状況の想像と体験の構築|ジョブ理論
クレイトン・M・クリステンセン他著「ジョブ理論」を読んだ。本書においても議論があったが、個人的には「理論」というには物足りない(再現性や一般性に疑問が残る)。しかし、著者の豊富な実績に基づいて語られる、ジョブ理論という枠組みで捉えた多くの企業分析結果からは、得るものが非常に多い。本記事では、ジョブ理論の概要に触れ、気になった点を備忘録として残しておく。
従来の考え方との違い
顧客が「商品Aを選択して購入する」ということは、「片づけるべき仕事(ジョブ)のためにAを雇用する(ハイア)する」ことである
本書の帯に書かれたこの一言が、ジョブ理論の全てである。一見変わった書き方をしているように見えるが、考え方そのものは、従来のマーケティングの教科書にあるような考え方と、大きな違いはないように感じた。
商品(プロダクト)そのものや、その機能を見るだけでは不十分であり、その商品によって得られる価値にフォーカスすることで、購買活動を深く知ることができる。これは1980年代に、マーケティングの権威、レビット博士が残した格言「ドリルを買いに来た人が欲しいのはドリルではなく『穴』である」からも読み取れる内容である。本書でも、レビット博士やドラッカーに言及し、ジョブ理論でいう「片付けるべき仕事」と「ドリルを買いに来た人が求めている『穴』」が、ほぼ同じ文脈で論じられている。
私の理解では、商品・プロダクトそのものではなく、その商品が提供する価値に着目するという点においては、その商品が「片付けるべき仕事」と捉えることもできる。よって、レビット博士の格言とジョブ理論は、非常に親和性が高い内容であり、その格言を拡張した、というほうが正しい理解であろうか。
あえて、従前の考え方との差異、拡張した点に焦点をあてるならば、価値という曖昧な表現を、より具体的な「片付けるべき仕事」という形で表現したところであろう(「片付けるべき仕事」といっても、まだまだ曖昧性を孕むのだが)。
ジョブの定義
「片付けるべき仕事(ジョブ)」の定義は以下である。
ジョブとは、特定の状況で人あるいは人の集まりが追求する進歩である
この「状況」こそが、ジョブの定義の中心であり、イノベーションをうむのに不可欠な構成要素であると断言している。ジョブはそれが生じた特定の文脈(コンテクスト)(=状況)においてのみ定義できる。故に、そのジョブの解決策も同じ文脈においてのみ有効となる。
また、ジョブには複雑さが内在する、と述べている。その複雑さには、機能面だけでなく、社会的または感情的な側面がある。そして、しばしば、社会的あるいは感情的側面が、機能面よりもはるかに重要な場合がある。よって、社会面と感情面を考慮して、顧客のジョブを特定していくということを一つの特徴としている。感情的な側面を排除して客観性を重視しようという考え方がある中で、ジョブ理論においては、社会的側面、感情的側面を特定すべきと明示している。そして、それらの側面は、より生々しい「状況」を記述するのに役に立つと考えられる。さらには、顧客がそのような状況下で、どのように商品の良し悪しを評価するかを詳細に把握するほど、長期的に競争優位に立つと述べられている。
体験の構築
このようにして特定されたジョブを遂行するための体験を創造し、解決策を立案するのが次のステップである。購入時・使用時の体験が、商品を選択するときの基準となるため、先の様々な側面を考慮した上で、物理的な商品であったとしても「サービス」として、一連の体験として解決策を設計しておく必要がある。その一連の体験の中で、特に重要なことは、商品を購入するときだけでなく、商品を使用するときに、顧客はどのような体験を求めているか?これを突き詰めることで、自社製品が雇用(ハイア)される可能性が大きく高まる。
備忘1:暗黙的かつ属人的なのでは?
このようなジョブ理論であるが、はっきりと書かれていないことも多いと感じたため備忘録としてまとめておく。
本書では、ジョブは複雑で多層的であり、詳細まで把握すべきという主張が見られる。そして、複雑な「状況」を丁寧に詳細化していき、理解を深めていくことは、特定の個人のジョブを解決するためには非常に効果的であり、重要であろう。しかしながら、一般的に状況の詳細化と、その状況に当てはまる顧客の数はトレードオフの関係があると考えられる。そして、商品を開発する立場であれば、ある程度多くの方に購入いただかないと採算が合わない。このことから、ジョブの特定を、適切な潜在顧客ボリュームが存在する部分にフォーカスしなければならない。このあたりの基準は非常にセンスに依存するところであろう。というのも、総務省が出しているような一般的な統計情報では、ジョブの条件が厳しいため、特定のジョブに該当する人数は算出できないと考えられるためである。
また、本書にジョブを見極めるための方法として、以下のように「自分自身の生活」が重要と書かれているが、これは様々な経験、思考を積んだ人のほうが、ジョブを特定する際に求められる、感情的側面や社会的側面の想像力が高いからだと推測される。このことから、ジョブ理論を適用する一丁目一番地である「ジョブの特定」には、相当な暗黙的な知見が必要であり、人を選ぶのだろうと思われる。
ジョブの知見を得るための貴重な情報源はあなた自身の生活である
この「ジョブの特定」を誰もが上手くできるようになれば、ジョブ理論としてもより強固なものになっていくのではないだろうか。
備忘2:他の理論や考え方との差異
本編では、ジョブ理論と他の理論との比較や差異などには触れられていない。唯一、日本語版解説の中に、「エスノグラフィ」や「デザイン思考」と補完的な関係にあると述べられていた。
このようなイノベーションをうむ方法論としては、リーンスタートアップのMVPによる検証などが挙げられる。本書で述べるような詳細なジョブの詳細特定が現実的ではない、あるいは、サービスの供給者だけでは特定しきれないため、プロトタイプをつくってしまってそこからフィードバックをえようという発想であると思う。なので、全く異なるアプローチで顧客が求めるものを理解しているといえる。
個人的には、ジョブ理論は、あるイノベーションのメカニズムを説明したり、その類型化を行い、横展開をしたりするようなケースでは、極めて有効な説得力の高いツールと考えられる。しかしながら、実際にゼロからイチを生み出す際には、リーンスタートアップのような、実際にMVPを開発して、顧客やマーケットから、ボトムアップでフィードバックを得る方が効果的のようにも思う。
もちろん、実際にはどちらかしか使わないということはなく、リーンスタートアップでも、ある程度、顧客課題は設定した上で開発するため、その顧客課題をできるだけジョブ理論に基づいて、ジョブとして特定していくことでプロダクトのヒットする確率が高まるかもしれない。また、ジョブ理論において構築する体験の良し悪しについては、実際のプロダクトを開発してみて顧客からフィードバックを得ることで、より良い製品に仕上がると期待される。このように、デザイン思考やエスノグラフィと同様、ジョブ理論の考え方、物事との捉え方と、他の手法を組合せて、より良い結果を得ることができるかもしれない。