「本質」を超えて|ゲンロン戦記
東浩紀著「ゲンロン戦記」を読んだ。
本書における非常に重要なメッセージは、以下であった。正直、ハッとさせられた。
なにか新しいことを実現するためには、いっけん本質的でないことこそ本質的で、本質的なことばかりを追求するとむしろ新しいことは実現できなくなる
これまで、大学院での研究活動や、企業勤めの中で、できるだけ効率的かつ合理的に物事を進めるよう努力してきた。これは自分自身の判断には、非合理的な部分が多く、楽しい活動や、楽な立場に逃げることがあるということを誰よりも自覚していたからだ。また、心の中で、他人の非合理性や非効率な部分を非難してきた。
また、このコロナ禍の全面テレワーク化に伴い、通勤などの物理的な移動や、懇親会などの飲み会が最小化された。このことで、業務的な無駄が排除されて、より本質的な価値にフォーカスした業務、生産につながる業務のみが残り、働きやすくなった、と考えていた。
しかしながら、改めて自分自身の活動を振り返った際に、オンラインで伝達可能な限られた情報によるコミュニケーション、予定された時刻に開始終了する前後の雑談のない打合せ、飲み会のない金曜日、これらは本書にある「誤配」による偶発的な出会いを確実に減少させていた。
つまり、飲み会をはじめとした雑談によって深くなった人間関係や、先生や上司の他愛もない話の中に垣間見れた深い思考との交流、打ち合わせ後の顧客との会話の中で見つけられた本心など、「計画した」「本質的と考えた」時間や作業から得られるものや、生み出されるものには限界があり、むしろ、そうではない時間や機会から、自分の思考を超えた「本質的な」何かを得ていたことが多いことに気づかされる。
今後も、このようなオンライン中心の状況は続くであろうが、如何にして偶発的な、より本質的な何かに触れる状況を作り出すかを目下の課題として解を探っていきたい。