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愛されるより、愛する方が幸せなんじゃない?

今回のテーマはタイトルそのまま。

愛されるより、愛すが幸(さち)
というお話です。

「もっと愛されたい!」
「愛されることが幸せ」
といった話を耳にすることがあると思います。

それに、愛される方法や愛されテクなんて調べればいくらでも出て来ますよね。

「調べてるんかい」とか言わないで。(滝汗)


ところで、愛されることってそんなにも大切なことなんでしょうか?

正直にいうと私は、
「愛されを重要視しすぎじゃない?」
「そこまで大事か?」
と思ってます。

もちろん嬉しいしありがたいし、愛されるに越したことはないです。
大事じゃないとは思わない。

ただ、
「愛する方が幸福度は高くない?」
「大事なのは、愛情を与えることでは?」
と思うのです。


愛でることで多幸感に包まれること、あなたにも経験ありませんか?

たとえばアイドルの推し活や、幼な子を可愛い可愛いして自分自身が幸せな気持ちになる、みたいなことです。


ヒトとモノを一緒にするなと言われそうですが、私はというと。
革靴を愛でる趣味があります。

こんな言い方をすると引かれそうですね。(笑)
でも事実だから仕方ない。

お気に入りの革靴をはいてお手入れして〜...ってするのが好きなんです。

だんだん自分の足に馴染んでくるし、傷が出来ても修理で何とかなります。
それに、傷自体も”味”だと思えて愛着が湧きます。

革靴をはく前後にはブラッシングをして、すり傷の具合を見てクリームを塗り込む。

毎回大切にはいて、丁寧に磨き育てる。
つやつやピカピカな革靴を見て、幸福度が高まる。
”愛でる”と言っていいレベルだと思っています。

そんな革靴を愛でる趣味を持つ私が、お手入れ中にふと思ったのが、
「愛するって幸せ〜!!」
です。


アドラー心理学では、幸福になるための一つに他者貢献をあげています。
特に興味深いのが、本当に貢献しているかといった客観的な評価ではなく、主観的に貢献していると感じられるかが大切であるということ。

つまり、
「人の役に立ってるぞー!」
「良いことしてるぞー!」
と感じるとき、私たちは幸せである。

私の”革靴を愛でる”は、対象はヒトではありませんが、きっと大切に扱ってお世話することが革靴にとって良いことであると主観的に思えているんでしょう。

お気楽なものですが、私はそれで幸せな気持ちでいっぱいになっています。

おもしろいですよね。


他者に貢献してる感を得られる”愛する”という行動は、他の誰でもなく、私たち自身に幸せをもたらします。

それなら。
愛されることはさておき、勝手に愛して勝手に幸せになるというのはどうでしょうか?(笑)


対象は何でもいいと思います。
別に恋愛じゃなくたっていい。
推し活は幸せだし、何ならヒトじゃなくてもいい。
たとえば猫を愛すのも良いし、花も愛でるのも良い。
モノを大切にすることでだって幸福感は得られます。
対象は何であれ、愛するって幸せなんです。


愛されることよりも、愛することに重きを置く
勝手に愛でて、勝手に幸せになればいい


この考え方、どうでしょう??

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