見出し画像

【短編小説】転生人格権及び救護に係る法手続き #2

就籍届出生届



 早朝訪れた市役所はすでに混雑していた。

 まず死亡届を記入しようとも自身の肉体の所持する名前も住所も何も知らない。身分証明はもとよりほとんど裸一貫であったのだ。いっそ警察にでも行き自身の顔写真を撮影し尋ね人として失踪届を出すのが先決だともおもわれる。

 書くべき情報を知らずペンをいたずらに回している男に係員が近づいてきて、
「死亡届には、死亡診断書か死体検案書が必要ですが」と言った。

 男がまごついてるとすかさず、
「災害でお亡くなりになったんですか」と続く。

「まあ、災害というか……」

「災害ではないんですか?」

「厄災というか……」

「失礼ですが、亡くなった方とのご関係は?」

 男には関係性というものがわからなかった。肉体と精神の関係性。自分と自分の関係性、それがわからなかった。

「転生……」

「では、関係者に家主と書いてください」

 家主とはちがうだろう、借りているのはこちらなのだ……だが、所有権が譲渡されたっていうのなら、家主になりうる資格はあるのかもしれない。と、そうなるとますます元権利者との関係性が曖昧になってしまう。たんなる瑕疵担保責任だけのつながりにすぎないわけで、……まさか屋号ののれん分けの責任を俺が負うわけでもあるまい。……とあたまを悩ます男に、とにかく家主と書いてくださいと係は言って、次に、
「保険証はお持ちで?」

 ああ保険証ね、と男は身体をまさぐったあと、忘れてきてしまったみたいだと答えた。

 係はうんざりしたように顔を顰めながら、
「ですから、遺品のなかに保険証はありましたか?」

「いや、その、死んだときはほとんど裸一貫でね」と言って男は笑ってみせた。

 病院の脳外科に行きMR検査を受けて診断書をもらうよう、うながされた。紹介状をうけとり、外で待機していた青年のルークに乗って病院に向かった。

 東脳の都市部は人と車両の往来が激しい。路上は煤けたバイクが所狭しとメダルゲームのように押し合い、錆びた中古車は道を塞がれている。空には反重力車が、立体状に絡み合うビルの隙間を蜻蛉のように縫いながら飛んでいく。信号というものは前方左折右折のためのものだけでなく、上下、上下斜め前方への移動の進行を包括するので、交差点はキューブ状の立体ブロックとして捉えなければならない。交通情報表示板という、地面と垂直に掲げられた錆だらけの2D標識が名残として存在するが、それをそのまま適用した場合、人間の目は上の矢印の通行許可をそのまま上昇可と認識してしまうせいで、標識という標識が空路に敷かれた可視性の高いホログラムの色によって信号に代えられている。二幅ほどの青色の線がメーターが貯まるかのように直進上に伸びるのに従い、車も律儀に直進しだす。わずかでも逸ればビープ音が鳴り響く。

 青年は空中露店で熟れた丸い赤い果物を買ってかぶりついた。

「昨日、僕のまさに目の前で魂の死が起きてしてしまったんだ」青年はハンドルを回しながら言った。「そして今はまるで死体遺棄の共犯者みたいに死体を運んでいる気分だ」

 皮肉、恨言の色を男は感じた。
 青年は話した。別人の身体に別の人格、ここで言う魂が宿ることは、当人にとっては生誕、転生ではあるものの、元の魂にとっては離魂、死であり、転生者は魂の殺人者と同義であった。

「さていよいよ僕もわからなくなる」青年は自身に言い聞かすように言った。「今の人格が生来のものか神によって暴かれた新しい人格なのかがね。昔の記憶を失ってしまっているだけで、今の僕が別の自意識ではないとはたしてどうやって証明できようか。自意識は身体に脳に心に魂に、何に宿るのだろうか」

