死体と操縦 2
2.依頼/変身
「ここだけの話だけど」と彼は切り出した。「指、拡張したんだ」
その言葉は種となって私の土に埋めこまれた。
「拡張?」
彼が頷き、蒸留油を舐める。透明な油飲みのなかで冷却岩がからんと音を立てた。
区画の外れにある安い油屋の店内。煮え油と端子の焼ける匂い、客たちのがちゃがちゃ喋る声が充満し、時折笑い声が大音量で発せられる。「電気泥棒ぅ?」と一際大きな声が響いて思わず視線をやると、三つほど向こうの卓に明らかに改造された三機体が座っていた。慌てて目をそらす。この店は欠陥持ちが集まることで有名で、お互いに干渉しないという不文律があるらしい。店を指定したのは彼だった。
彼とわたしのあいだ、卓の上には油飲みが二つ、運ばれてきたばかりの三角串焼きと殻揚げからほかほかと湯気が立ち上っている。彼が串を一つ取って食いつき、ふうふう熱そうな息を吐いた。私は甘ったるい混合油一杯ですでに酔っていて、ぼうっと焦点の定まらない回路で彼の言葉をぐるぐる泳がせていた。
「君は《指先》の本当の使い方を知ってる?」
私がきょとんとしていると、彼は、解体業なんて性能の無駄遣いでしかない、と自嘲気味に笑った。《指先》を海に接続すれば、そこにはない何かに触れ、今までに味わったことのない感覚を味わうことができるという。話を聞きながら、好奇心の種が芽吹き葉をつけ伸びていくのを感じる。
「でも、視覚と聴覚以外の共有は実現してないんじゃないの」電子海で上映される娯楽映像を思い出しながら言う。
「実現しているよ。流通してないだけ……というか、規制されているんだ」
「どうして?」
「抜け出す奴がいるから」
「抜け出すって?」
「知りたい?」
彼が微笑む。その表情は、面白い悪戯を思いついた子どものようで、同時に底知れない悪事を企む犯罪者のようでもあった。危険。私の真っ暗な半身から、注意喚起の赤い文字が浮かび上がる。従ったほうがいい。けれど信号は混合油による酩酊で曇っていたし、すでに好奇心の葉は生い茂り、大きな蕾までつけていた。私はおそるおそる頷いた。
「じゃあ、教えよう。ただし条件がある」
ゆっくりと蕾が開き、漆黒の花弁が揺れる。すぐに花は萎れ丸々と肥えた闇色の実が残ると、彼は無造作にそれをもいで私に差し出した。
「僕を壊してくれないか」
*
彼の感覚を追跡する。拡張された《指先》で海に潜っていると、自分がこちら側にいるのかあちら側にいるのかわからなくなってくる。私は秒が刻まれることを忘れ、日が替わることを忘れた。
びーっ、びーっ、と警告音が鳴り、私は強制的にこちら側に戻された。光が眩しい。あれからどのくらいの時間が過ぎたのだろう。確認すると三日だった。「せいぜい三日というところだろう」と記憶のなかの彼が言った。案外もったね。その日中にしょっ引かれると思っていたのに。
扉が乱暴に叩かれる。廊下の天井に配置した監視用の目を薄く開くと、黒い前掛けが二体、高圧電子処置棒を片手に立っている。「三日後に調達部が訪れる。警備員は来ないよ。上は利用可能な資源を手放したりしない。自分たちで調達したほうが仕入先より安価だからね」。
黒い前掛けたちが扉を破ろうとしているのが見えた。
《指先》越しに右手が強く引っ張られる。「君はもう行かなければならない」。
扉の悲鳴を背後に、私は大急ぎで潜る支度をする。自分のからだを手当たり次第に掻き回し、内側から引きちぎっていく。
左足の親指。右膝。左脇腹。右胸。左手の小指。右目。左耳。口。最後に右手。
それらはぐるりと裏返るとでたらめに結合し、ひとつの魚の姿になって、電子の海へ泳ぎ出す。
(続く)