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【短編小説】転生人格権及び救護に係る法手続き #3【完結】

勇者


「安心しなよ」

 助手席に乗り込むと青年は声をかけた。男は似合わず辛気臭い顔をしていたのだ。

「死亡届が市役所に受理されれば遺族に通知がいく。きみ……Kくんにも家族はいるだろうが原則遺族には転生者への接触が禁じられる」

「それと安心がどう関係あるっていうんだ」

「殺されずに済むってわけだ。死者を取り戻そうと気が動転して転生者を殺してしまう者がいるんだ」

「自分の家族のナリをしているのにか?」

「家族の皮を被っているだけさ。もちろん戻ってくると信じる遺族もいる」

「なら」

「戻った例は発見されていない」

「なるほど。それは可哀想だな」男は革張りのシートにすっぽりおさまるように沈みこんだ。
「もしKの遺族が謝れっていうならいくらでもあたまくらい下げてやるさ。どうせ下げるのはおれの脳味噌じゃないんだからな」

「謝罪は気持ちでするもんだろう。頭部の重さで誠意が変わるとでもおもっているのか」

「上半身を倒す角度で誠意が決まっているんじゃないのか? あたまを下げる行為の屈辱さを誠意と言うなら、あんたの意見も的を射ているけどね」

「きみはとても偏屈な脳味噌の所持者に転生したようだね」

 俺は俺だよ、他人の下げる脳味噌をその旋毛の上から覗いているのが俺だ、と男は言った、
「なんにせよ遺族の心配は要らないらしい」

 男は病院での始終を話した。

 ──行方不明者の身体。

 青年は男のことをノラであると説明した。ノラは人口の一パーセント未満にあたる、出生時遺伝子操作又は遺伝子提出のされなかった者のことを指す。東脳では出生時に遺伝子を一部デザインされた。

「それこそ卵子をどんな精子が突き破ったとしても産まれる結果にたいした差なんてない。ナリ・・に対する倫理観の崩壊は、転生者が法的に認められる以前に、すでにはじまっていたんだろうね」

 市役所に戻る車のなかで青年は片手運転をしながら鼻を鳴らした。


 青年は「ちょっと歩こう」と言って、ふたり車を降りた。

 スクランブル交差点の真ん中で、青年は刃長六〇センチほどの剣(形状はエストックである。)を手懐けた蛇のように腕の上で弄んだあと、剣先を男に突き付けてみせ、憂いた瞳で剣身を撫でた。その背後の大型ディスプレイには青年が映っていた。


 ディスプレイに映る青年は整髪剤を手に持ち、白い歯をのぞかせている。整髪剤を大空へと投げ飛ばし、すぐに手にもつ剣も空中回転させ、太陽をバックに整髪剤を剣が切りつけ水飛沫がとぶ。落ちてきた剣を片手で華麗にキャッチしたカット。青年の無造作ヘアは爽やかに逆立てた髪型へと様変わったところで、映像は製品名を述べて終わる。目の前の青年にあたりの人々が気づくや否や騒然となり、青年を中心に駆け寄って勇者様勇者様と黄色い声がまじっていた。

「来月の舞い楽しみにしてます」

 青年は群衆、おもに女性らを笑顔でやんわりと制した。いっちょサービスと言い、剣をディスプレイ映像同様、空中回転させ見事にキャッチしてみせる。CGではないらしい。

 青年はひかれる手を振り切って、歩をすすめ、「僕は有名人なのさ」と話した。

 祭事の際は法王の御前で真剣での舞いを披露するらしい。男との同行も、宣伝のための東脳行脚を兼ねていたのだ。

 街には様々な人種が混淆としていたが、それらは男にとって驚くことでなかった。そもそも世界に対する認識、世界のあり方すら失っていたのだから。

「あんたは俺のことを魂の殺人者だと言った。あんたにとっては俺は忌み嫌われる存在なわけだろう? どうして俺の面倒を見るんだ?」

「転生者保護義務を定めた法がある。第一発見者は、転生者が露頭に迷わないよう、面倒をみなければならないといったふざけた決まりだ」

 旧突発性記憶障害者及び転生妄想患者への救護に関する法律。

「魂の殺人に立ち会ったわけだ。理屈として死人を前にして無視するわけにもいかない。それはきみの元の持ち主に対する礼節か、あるいはなんだろう、たまたま開けたコインロッカーに赤子が入っていたときの救命義務感かな。奇妙な感覚が同居している。人並みの生活に戻れるまでこのあとは、支援機構がうまくやってくれるはずさ」

