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【雑談】ハイコンテクスト文化におけるプレー原則の策定

Twitterとかでつぶやくにはちょっとだけ文量があるかなということは【雑談】としてここに書いてみようと思います。明確な結論がある訳ではないです。


言語や文化においてハイコンテクスト(高文脈)とローコンテクスト(低文脈)というのがあります。これは優劣による高い低いではなくて、コミュニケーションの抽象度が高いか低いかといったことだと思っています。

日本は世界の中でもかなりのハイコンテクスト文化であるといわれています。いわゆるシステム屋さんを生業にしている自分がお客さんとの間で抱える悩みは、システムのことを取り決めるお客さんとのやり取りは日本語(ハイコンテクスト/抽象的になりやすい)で行っていて、実際にそれを形にするためにプログラミング言語(超ローコンテクスト/具体的)へ落とし込むときに起きる認識の齟齬です。

お客さんとはニュアンスでやり取りすることが多いのですが、実際にシステムが出来上がったときには「ここの部分は今回の対応範囲に入らないの?」といった食い違いが出てきます。こちらとすれば「だってそこも入れてほしいって言ってなかったじゃないですか」といった不満があるわけですが、先方からすれば「ここの部分は今回の対応範囲と同じようなところなんだから含むものだと思ってた」という言い分がある訳で。

今度はそういった齟齬をなくそうと、打ち合わせの段階で細かく「ここはどうですか?」「こっちも似ているけど一緒にやったほうが良いですか?」と逐一確認しようとすると、「そんな細かくやらなくて良いですよ」となったり。もちろん、細かく決めた方が喜んでくれる人もいますが、みんながみんなそうではないですよね。このようなことは、どんな仕事やコミュニケーションでも同じように起こることだと思います。


サッカーにおけるプレー原則の策定も同じようなことで、「この場面では最初に狙うエリアはここで、そのためには誰がどこにポジションを取って、、、」とチーム全体の意識を合わせるために色々決めることになります。
ただ、普段のコミュニケーションにおいても、全てを言語化せず、言葉の裏にあるものを推し量ることが習慣化されている文化にいる日本人は、まず「言われたこと」はやる、その上で「言われていないこと(言葉の奥にあるもの)」をどこまで考えるか、となるのかなと。

そうなると、「言われていないこと(言葉の奥にあるもの)」も言語化してわかりやすくしたつもりが、「言われたこと」の量が増えてしまって、さらにその奥にあるものまで考えないといけないのか!?と困ってしまう人が出てきてしまいます。「約束事が増えると選手のプレーを縛ってしまう」という意見が出てくるのはこういったところからなのだろうと。

それに、一から十まで丁寧に説明すると「そんなことは分かってるのに。。」といった感じで、自分が半人前扱いされている、ナメられていると感じることもあると思います。「大人なんだから自分で考えろ」というスタンスの人がいるのは、こうした考え方を持っているからですよね。


また、言葉としては複数の選択肢を提供されているけど、その言葉の裏側には「普通はこっちを選ぶよね?」という思惑があるのではないかと推察して、純粋にその状況に合ったことを判断するのではなく、選択肢を提示した人が選んでほしいのはどれなのかで判断してしまうことがある、というケースもあるように思います。
「どっちでも良いよ」と言われたから自分の好きなほうを選んだのに「えー、そっちなの?」って言われることってあるじゃないですか。


欧米では「言ってもその通りやってくれないんだよ」みたいな話があったりしますが、もともとローコンテクスト文化では言葉で出来る限りのことを伝えて、それをやるかやらないかが受け手に与えられた裁量になるのではないかと思います。

ハイコンテクスト文化では、言われる事項が多くないので言われたことはやるとして、それに加えて言葉の裏側をどこまで見るかが受け手の裁量になるので、そもそもの感覚が違うのではないかと。「言ったことはきちんとやる」と言われる中で、課題として挙げられることが多いのは、言われたことはやるけど、それにそぐわない場面でもその通りにやってしまうこと、臨機応変に対応することが得意でない人が多い、ということになります。


そもそも、ハイコンテクスト文化はその組織、状況における文脈を知っていることが前提になります。今までの経験や知識があるから、最低限の情報で必要なものを推察することが出来るわけですが、それはそこにいる人の入れ替わりが少ない(誰かに一から説明する機会が少ない)からこそ可能でした。この文化の中で質を高めるにはどうしても時間がかかるので、現代のように移籍が活発で、人の入れ替わりによる文脈の共有を一から行う回数が多い状況と今までのやり方はマッチしません。

だからこそ、プレー原則や優先順位を明確にしてあげる(ローコンテクストな状況を作る)ことでお互いの文脈を共有し、選手が不必要な推察をしてしまうことによる判断ミスを減らすことが大切ではないかと思います。

ローコンテクストな状況を一時的にでも許容しなければいけないことに対して、野暮ったいとか、選手を半人前扱いして失礼だという感覚を持つのも理解できますが、このやり方で成果を上げ、これがみんなにとっての当たり前として文脈の中に組み込まれていけば「プレー原則の要否」なんていう議論は出てこなくなると思います。

自分たちにとって都合が良い方法を持っておくことは大切ですが、その方法の特性と今の状況に照らし合わせて、柔軟にやりくりできると良いですね。


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