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【中編小説】死願者 #4

第四話 予感



 電話がかかってきたのは昼休みも終わるころだった。留守番電話にふきこんだ、『やあ、どうしているのかなって思って。いや、すこし心配になっちゃってね。大丈夫ならいいんだ、でも一応心配だから、もし時間あったら……』というメッセージを聞いたらしく、『仕事終わりに寄ってくださらない』と女が返事をしてきたのだ。

 はじめて明かりのもとで女の化粧姿を見た。なんの意図があって、化粧をしてきたのか、薄い口紅がひかれている。はなしによると、「べつに用事があったとかじゃないの、ほら、あなたのまえであまりに節操ない姿でいるのもあれだと思って」ということだった。タイミングがよすぎて薄気味わるい。男の中でかたまりはじめていた女の像が更新され、その美しさを再評価せざるをえなかった。玄関のとびらを開けた女の姿は、男の中の理想的な薄幸美人像と合致していたのである。

 部屋に招き入れた女は開口一番、「ねえ、映画を録画してあるの、あとで見ない」それから男は、最近うじゃけた生徒のことや、生徒に媚びる体育教師のこと、仕事の文句しか話さない女教師、完全癖だが指のガングリオンを放置する用務員、小児愛のきらいがあると生徒に揶揄されている学年主任のことを話し、女は熱心に相槌をうちながら聞いていた。

 女のほうはというと、とくに話すことがなさそうで、会話が途切れたおりにとつぜん、
「ご飯つくってあげる、何が食べたい」

「くじら」

「わかった。買ってくるから待ってて」
 それだけ言うと、小走りで外に飛びだしていった。

 鳥のいない鳥籠、女の部屋、ひとりきり。つぶやいてみた。信頼されているとも受けとれる。窓から外をながめると、近くに高い建物がないため川が見え、橋には私鉄が走っているのがうかがえる。川を見ていたら乞食のはなしを思い出した。上流から自殺者が流れてくるというはなしではあったが、上流は男も何度か行ったことがあった。むかしから川遊びの場となっており、水深が深いことから飛びこみの遊びなども盛んである。岩肌がむきだしになった岩壁から飛びこむ者もいたから、流れたと言っていた遺体は事故の可能性もあるな、と男は思った。

 天板をのぞいてみると、くすりが置いてあった。鼓動がへんな動き方をした気がした。胸のうちが時化ていた。男はそのくすりに見覚えがあったのである。抗うつ剤。男も新任のときに服用していたものであった。二度目の診療はなかった。くすりが手許にありさえすれば、どうしてか安心できたからだ。

 それに、その初回の問診で、ヤブ精神科医にうけた最大なる屈辱があった――

 わたしにはわかります。あなた、本当に死にたいだなんて思ってやいないのでしょう。べつにあなたの物言いが同情を誘うアッピールにすぎないと言っているわけではありません。元来、希死念慮の言語化は重要なシグナルなのです。ただ、あなたは異なっている。自殺志願者、自傷者と自殺者というのは延長線上に位置するものだとわれわれには思えるけれど、心理学上二項対立的存在だと認められています。自傷目的か、自殺目的かっておおいに違うでしょう? 衝動での自傷、理性での自殺。たしかに自傷が延長して死ぬことはあるでしょうけど。
 一般的に自殺を示唆する発言をする者は、二元不合一者という、客観性の欠落に端を発する、簡単に言い換えれば自分の世界にこもりがちという傾向があります。客観性は本来人間が成長するにつれて自然に身につく性質だけれど、だいたい自殺志願者はその領域が未発達、欠如しているせいで――客観性、冷静な目がないせいで――衝動的に自傷をしたくなる場合が多いのです。刃物をもつ自分、つまり客観的な自分。刃物を付けられた自分、つまり肉体的痛みを感受する身体。その二つの関係性をうまく把握できない。だから手首を切ったりして、それを実感しようとする。いわば精神的苦悩を肉体的苦痛の認識へ変換して、痛みを簡略化させる儀式……よくいうでしょう、生の実感を噛みしめるためだとかなんとか、はは。生きていくには痛みを透視する目が必要なんですな。肉体を通行所、ナイフを通行証として、世界と己をつなげて、一体とさせたがるのですよ。
 あなたは、鬱病認定されて生活保護でももらおうって腹なのか、社会をおちょくる道化師か。とりあえず処方はしておきますが、わたしの前で偽り通すことなどできない。あなたは欠けてなんかいない。自己欺瞞に満ち、まるでその目は既に死んでいるように偽装され――

