きていられないというのは本当に当人にしかわからないのだなと。
お先真っ暗や…。絶望的に感じていたけれど、私にもちゃんと回復力が備わっていました。ちょっとずつビリビリするような痛みがなくなり、「今日は1日に3ビリだった」、「今日は2ビリだった」とカウントしていくうちに、1日に一度もビリが無くなったことに気がついたのが、退院して一週間が経った日。
まだ痺れはある。雨が降るような天気では時々シクシク痛い。しゃがんで風呂掃除をするような体勢だと痛い。でも退院当初に比べたら劇的に回復した。気持ちは落ちていたけれど、ぜったい治りたい!と毎日散歩に出かけ、近くの氏神様の鳥居前まで行って心の中で「どうか治りますように」と呟き、人に見られると恥ずかしいから心の中で手を合わせて帰ってきたのが良かったのかもしれない。
そもそもなぜ、肺の手術をすることになったのか。あれは正月のことだった。
次回に続く。