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【短編小説】転生人格権及び救護に係る法手続き #1

プロローグ

 ――転生。

 記憶喪失者とのちがいは、脳の動きに異常な点が見られるか否かによって判断が可能である。

 憑依と転生のちがいは長年議論されていたが、憑依であれば憑依者の任意の意志によって、憑依、覚醒の切り替えが可能だということから区別されうる。

 つまり元の世界へ帰還したという例は未だかつてないことから、自己統制権を有しながら精神と肉体の後天的な非同一性を自認することを、

 ――その唯一性をもって、転生と呼ぶ。


転生の夜


 南脳市ナノンシで行われました数学の世界大会は、天才数学者の転生者が優勝しました……それでは次のニュースに移ります。
 転生者に父親を殺された女児の続報。母親は父が殺されたとも知らず、父親に転生した者はのうのうと毎晩情事に耽っていたという……女性は男性が転生二十一日目に行おうとした緊縛プレイに疑問を抱き、強姦されたと告訴……
 次のニュース……少女に転生した四十歳ということが認められ、数多くの小児愛者の的に……次……

 テレビから陰鬱なアナウンサーの声……
 ランニングマシンの駆動音……
 漏れる息切れ……



 人々は、肉体に幽閉されている。
 姦通はその器を産む儀式である。
 では精神はどこから産まれてくるのか。
 転生による魂は、どこからやってくるのか。

 精神の交換チェンジリングスがされているという説もあるが、元の肉体を探し当てた例は未だかつてあがったことはない。そもそも脳髄がチェンジリングスされているわけではないのだから、過去の記憶情報を基に探し当てるという、言葉通りの離れ技を実現できた者はいない。それこそ、彼らの証言のとおり異世界からやってきたという、にわかには信じがたい絵空事……それを肯定するのであれば、チェンジリングスがなされたことを肯定する判断材料にはなりうるが、実際は元の肉体という証拠物を提出し権利を訴えるよりも、肉体の占有権を主張し転生者としての権利を訴えることのほうが、はるかに容易なのである。ゆえにチェンジリングスは、非科学的な絵空事を構築し、期待してしまう人々の物語創作欲の一種であると今では揶揄される。そもそもそんな噂が流れたのは、転生者たちの淡い期待からだったのかもしれない。いつか偶然に再度精神の交換がなされ元の世界に帰れるのではないかと、そんな一縷の望み。それほどまで精神と肉体の相互通行性を信じ、その関係性が絶たれてしまうことへの恐怖が彼らのなかにはあったのだ。

 元の記憶は思い出せずとも、彼らは一様に離人症にも似た精神的浮遊感をおぼえ、元の世界という共通幻想を抱きつづけていた。そうでもなければ、ただの記憶喪失として処理されていただろう。彼らのなかにはたしかに、元の世界が存在していたのだ。アクセス方法を知らないだけで。

 転生者の大半が転生後の肉体に馴染み、普通の生活を送れるのは、寄生した魂が脳に仮住まいをし、元の肉体保持者が培った手続き記憶や意味記憶を司る海馬、大脳基底核、小脳の脳領域を一部拝借している――アクセス権を有している――という考えが通説である。その証拠に、今まで触ったことのないと証言していた楽器を、揚々と演奏しだす者もいた。元の肉体保持者が幼少期得ていた演奏能力に、転生者がアクセスしたのだと判明したのだ。一種のアレルギー反応のように、脳髄への賃借契約交渉に失敗した者による極度の精神錯乱は、それこそ不法占拠に対する元の肉体による反乱だと考えて差し支えない。