 あの日、意地でも死んでやればよかった。お前の自説なんて大間違いだと証明してやればよかった。しかし、死ねるわけがなかった。あの日、あいつのはなしを聞きながらも、録画してあったSF映画のことを考えていたのだ。



「くじら、安売りでたくさん買っちゃった」
 となりの部屋で女が料理をつくっている最中、おもむろに戸棚の上の剃刀を親指の腹に突きつけてみた。汗のような血が垂れて紅い線ができた。男はほくそ笑む。常備している絆創膏をつけて煙草を吸おうとしたが、絆創膏をつけた親指では煙草が吸いづらく、もちかえてみたら灰のたまった灰皿に落ちてしまった。

 女の鼻唄が聴こえてくる。最近流行りの邦楽だ。男女ツインヴォーカルのバンドの新曲、その女性パートだった。アップテンポな曲調だが、女性パートはシックで鼻唄にしやすい。男のほうも、はげしい男性のラップパートを脳内で奏で、必死に女についていった。

 でも、いのちのうたは、死人にしかうたえない。病人には病人の哲学が、自殺志願者には自殺志願者の哲学がある。男にはなんの哲学もなかった。しいていえば、今さっきこしらえた、自殺予備軍の……

 鼻唄がやむ。女が料理をもってきた。麦酒はやめなさいと言っておいたから、女はコーラを代わりに買ってきていた。女は缶コーラにストローをさして吸っている。

 いただきます。一口食べた。どう? 女が机の下で男のつま先をつねってきた。うん、いい味だ。きみは食べないの。じゃあ、いただきます。ねえ、お願いがあるの。さらにつよくつねってくる。なに。私を殺してくれる。

 噛まれたストローの先は千切れた電線みたいになっていた。麦酒を飲ませておけばよかったと男は後悔した。

「ねえ、生きるのと死ぬの、どっちのほうがあきらめられる」食べ終わったあとに女は食器を洗いながら訊いてきた。

「どっちもあきらめられないから、こうして生きているんだ」

 流水音がやむ。「わりに合わないね」男のほうをふりむいた。

「自殺を止める定型文なんてあったら生きたくなくなるよ」男はうつむく。「でも実際はどうにかしたいさ。死にたい奴は死ねって吐くほどの、楽観的なシニシストになるくらいならさ、死のうとする奴は死ぬほどばかだって往なせるほどの、虚無的な理想主義になりたいものだよ……」

「私は死への近道をさがしているだけなんだから。なんでみんな遠まわりに躍起になるのかしら。私はそんな汲々に生きるつもりないんだから。くすりがあったら、毎日一錠ずつなんてたえられないわ。一日に一年分呑んだっていいじゃない。私は健康って言葉がいちばんきらいなのよ。どうすればあんなくすりを大切そうにしまいこんでいられるのよ」
 どうやら女は男がくすりを見付けたことに気付いているようだった。

 たしかに、健康人ほどつまらない人生はないのだ。事実、なべての娯楽を支えてくれているのは、患者たちの悲劇にちがいない。娯楽を弱者が支える。その構図はまさに、弱者の土台の上に成りたつ強者、といった例のヒエラルキーの構図と似ている。

 帰り際に女は玄関で、「ごめんなさい。わたしまだ混乱してるみたい。あなたがやさしくてくれるから、ちょっといじわる言ってみたくなっただけなのよ。それにあなたに面倒かけるのもわるいから、いっそ見放されたほうが……」と続かせる気もないくせに言葉を途中で止めてきた。相手の反応を期待してのはなしの中断ほど面倒なものはないのだ。

「しょうがないよ。事が事だし、そう簡単には折り合いつけられないさ」

「やっぱりあなたってやさしいのね。他人にやさしくできる人って、人のやさしさをたくさんうけとってきた人だと思うの、そうよね?」
 女はおびえすくんだ様子で男を上目づかいで見つめた。

「よせよ……やめてくれ、おれはやさしくなんかないよ……きみを助けたのだって、交番におくりとどける義務みたいなものだったからさ……ん、そうだ、義務だ!……なんでこんな簡単なことを思い付けなかったんだろうな。そうだ、拾ったものを交番におくりとどける責任は言うまでもないけど、きみの場合、黙殺なんて端から選択肢になかったんだ。死体遺棄とか黙殺も法的に罪だよね。もともと善意なんてなくてさ、義務的な救助にすぎないと思うんだ。善意のない行動に偽善が存在しないことだし、何にもおびえないで、只働きをしたとでも思うことにするよ」

「いいえ、ごまかしてもわかってる。あなたはやさしい人だわ」

 女はそう言って笑った。女の笑った姿を見たのは初めてな気がする。もともと細い目は、笑うともっと細く見えて、何故か胸が熱くなった。

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