 あたりにはだれひとり剣など携えているものなどいない。だが消失前の世界において剣を帯刀していることが非常識なのかも判断などできない。それは時代によって異なる価値観に過ぎないからだ。

 風車のように剣をくるくると曲芸師さながら器用に回して見せる。重心を無視したような芸当は、肉体と一体化したべつの生物の動きである。

「剣を呑み込む芸当もできるんだ」

 照れくさそうにはにかんだあと、そそくさと外套に剣をしまう。癖になっているらしい。

 男は因果関係の認識を失っているわけではなかった。マッチを擦ったら火が出ることはもちろんわかっていた。だがマッチそのものに対する認識……それが生活に根付いていたから否かの確信をもてなかった。すべての認識がばらばらで散在し、事象を確認してはじめて再結合された。点の情報を線に繋いでも面として立体として捉えようとすると頭痛がした。風が吹けば桶屋が儲かることはどうしてかおぼえていた。

「僕は神職として自分の役割を演じることに人生を捧げてきた。生まれたときから宿命が決まっていた。だが運命論は人を自堕落とさせる。いろいろ言ってはきたが、きみみたいなイレギュラーな存在との出会いは何か示唆がある気がしてならない」

「祭事になんの目的があるか見当もつかないが、おそらくくだらない利権でも絡んでいるのだろう、無駄に梯子の増えた阿弥陀籤みたいに」

「ああ、そうだね」青年は男の先を歩き、振り返ると、「あそこが転生者の聖地、中天ちゅうてんさ」

 青年の背に巨大な球体状の建築物が迫るようにそびえていた。中央の入口へ長い階段が架かっている。中天はそれこそ宙に浮いているように見えた。

 中天を見上げる男はその荘厳さに目がくらみ、茫然と眺めつづけていた。巨大なデーモンコアのようでもあり、天使の卵のようにも思えた。ふいに視線から青年の姿が消え、どさっと鈍い音が鳴る。時間差で周囲が騒然となるのと同時に、目線をおもむろに落とした。
 血の池の中央に横たわる青年のすがたがあった。



 男はずいぶん長いあいだこの一連の出来事にあたまを悩ました。
 青年の死は、東脳市だけでなく世界的なニュースとなった。
 勇者が魔王以外に刺されて絶命したのである。
 記録の証人として召喚された男への事情聴取とその後の新聞記者の取材は三日三晩に及ぶことなった。
 転生者である男への風評は言わずもがな、証拠などなくとも手っ取り早い容疑者としての適性がありすぎた。東脳市警にとって犯人が見つからないなどあってはならなかった。
 男が泣いたのは、青年の死を嘆いたからなのか、この先に待つ境遇を嘆いたからなのかわからなかった。ただ、青年に対して思うところはあったのだ。雛が初めて見た者を親だと感じるような親近感を。
 男が泣いたのは、この世界に産み落とされてしまったことを思い出したからだった。記憶の有無は関係がない。新たな世界に生まれて初めてあげる一声は、産声だというのが相場だ。
 否、その一声は、羊水の海から救助された者にとってせめてものの礼儀なのである。
 産道をずたずたに切り裂いた罪人の。
 誰も否定しまい。

児童による転生人格権確認訴訟 補足意見

 ――転生者の権利。

 転生者による、被転生者の精神の不可逆的停止の訴えは、被転生者が死亡推定時に所謂児童福祉法における児童であったとき、その時点においては、生死が確定されていないということを理由とし、同法に保護するところの精神の未熟さによる制限が適用されることとなり、よって転生者の訴えの権利は、被転生者の反証、意思表示がなしえないことを含め、無制限に濫用されるべきではないというのが妥当であるが、精神については転生者の年齢、精神の発達に基いて判断されるべきである。かと言って、被転生者の脳機能の発達を蔑ろにしていいわけではないことから、性自認における訴えと同様、関係諸法令から導き出すのが妥当であり、転生者及び被転生者両者とも一定の年齢制限を設けることはパターナリスティックな制約として認められるべきである。

 また、転生者はすでに死亡しており、諸権利を喪失しているとも言えるが、転生前の人格において、死亡の確認はすでに不可能であることから、その権利を喪失したと認めることはできない。

 児童による転生人格権確認訴訟 補足意見

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