 魂はどこかからやってきて、適当な器に宿ると、この都市の一部で囁かれている。




 アナウンサーは、本日の夜のニュースの終わりを告げる。

 東脳市トンノンシの、とあるマンションのソファで男は、目覚めた。
 遥か西には第二の首都である西脳市サイノンシがあるが、今では観光地ほどの価値しかない。

「起きたかい。疲れていたんだろうね」

 一面ガラス張りの一室。ランニングマシンを走る上裸の青年は男が起きてからしばらくして声をかけた。青年は時速九キロペースで走りつづけている。どれほどの時間を走っていたか定かではないが、さほど汗はかいておらず、疲労の影が見えない。マシンを降りてからすこし経ってオリーブオイルで焦がしたガーリックの匂いに誘われ、のそりと男は立ちあがる。男は「涎」を垂らしていた。青年はアイランドキッチンでペペロンチーノを作りだしている。

「明日は市役所連れていくから、早く起きてくれよ」

 茹で上がるのを待っているあいだ、青年は鏡の前でポージングをした。肌は浅黒く、顔つきは古代の彫刻のように精微で、瞳は泣いたあとのような瑞々しさを帯びている。黒く無造作な髪に隠れた両耳のイヤリングが揺れた。男はそれを見て、美しいと思った。

 男の感想は正しい。青年の容姿はインテリジェントデザインされ、全世界、現存するあらゆる民族の平均値として算出され、黄金比による調整をもって設計されたものであると、あとから聞かされた。

 俺はいったい……

「おぼえていないのか? 倒れていたきみをぼくが拾ったのさ」

 男は薄青の入院着を一枚を身にまとい、東脳市の二◯キロ西側にひろがる草原の上に倒れていたところを、青年が見つけて保護した。男に転生兆候が見られたからだ。

「まだ少し混乱しているみたいだ。記憶が混線しているような、感覚」

 青年の住居は空から玄関に直結しているマンションだった。ガラス張りの玄関口に停車している、青年の愛車であるルークと呼ばれるオープンボディの反重力車グラビティカーはショーウィンドウのようにリビングから見渡すことができる。

 青年はおもむろにキッチンの上の雑誌を手にとり、
「たしかにここに書いている症状と合致する」

 青年は転生神語てんせいじんごという雑誌を読んでいた。

「意外だな、最初は元の世界に帰りたいと泣き喚くかと思っていた」キッチンにもたれてワインを傾けながら言った。「噂に聞いていたとおり、現実逃避の念が異世界への門をたたく動力源なのかもしれない。あるいは生への執着と未練……」

「いい部屋だな」

 部屋から見る街並みは濁っていた。暗闇の幕が降り、濃霧のような排気ガスのなかにネオンの黄色やピンク色の光が海ほたるのようにぼんやりと光っていた。そのなかを銃撃のように飛び交う無数の反重力車の光。遠くには、遥か上空から落ちる光の滝。レトロなシューティングゲームやブロック崩しのように光っては移り変わっていた。それらを光るゴミや藻屑やら飛蚊症の様と称する者もいた。

「正直きみを入れるのは気乗りなどしなかったが、幸い部屋なら三室持て余してる」

「現実逃避と生への未練とは、ずいぶん矛盾した解釈だな……」

「そうでもないさ。現実逃避だって、生にしがみついてるからこそ抱く妄想かもしれない」

 男はシャワーを浴びて入院着から青年に渡されたパジャマに着替えた。さらに明日着ていく用のシャツ一式も用意されていた。

 青年がフライパンで茹でてそのまま炒めた唐辛子とニンニクのきいた、オリーブオイルたっぷりのペペロンチーノを男はかっこんだ。何十年ぶりの食事のように食らいつき、むせて、スパークリングワインを水のように飲み込んで、また啜った。あまりのおいしさに涙がこぼれそうになっていた。

「そういえば、勇者とはなんなのか訊いてきたね」

 男は首を傾げた。
 勇者……青年を指す用語だった。壁に立てかけられた剣。剣を携える青年は創作物に現れる勇者像とそう違わない。
 ただ、倒すべき魔王がいるわけではない上での勇者の存在というものは、催事でしか要をなさない形骸化した肩書きだ。
 彼らの先祖はその存在意義システムを維持するために、また漠然とした民衆の不安を収めるために架空の魔王を飾り立て、勇者を平和の象徴として崇めた。青年は一ヶ月後の祭りを控えている。

