親への怒りと遺伝子のアップデート
注意:この記事で書かれている事の大半は、私の経験に基づいた主観論でしかありません。
読まれた方が内容をどのように判断するかは個々人の見識とそれに基づく見解に依存されますので、その点はご留意下さい。
昨今「毒親」やそこからくる「親ガチャ」と言う言葉が流行って随分経つ。私自身もご多分に漏れず、毒親と言う言葉に魂が縛られていた一人だ。
そもそもが産まれた時点で私は発達障害であり、物心つく前から周囲の子達と違う振る舞いを見せていたらしいので、私の人生の歪さは正に遺伝子の成せる業と言えるだろう。
しかも片方どころか親二人揃っていかにもそれっぽい人間性を見せていて、そうなればもう笑うやら呆れるやらである。
「一家揃ってかよ!」
てな具合に。
そんな私も幾多の葛藤の苦悩やそれを両親に対してぶつけた経緯を以て、今はほぼそういう気持ちは無い。
あるとしても、その問題は私の人生の問題でありそれは今自分の人生を生きる私が解決しなければならないと自覚しているので、私自身の内にある種々のトラウマを生み出した特性は自身で向き合ってトライ&エラーの日々だ。
ここまでは前振りで、ここからが本題。
前述の通りの経緯を辿って、今の私がこの記事のタイトルにある事を独自に考察してみた。それは
「親への怒りや憎悪等の巨大な負の感情は、親から受け継いだ自分の遺伝子が、自らに”お前が抱くその負の感情の源になるポイントを、お前自身が改善しなければならないのだ!”と訴えているのでは?」
と言う感じだ。
生物は環境に適応する為に、世代を経て徐々にでも確実に遺伝子の情報を更新し続ける存在だ。(個体単一で成す者もいるが、それは別の話)
ではその遺伝子情報の改善点とはどうやったら知れるのだろう?自宅で脳味噌にUSB端子をブッ挿して身体情報をデータ化し閲覧する訳にもいかない。
では、と考えた時に、その人がこれまで生きて来て
「自分はこの性質があるせいで、人生が上手く行かないんだ」
と強く実感してしまうそこにこそあるのではないかと思い始めた。
そしてそれが
「自分の親がこんな遺伝子をくれたばっかりに!」
とか
「親があんな風だから自分の人生は息苦しくて思い通りにやれないじゃないか!」
と言う感じで理屈を超えた直情的感情で理解させられるのではないか。
この考え方は、素人が容易にゲノム解析を日常でやれない事を考慮すれば、それなりに分かり易い判断要因足る気がするのだ。
何せその人の遺伝子情報は、約50:50で今アナタが心底大嫌いな親成分なのだから。
生き辛さしかない特性特質を抱えて、それでも死ぬ事も出来ずにヨロヨロと足を引きづり続けるような人生は本当に辛い。
それでも死ぬ事は出来ない。余りにも怖過ぎるから。
ならば地獄の様な現在の生に、些細でも生きる希望、あるいは甲斐の様なものがあれば、少しは・多少は・ほんの僅かでも「頑張ってみよう」と思えたりもするのかもしれない。
とは言え…
「しんどいよなぁ…」
と嘆息洩らしつつ部屋の低い天井を見上げて呟くしかないのだけれどもね。