【母の呪い】の正体
2019年 12月6日。
NHKの『あさイチ』で話題になった、
【母の呪い】。
まず、思い出して欲しい。
「胎児であった私たちを産むかどうかを決めたのは母親」である事を。
不倫関係の末に出来た子供で、
男性や親がいくら「中絶してくれ」って頭を下げても、怒鳴っても哀願しても。
最終的に“産むかどうかを決める”のは母親だ。
私たちを産むかどうかを決めているのは母親だ。
私たちの生殺与奪を握っているのは母親だ。
*
私たちの生殺与奪を握っている存在…………つまり、【母親は神】なのだ。
幼い私たちにとって、【母親は神】なのだ。
例えシングル家庭でも、ステップファミリーでも。
母親が毎日楽しそうに笑っていて、自分の人生を満喫していたら、子供は安心する。
だって、『神が楽しそうに笑っている』のだ。
『神が楽しそうに笑っている』世界が苦痛なわけがない。
反面、実の両親が揃っていても。
経済的には裕福な家庭であっても。
母親や常に怒っていたり、悲痛な表情を浮かべていたり。
父親や舅、姑の顔色を窺って怯えていたり、不満や愚痴をこぼしていたら…………。
子供は“この世界は地獄”だと思う。
だって、『神が怒り、悲しみ、怯え、人間への憎悪と呪詛(愚痴)をこぼしている』のだ。
そんな世界が平穏なわけがない。
『自分は恐ろしい地獄に産まれてきてしまった』と、子供は認識する。
そして、
“神である母親”はもちろん。
“神である母親”を怒らせ、悲しませ、怯え、憎悪させる存在である、
・父親
・祖父母
・家族
・近所の人たち
の顔色を窺い、必死に頑張り、我慢して、
『良い子』であろうとする。
自分の生殺与奪を握る、“神である母親”が周囲を敵視しているのだ。
神が敵視している存在が『自分の命を奪わない筈が無い』。
だから、
・他人の顔色を窺う
・他人の評価を気にする
・他人に好かれようとする
・他人に気を使う
・必死に空気を読もうとする
・他人に合わせる
・自分の気持ちを抑え込む
・自分の感情を抑え込む
・自分の本音を押し殺す
・我慢する
・“他人の望む自分”であろうと頑張る
・“他人の望む自分”を必死に演じる
だって、『そうしないと殺される』からだ。
『良い子』という評価を貰えないと、殺されるからだ。
処刑を免れる為に、必死に『良い子』を演じる。
褒められると一時的に幸福感を得られるけれど、またすぐに恐怖感に苛まれる。
だからこそ、「また褒められる為に頑張ろう」とする。
自分のキャパをオーバーしていても頑張ろうとする。
*
だが、当然だが。
実際の所、【母親は人間】だ。
私たちと全く同じ、人間。
神ではなく、人間だ。
だから、完璧ではない。
間違うし、つい感情的になって愚痴ることだってある。
人間だから、当然そういう時もある。
いくら子供たちが“母親は神である”と認識していても。
【母親は人間】である。
どうしようもなく、人間である。
それを確認するのが反抗期だ。
子供は反抗期を迎え、
母親に本音をぶつけ、
母親に感情をぶつけ、
母親と衝突する事で、
『母親は神ではなく【自分と同じ人間】である』
と、認識を改める。
そして、母親も自分と同じ人間だからこそ。
悩み、迷い、怯え、時に間違えるのだと気づく。
そう、つまり『母親の言葉が全て真実ではない』事に気づく。
同時に、他人の言葉や評価も真実ではないと気づく。
他人だって自分と同じ人間だ。
悩み、迷い、怯え、時に間違える。
だからこそ、
・言うべき言葉をハッキリ言えるようになる
・自分のキャパを把握して、NOと言うべき所ではハッキリNOと言えるようになる
・他人の言葉や評価に翻弄されなくなる
・自分も尊重しつつ、同時に他人も尊重できるようになる
…………つまり、“大人になる”のだ。
反抗期は【神である母親】からの卒業式だ。
*
ここで、『あさイチ』で話題になった【母の呪い】に戻る。
「『あんたは幸せになれない』。いまだに呪いの言葉として残ってます」
何故呪いの言葉として残ってしまうのか?
答えは意外と簡単で、“反抗期に至る事が出来なかったから”。
母親が毎日楽しそうに笑っていて、自分の人生を満喫している家庭であれば、問題なく反抗期を迎える事が出来る。
ちなみに、“毎日楽しそうに笑う母親”というのはカラッと怒って、ワッと泣いて、すぐ立ち直って笑顔を浮かべる母親の事だ。
四六時中愛想笑いをしている母親とは違う。
そして、このタイプの母親はすぐ立ち直るので子供は強いと認識するし、愛想笑いではない本気の笑顔を向けてくれるので、子供は“母親の愛と母親との絆が絶対に途切れる事が無いと確信する”。
だから、このタイプは安心して反抗期に進む事が出来る。
・母親は自分が多少の暴言を吐いた程度では絶対に折れないし、仮に折れても立ち上がる強さを母親は持っている。
・自分が多少の暴言を吐いたとしても、母親は自分を愛し続けてくれるし、その程度で途切れる程、自分と母親の絆は脆くはない。
こんな
『母親の強さに対する信頼』
『母親の愛に対する信頼』
『母親との絆に対する信頼』
が、あるからこそ。
安心して反抗期を迎える事が出来る。
逆に言えば、母親への『信頼』と『安心感』がなければ、反抗期を迎える事が出来ないのだ。
常に怒っていたり、悲痛な表情を浮かべていたり、愚痴をこぼしている母親とは、この『信頼関係』と『安心感』が築けないのだ。
このタイプの母親に育てられた子供は、
『母親は自分の生殺与奪を握っている』
という恐怖感に支配される。
つまり、
・母親に逆らう事(嫌われる事)は殺されるのと同じ
・母親が自分の言葉に傷つくのも殺されるのと同じ(生殺与奪を握っている母親が死ねば、当然自分も死ぬ……という感覚に苛まれるから)
であるので、反抗期を迎える事が出来ないのだ。
反抗期を迎える事が出来なかった場合、【母親は神】のままだ。
反抗期を迎える事が出来なかった子供は、【母親は人間】だと認識することが出来ない。
つまり、母親の言葉は神の言葉なのだ。
神の言葉だから、絶対に守らなければならない。
『あんたは幸せになれない』
という言葉でも、神(=母親)の言葉は守らなければならない。
自分の生殺与奪を握る神(=母親)の言葉なのだ、守らなければ、従わなければ自分は死ぬのだ。
だから縛られてしまう。
【母の呪い】の正体だ。
*
『あさイチ』では、博多大吉氏の
「FAXを紹介したということで、これをもって呪いが解けたということで、よろしくお願い致します。お幸せに」
という言葉で終わっている。
実際、反響も大きく、
「私も【母の呪い】が解けた」
という声がネットやSNSから上がった。
ただ…………残念ながら、
“呪いは解けていない”。
反抗期を経て、【母親は人間】だと認識しなければ、呪いは解けないのだ。
母親の言葉を【呪い】と断じている時点で、解けていない。
母親が、人外の何か(=神)であるから、【呪い】という言葉が出る。
【呪い】という言葉を使ってしまっている時点で、あなたにとってはまだ【母親は神】だし、人生を母親に支配されてしまっている。
真の意味で【母の呪い】を解く為には、母親と向き合わなければならない。
『あさイチ』は“解決”ではなく、“問題提起”だったのだ。