「いつぞやに恐怖の大王が降ってくるという古い予言があってね、勇者はそのときのために備えている。民の希望の光なのさ。予言師の末裔は今や神の如く崇められている。案外きみが恐怖の大王だったりしてね……どこ行くんだ?」

「便所」

「シャワールームの向かいさ」そこの戸棚の紙を持っていってくれと指をさし、「まさか、糞の仕方は忘れてないだろうね?」

「忘れていたら垂れ流しているところさ」

「よかった。今トイレが壊れてるから、いつもの癖でバイオフラッシングは使わないでくれよ。昨日オガクズをぶちまけてしまったんだ。右壁面のパネル上、右から二番目のウォータを押してくれ」

 便器の上で半日前のことを男は思い出す。あたまから記憶を捻りだす。



 原っぱだった。淀んだ雲の隙間から光を孕んだ一筋が垂れ込んで、水気を含んだ蚊帳吊草をてらてらと輝かしていた。男が草を掴み、弾くと、ふとこの細長い尖った草で笹舟を作ったことがあると思い出し、その記憶の一端を掴んだことに綻んだ。だが、だれの記憶か判断がつかなかった。風が草の隙間を縫うように吹きとおり葉擦れの音が男の心身を溶かし、まどろんだ。立ち上がろうしても、その足腰はぎこちなく、膝がガタつき、よろけて転び、そのつど草がクッションになった。

 青年が男に声をかけ、目を開けた。声は聴こえなかった。

「きみは、だれだ」と青年は声をかけた。

 ありえないことが起きた。男にはあるビジョンが浮かんでいた。男は「意識の継続」を瞬時に認識したのだ。ありえないことだった。前世鑑定もなしに、自己を認識することは稀有な例だったのだ。

 俺はどうしてこんなところにいるのだろうか。ここが夢なのか定かではない。ただ俺の意識は継続している。男は思考した。

「長いあいだ、寝ていたような、気がする……」

 とだけ、男は絞るように声をだした。言う通り、声を出すことさえ、何百年振りかのような喉の突っかかりがあった。皮膚は乾き、喉も乾いていた。

 男が立ち上がろうとすると、青年はそばの樹に立てかけてあった細身の剣(勇者の剣、青年はそう言った。)に手をかざす。剣が磁力のように青年の右手にしがみついてその胸もとに構えられた。 

 男は自分の顔をまさしく認識していたのだ。青年の持つ刀身に光が反射し、写し出された像を見て男は目を皿にした。目の前に映るは自分の顔を模した精緻な彫刻。だが頬はこけ、彫が深く、目は虚ろで、肌は赤く焼け、髪は乱れている。男にとって、何千日も一緒に同居し成長し老いていった愛着のある顔……毎晩執心し憎みにらみ合ったその顔と比してしまうと、それは別人だと男は思った。男は骨と薄っぺらい皮にアイデンティティが宿るなど想像したくはなかった。膝をつき、倒れこんだ。顔をぐしゃぐしゃに揉みこみ、ひっかき、顔の皮膚を伸ばし、目をひん剥いてから、嗚咽した。顔の汚れは涎と目からのそれかわからなかった。

