心の拘束と精神疾患

※これは私独自の経験に基づく主観解釈でしかありません。
「そういう見方もある」程度で捉えられてください。


精神疾患には様々ある。先天であるか後天であるかからも違いはあるだろう。
しかし日常生活で他者の介助が必要レベルまで悪化する類(知的などは敢えて除く)であれば、それはその前段階である「心の自由が抑制され、その活動が拘束状態になる」部分にこそあるように思える。

気分が自由で好きな事をやれていて、毎夜布団にもぐり「明日は何をしよう!」と考えられる様な人生で、果たして鬱や統合失調症の様な疾患を得られてしまうものだろうか。
気分が落ち込んだりあるいは明らかに脳機能がバグを起こしているような状態に陥ってしまうのは、その人の脳が自由を感じる事が一切出来ず常時ストレスにさらされ続け、結果的に脳機能が委縮してしまったりしているのではないかと思える。

個人的な話になるが、私はスポーツ自転車に乗るのが好きなのだが、100キロに及ぶサイクリングから帰宅した時はとにかく疲れ果てている。
それは筋肉の疲れはもとより、乗っている間中常に周囲の状況に気を配りながら緊張状態を維持し続けているからだと個人的に解釈している。
つまりは前頭前野が過活動状態なのが5時間近くに亘って筋肉の運動とは別に継続され続けるのだ。
これでは終了時にヘトヘト疲れが襲っても何ら不思議ではない。と思う。

しかしこれは一時的な心理の抑制状態の話。
こう言った抑制が、つまり心の自由を奪う様な状態が日常常態化しているとすれば、その人の脳の疲労レベルはいかばかりであるか。
脳もタンパク質で出来た細胞と解釈し、例えて言うのであれば、その人の脳は常時止まる事無くランニングを続けているようなものではないのだろうか。
精神や心理を生み出し発露するのは所詮脳細胞の電気的運動の結果でしかなく、その脳機能が異常ストレスにさらされ続ければ、その先にある精神や心理が狂ってしまうのも何らおかしな話ではない。と思う。

先に自転車の話が出たが、私がかつて統合失調等を発症しそれが長きに亘った結果人生を9割以上放棄した心持だった、それを脱せたのは今思えば狭い部屋に閉じこもり鬱屈とした空間でその時間を過ごすストレスからの解放だったのだろうと、それはハッキリと断言出来る。
それほどまでに、初めて自転車で数十キロ先の海岸に行き、そこでコーヒー片手にカロリーメイトを齧りながら水平線を眺めた時の気持ちは忘れられない。

ここまで個人的な話に終始してしまったが、今気持ちの鬱屈さに潰されそうになっている人は、何か一つで良いから心が・気持ちが少しでも解放される何かを持つと良いのかもしれない。
それをやれば今のヤバい状態が一気に解消されるそんなうまい話はありはしないのだけれども、何か僅かな事柄でもその人の押し潰されそうな鬱の重力をフッと軽くしてくれる事柄があってくれれば、それだけでも明日に繋がってくれるのかもしれない。

とは無責任な言い様なのかもしれないが、それでもかつての自分を救う様な気持ちでそう言いたくなってしまった話である。

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