 青年はベレー帽を深々とかぶり、ベージュ色の薄手の外套を羽織り、シフトレバーのそばに剣を立てかけていた。興行用の模造刀である。

「母の卵子に別の或る精子がコンマ一秒早く卵子を突き破っていたら別の自意識を持っていたのかと考えてもしかたないと思うけどね」男は乾いた声で自虐的に笑った。「どこかで黒煙が立ち昇るとき、べつのどこかで産声が聞こえる。あんたも新たな誕生を祝ったほうがいいかもしれない」

 青年はため息を吐き、アクセルを強く踏んだ。

 病院のエントランスは四五階にあった。

 まずさまざまなテストを受けることとなった。一二◯項目の心理テスト、言語記憶検査テスト、認知症テストにロールシャッハテスト。バビロンの塔のパズルに取り組み、積み木で遊ぶ。あなたはあなた自身を誰だと思っていますかという脅迫的な質問。俺は俺だというコギトエルゴスム的な返答。ようやく次に脳の断面図をとる。最後に毛髪を採取されDNA検査をさせられると、ものの一時間で結果がでて過去データと照合させられたが、データ無しという結果に終わった。医者がエラーだとつぶやいたのを男は聞いた。

「最後に質問ですが、異精神の自認はありますか」と医者は尋ねた。

 男は長らく口籠もり質問の圧迫感から逃れるかのように、はいと答えた。

 診断名は恒常性トランスです、と医者は言った。つまり転生です。

「治せるんですか」と男は尋ねた。

「今の医学では残念ながら」

 と医者は答えて、引き出しからいそいそと転生神語第六号をとりだし、男に渡した。第六号は転生後の生活について特集されている。

 右欄の医者記入欄に診断書の記載された死亡届を市役所に提出した。作成者欄の記載についても戸籍を得ていないため自身の情報を書くわけにはいけず、名前欄に死亡名義人と同じと記載した。死亡名義人は仮でKと記載した。

「鑑定書は?」

 男が提出すると、

「照合データは?」と質問される。

「もらえなくって、その……」と男は言った。

 一般人であればDNA照合によって身元を確認できるらしい。照合なしという結果は係員も初めての対応らしく苦虫を嚙みつぶしたような顔で名前と住所欄を睨んでいた。とにかく名前を書いてくださいと言われ、男はケイと記載した。ぶつぶつ言いながら係員は死亡届を裏にもっていきしばらくすると死亡届は受理された。

「この度はご愁傷様です」と係員は言った。「次は就籍届ですね」

 むかしは家族による失踪届その三年間後の失踪宣告、転生人格権確認訴訟、家庭裁判所を通さなければならなかったが、賢者様と呼ばれる権力者の働きが功を奏して、就籍届出生届の即日受理が可能となった。就籍届けの申請中、自己死亡届提出による注意点という文書を読んだが、元の肉体の所有者に係る権利関係の内容だったので男には関係なかった。

 一、遺産相続の承認は二十八日以内。
 二、相続する財産がある場合、転生者は遺留分の五十パーセントを有する。又、生活最低限の金銭を引いた額を、家庭裁判所が半年間管理する。
 三、負債がある場合、自己破産の規定を準用する。

 これらの内容から察するのに、転生を偽っていることと、再転生の場合を危惧しているようである。

 待ち時間にソファで座っているところ、戸籍課で手続きを終え出口に向かう女の影。その女を目で追うが、ちょうど男はケイという新たな名前を窓口に呼ばれた。すでに女はすがたを消していた。

「おめでとうございます」と係員は言った。

「今日は自分の遺影の前で線香の刺さったバースデイケーキでも食う日かな」

 軽口を言ってみたものの、自分で自分の死亡届を出すという稀有な経験。どうせ赤の他人だとたかを括っていたが、実際にK様の死亡を受理いたしましたと述べられたとき、男に自身がKを殺してしまったのだという罪悪感がのしかかった。だが意外に彼も転生して案外現世で楽しくやっているかもしれない。現世……なかなかどうして記憶が結びつかない。なぜ俺は死んでしまったのか。となると、Kもおなじようにここで死んで、俺とおなじような孤独を味わっているのかもしれないと考え、都会の片隅で震えているKに、男は思いを馳せた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?