 最初はじっと見つめていた青年はすでに剣を下ろし、目を背けた。

「俺は、俺だ。だがこの身体が俺なのかが、確信がもてない」

「おどろいた。会ったことはなかったが、最近巷に聞く。きみのような境遇を……」

「同じような経験をした者がいるのか?」

 男は顔を伏せたままよろめき立ちあがり、青年の顔を注視した。その瞳は八つ当たりにも似た恨めしさを引きずっていた。

「最近多いんだ、乗っ取られてたかのように別人にすげ変わって元の人格が消滅する」

 ……神隠し。と青年はつぶやいたあと、舌打ちをし、ツイテねえなとまたつぶやいた。
 男は眩暈がし、そうしてまたも気絶した。



「ずいぶん長い糞だったね」

 何十年ぶりかのような糞だった。

 男はあてがわれた部屋にこもり布団をかぶった。膝を抱えるように横向きにうずくまった。

 シャワールームの鏡で見た自身のすがた。風呂に入り、身体を丁寧に洗い、飯を食べ、男は精悍さをある程度とりもどしていた。草原で男は、その相貌と元のそれとのちがいを認識し、映像の乱れのような感覚をもっていた。ただ元の肉体所持者の認識機能の低下による失顔症を自身に対して発症したことに対する狼狽との判断はつかない。そもそも転生などしなかったとしても、これがただの記憶喪失者であってもこの世の終わりのような自己喪失感に見舞われるにちがいない。いや、あまりにも悲観論が過ぎている……記憶がないことはこの際、好都合である。半端な記憶が、友人ないし愛する者の存在を灯らせていたとしたら、男はきっと今すぐにでも家長不在の犬のように戸に爪を立て、泣きすがっていただろう。天涯孤独がホームシックになるなんて笑い草だ。男は空調のきいた寝室で布団にくるまりながら一日の始終を思い返していた。

 カーテン越しからも車の光が飛び交って、瞼を透き通してちかちか点滅した。そのたび揺れているような錯覚にとらわれなかなか寝付けなかった。

 飲みすぎたスパークリングワインがまたもトイレに立たせる。

 廊下で、ある臭いが鼻をくすぐった……煙草……身体が煙草を欲している気がした。この欲望は、本来の自分が喫煙者であったのではないかと、その糸口を掴んだかと思ったが、肉体がちがうとすぐ気づいた。魂の記憶として煙草を欲したのだろうか、あるいはこの身体の持ち主が依存症であるだけのことなのか判断できず、リビングでまだ起きていた青年に煙草をせっついた。

「ああ、テーブルの上にあるから勝手に吸ってくれ」

 男の血にニコチンがまわり、一瞬動悸が激しくなった。脳がしびれ、血のめぐりを自覚するほど躍動し、次第に身体になじんでいく。精神が身体に定着したような感覚。換気扇の下で燻らしながら、パッケージを指のあいだで転がしながらぼんやり眺めていた。アメリカンスピリット、ね……男は深く長く息をついて笑みをこぼした。

「少し夜道を歩いてきてもいいか?」

「こんな時間にか?」青年は訝るように言った。

 男はリビングからそのままガラス張りの玄関の扉を開けた。反重力車の車庫を過ぎ、一歩踏み出そうとしたところでぎょっとする。その先に地面がなかったのだ。五○○メートルを超える闇の底。

 青年はため息をついた。

「裏口からなら空に落ちたりはしないよ。地道があるから」

 裏口から出た共有廊下は外に面していた。不規則な間隔でマンションやビルが林立していた。共有廊下の先は、十階層毎にそれぞれ一本、十本の道が段となって渦のように束ねられ、途中で合流し一本の道となり、まるで空に咲く蓮のような円状の空中庭園に通じている。あたりには五箇所の蓮が咲いていた。蓮華公園、と表札が掲げられている。五箇所の公園もそれぞれ枝葉が生え、大通りに連結している。空中庭園では地上から生えるビルが同じ目線でとらえられ、加えて大通りからや他のビルからも違法建築のような歪さをもって建物が増築されている。空の足場のいたるところにある隙間から風が噴出し、街を押し上げるように上へと突き抜ける風に男の髪が乱れた。

 女がいた。

 大通りに出て、ビルとビルの屋上に架かった橋の中央付近で男は煙草を吸った。女は高欄に寄りかかり、灰色のパーカーの袖に覆われた手のひらで頬杖をついてどことももわからない遠方をながめていた。後ろで一本に結んだ髪がフードに小綺麗に収まっている。

