教育の問題?


唐突に動画を貼った。
私はこういった雄大な自然の中をスポーツしている動画が好きだ。
日本だとゲームの中でしか巡り合えない様な、嘘の様な広大な景色の中を存分にスポーツする。
なんて羨ましいのだろうと心底思う。
…正直、この手の動画を見るたびに海外で数年暮らして、その間に大好きな自転車で山岳を海岸を平原を存分に走ってみたいと思う。


で、記事タイトルだ。
上の動画をある程度見た人なら、何となく感覚で分かってもらえるかもしれない。
海外と日本にある知能の差、と言うよりは感覚の差って本当に教育だけのものなのだろうか?
動画のような風景は海外でもある程度意識をもって出向かなければいけないかもしれない。
しかしそれでも、日本の様に狭い住まいに狭い道路に狭い町。大声を出したきゃカラオケにでも行くしかない様な生活。子供達が騒いで走り回れるような環境なんて、自然公園にでも行かないとそうは無い。
私自身、自転車で数十キロ離れたそういう環境に行く事がある。そこでは大人も子供も皆声を出し走り回り自由に楽しそうにしている。
あれが本当は物理的肉体を持つ人間の、正しい姿在り様なんじゃないだろうか?

狭い家の中に押し込まれて、休日は日がな一日スマホやPCに興じる。興じられればまだ良い。退屈を紛らわす。
生物の身体は動く為に万年単位どころではない時間をかけてあり続けて来た。それが現代はその物理的進化の在り様に対して、唐突かつ急激なブレーキをかけたようにも思えてしまう。

与太話だと思われるだろうけれど、私には現代の精神疾患の蔓延の大きな原因にそれがあるような気がしてならない。
神経細胞は脳のみにて機能するに非ず、それらは手足指先内臓臓器くまなく張り巡らされているのだ。しかもそれは先に述べた様な、凄まじい年月をかけてデザインと更新を繰り返してきたのだ。
その使用環境が、わずか20年か30年程度で人類史に無かったような劇的な変貌を遂げている。
であれば、人体に何らかの凄まじい急変が起きる事にそこまで違和感は持てない。時速100キロ以上で走っている車が、突然ベタ踏みのブレーキをかければ一体どうなるのか…と言う話。


さて、話が大袈裟になり過ぎた。
とにもかくにも、私も生きている内に一度でも良いから動画の様な凄まじい風景の中を思いっきり自転車で走ってみたいものだと思う。
「旅に出れば何か変わる」
小ばかにされがちな観念論だろう。でもあれらの動画を見ていると、あながち嘘じゃない気がしてくる。
自分が普段見て感じている風景と比べられてしまうからだ。


あぁ、小難しくそれっぽい事を延々と語ってしまったが…
詰まる所「ウラヤマシ~!」なのだ。

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