ダルビッシュ選手にみる人類学的なものの見方
はじめに
日本代表のみなさん、野球ファンのみなさん、WBC優勝おめでとうございます。野球熱を持っていたのはロングタイムアゴーの私です。ジャイアンツの長嶋監督、松井、高橋、清原、横浜のマシンガン打線(石井琢、波瑠、鈴木尚、ローズ、、、)、広島の野村、緒方、前田、江藤とかで喜んでしまう世代です。今回のWBCにおいて知っている選手は指折り数えるくらいなのですが、ダルビッシュ、大谷の継投で優勝を決めた流れにはグッとくるものがありました。
やらなければいけない諸々のタスクを放ったらかしにして、なぜ私が書きたいと思ったかについてですが、ダルビッシュ選手の発言やふるまいをみて、自分が関心を抱いている「人類学」に通ずるものがあるのではないかと感じたからです。最近ビジネスやデザインの界隈で話題になっている「人類学」がもっと身近に感じられる機会かもしれないと思ったので、勢いそのままに言語化をしています。
私は人類学を専攻して学んでいるわけではないので、理論的にどうとか学術的な正しさからどうこうを述べたいわけではありません。あくまでのそのように捉えたというくらいで、ご一読いただけますとありがたいです。また、選手に敬称をつけたいのですが、読みやすさを優先して一部割愛しております。
ダルビッシュ選手に学ぶ人類学的なものの見方
WBCの優勝をリアルタイムでは観られなかったので、夜になってYouTubeを漁っていたところ、元プロ野球選手、現野球解説者の高木豊さんのチャンネルにダルビッシュが登場している動画に辿り着きました。
人類学とは一見関係のない動画として多くの方が視聴しているかと思いますが、ここでダルビッシュが語るのは人類学者が「参与観察」(エスノグラフィー)を通じて変わっていく自分であるように思いました。
参与観察とは
参与観察の定義については以下を引用し、ここに置いておきます。定義についての言及をしたいわけではないので参考として参照ください。
人類学的なものの見方とは
私が人類学を学んでいるメッシュワークでは人類学的なものの見方(人類学者者の目)を以下のように定義しています。
参与観察を通じて生成されたダルビッシュ選手の言葉
「世界一のピッチャーになるために(メジャーリーグ)に行くんだよね?」という高木さんの問いかけからインタビューは始まります。野球選手として、人間として成長を続けるダルビッシュに対して、高木さんは「なにが起きたのか?」と尋ねます。
アメリカというフィールドに足を踏み入れたダルビッシュが日本において認識していた自己が揺さぶられ、変わっていったことを言っているように聞こえます。
突然に価値観が変わったのではなく、日々、同じメジャーリーガーの言葉やふるまいを観るなかで、自身の価値観が生成されていく、それが自然になっていったと語ります。参与をしているからこそ、自分の変化に気づいた瞬間が訪れたようにみえます。
ただアメリカで生活していれば変わるのではなく、徹底的な自己分析、自己への掘り下げがあったからこそ気づくとダルビッシュは語ります。
自分の信じていた価値観が揺さぶられ、新しい価値観が生まれてくることを拒絶するのではなく受け入れ、変わっていく。そのプロセスを経たからこそ、感謝の念が湧き、ひとつひとつの行為、ふるまいが自分にとって意味があるものに変わっていった(そう見えるようになった)。そこの社会における人々のふるまいに対して観察者当人が意味を見出した瞬間のようにみえます。
メジャーリーガー、ダルビッシュとして語られるこの言葉を聞いた高木さんは凄く嬉しそうに「いつから変わったんだ、こんな素晴らしく、、、」「器がでかくなった」と感嘆の言葉を漏らします。
このあたりは達観した僧侶のようにも感じますが、日々の自己分析、内省(リフレクション)の賜物のように思います。
チームの選手を参与観察するダルビッシュ
自身がエースであるにも関わらず、大谷や佐々木といった他投手のふるまいを観察するというダルビッシュ。
まさにフィールドワーカーの言葉そのものです。日々の記録を重ねること。地道な観察の積み重ねによってデータが膨大に、そして何かが立体的に浮かびかがってくることを発見し、実践しています。ダルビッシュは三冠王の村上に対しても同様の視線を向けています。
ここでは自分が観察して見立てた問いを村上選手に対して投げかけています。
メジャーリーガーとして、日本代表チームのリーダーとして、一人の人間として(おそらく父親としても)、そういった多様な自己を踏まえての発言のように思えます。
一方で自分の様なふるまいをする選手がいないことに対して警笛を鳴らしています。
試合における大谷選手だけを観るのではなく、試合の外でやっていることを拾い集めていくことが大切であると言います。まさにひとつひとつの大谷選手のふるまいの集積がホームランやピッチングに繋がっているということを観察を通じて分かっているのです。打率、ホームラン数、出塁率とかではなく、もっとみなくてはいけない観点があるということを教えてくれています。
記録をつけているのが面白いねという高木さんに対しては、力強くこう答えます。
人類学者はフィールドから得たものを民族誌に書き起こし、人間の知恵を残していきますが、ダルビッシュ選手も自身の知恵を他の選手に受け渡すためにYouTubeをやったり、WBCへの出場を決めたように思います。
終わりに
ダルビッシュの語りもさることながら、優しい眼差しで嬉しそうにインタビューをする高木さんの存在も大きいと感じました。よくあるスポーツの世界の上下関係(先輩後輩)ではなく、相互行為的に向き合う姿勢がとても素敵だと感じました。
高木さんの野球に対する熱量はもちろんのこと、ダルビッシュという人間に対する興味・関心や眼差しの向け方に私たちは学ぶところが多分にあるようにも思います。
対談の終わり(収録としての終わり)になってからも、本質的なことを述べているので気になった方はぜひ動画を視聴してみてください(インタビューが終わった後に本音がポロッと出てしまったのかもしれません)。
最後にもう一度冒頭に貼った動画を載せておきます。大谷がチームメンバーを鼓舞する様子を見つめるつめるダルビッシュ(10秒くらいから)。人間に対する愛情を感じずにはいられません。