 女は凝と男の顔を見つめた。

 男が女の視線に気づき、女の顔を見た。

 脳天を貫くような目付きで、その目には胆力が宿っていた。反転、くすぐったいような目尻が跳ねている。

「お兄ちゃん」と女は男を指して言った。

「お兄ちゃん……」男は当惑した。お兄ちゃんとつぶやいた。お兄ちゃんお兄ちゃん……妹? 妹よ……

 女はくすくすと笑いだし、
「あなた、転生者ね」と言った。

「どうして……」

「ふつうそんな考えこまないわよ」

「いや、きみは俺の妹にちがいな……」

「やだもう」

「妹……こんな遅くに何をしているんだ?」

「冗談はよして」

「知り合いに転生者とやらがいるのか」

「さあね」

「気になることがあるんだ」

「なあに?」

「自分の器がすげ変わってしまったのは承知しているんだ、」と男は噴水の前で言った。「でも、中身はきっと連続している」

「うんうん」

「その証拠に、……いや証拠などはないが、……もちろん、生まれがすべてなのだから、世界への順応するのは俺の役目だ。どんなに貧乏人に生まれても、世界を恨んでも仕方ないだろう。だけど、この景色にどうしても親近感をおぼえない。それはある意味で証拠を超える信頼性だと、おもえるんだ」

 ビル群に囲まれ、なかには一〇〇〇メートル超の建造物、東脳タワーが見えた。

「赤子に対する無条件の、親近感……防衛本能から赤子の生まれ持った、生物メカニズム……拠り所になるのは、そんな信頼感しかないだろう」

「ふむふむ前世はこんなところではなかったと。ねえ、もしかしてだけど。今日、生まれたの?」と言って上目遣いで男の顔を覗き、男はうなずく。

「だったら。弟じゃない」

「それはない。きみのほうが歳下に見える」

「肉体年齢はね。何歳だと思う」

「十八」

「さあて、何歳でしょうか。わたしもよくわかんない」女はまたくすくすおちょくるように笑った。「でもね。あなたの言っていることはナンセンスだとおもう。わたしたちにとっては、あなたのほうが異端者なの。異端審問において、判断するのはこの世界……そうでしょ?」

「わかっているよ」

「わかってないよ」

 女が大きくかぶりを振ると、収まっていた髪がフードからこぼれ落ちた。

「あなたは死に際をおぼえている?」

「わからないが、とにかく死んだんだろう」

 きっと殺された。地下牢のような部屋で命を終えた。そんな不確かなイメージが男の脳裏にあった。

「みんなそう言うの。だったらこの世界はなんでしょう。死後の世界? 今ここにいる自分の存在がね、危ぶまれてしてまうんだよね。他意はなくても、ここの住人はそう思ってしまうの」

 近くの酒場で飲み終わった数人の若者がよろめき叫びながら橋を渡っていった。

「それはまあ、ずいぶんうざったいだろうな」

 男はフィルター直前まで吸った煙草を親指と中指で弾いて吹っ飛ばす。回転しながら崖下まで落ちて消えていった。

 とつぜん妹は男に抱きついて顔をうずめた。これで満足? と女は訊いた。

「お兄ちゃん、わたしね。家にね、帰りたくないの」

 男はそのあたまを優しく撫でた。これで満足か? と男も訊いた。

「わたしを連れ出してくれない?」

「帰ったほうがいいに決まっている」

 男は女のつむじ越しに声を放った。遠くをながめているようで、どこをも見てはいなかった。

「そうね。あなたの言うとおり、環境に文句言ったって仕方ない。順応しなくちゃならないんだよね」

 女は男を見上げ、自身のあたまを指差しながら、
「ハードウェアは故障していないとおもうの。ディスプレイに繋ぐコードが混線しているだけだよ」

 女は緩やかに両手で男の身体を押しだして突き放した。

「どういう意味さ」

 女はステップを踏むようにくるりと半回転してみせ、はにかんだ。

「ごめんね。帰るね。わたしは、わたしは真面目な娘と姉を演じなくちゃいけないから。あ、わたしには弟がいるの。そして大学に通う良い娘。だから、門限はぜったい守らなくちゃ、ならないの」

「帰る場所があるだけ、幸せなんじゃないか」

「そうね」

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