学ぶ文化はどこへ消えた?
今季の開幕に向けてこんなことを書きましたが、残念ながら「学ぶ文化」というものは定着せず、結果が出ない中で昨季のやり形に近いところへ戻しながらヘグモ体制は終わりました。ピッチ内を見ると、主に保持で選手個々の成長が見えていて、そういったところを僕はポジティブに捉えていたものの、ヘグモさんの更迭が発表される少し前から現場ではあまりヘグモさんたちのことを好意的に受け入れられていないような言葉が見えてきていました。
ヘグモさんの招聘にあたっては、2023年にスコルジャさんが「私の人生において仕事と家族の優先順位を変えるべき時」ということで自ら退任することを決断したということもありますが、5月にACL決勝があり、単純に個人の力でぶつかった時には分が悪いであろうアルヒラルに如何に勝つかというところから強固な4-4-2の守備組織の構築が優先され、それ以降は過密日程だったこともあって保持でのチーム全体の改善がなかなか出来なかったという課題の解決を求めたという流れがあったと思います。
そして、ヘグモさんの就任会見では西野TD(当時)との間で「クラブのこと、クラブのミッション、どのようなサッカーをしたいか、そのための文化の作り方」といったところで分かり合えたことが話されており、ヘグモさんが就任会見で口にした「強い、学ぶ文化」というものは必ずしもヘグモさんが持ち出したということではなく、フットボール本部とヘグモさんとの間でお互いに認識されていたことだったように見えます。
個人的に、この「学ぶ文化」という言葉、方向性については好意的に捉えていました。というのも、2022年にジョアンを招聘し、当時既にJ1通算500試合出場というキャリアを持つ西川に対しても「最初の一言が、『自分のやり方を1回リセットしてくれ』」だったように、浦和のゴールキーパーたちが「学ぶ文化」を実践し、大きな成長をしているのだから、フィールドプレーヤーもこの流れにのってチーム内のスタンダードのレベルを上げて欲しいという思いがあったからです。
そして、2023年が保持でのチームとしての戦術が薄かったことで、より「個人で出来ること」、つまりは個人戦術の薄さが露呈していて、相手にボールを持たされた時には特に手詰まり感がありました。その中でシーズンのクライマックスにあったCWCでのマンチェスターシティ戦で、彼ら1人1人の個人戦術の分厚さ、フットボールの原理原則に基づいた認知、判断、実行/技術のレベルの高さを体感し、そこへ向かっていくべきだという刺激がこの「学ぶ文化」を後押ししてくれると感じていました。
しかし、2024年は開幕から監督更迭までチームの成績が上向くという時期は訪れませんでした。選手個々を見れば技術的に向上しているように見える回数が増えてきたにも関わらず、26試合で9勝8分9敗という成績で、連勝は5月の横浜FM→新潟→京都の3連勝と6月末の名古屋→磐田の2連勝に留まり、内容的には良かった試合がG大阪戦、町田戦、神戸戦など幾つもあったもののに結果には結びつきませんでした。監督更迭後に堀之内SDから監督の評価について、成績、スタイルの浸透、マネジメントの3つの視点を持っていることが話されましたが、成績の視点から見た時に物足りない数字になっていたことについては理解できます。
監督という職業の性質上、結果が出ない時に首を切られることは仕方がないものの、監督の首を切れば今結果が出ていない要因を排除できるという簡単なものではありませんし、結果が出ない原因が監督だけにあったとも思いません。
開幕前に僕が夢見ていた「学ぶ文化」はどこへ、どのようにして消えてしまったのでしょうか。
今季なかなか勝利が増やせなかった要因で考えられることとして、非保持でスタイル変更した割にそこへの対処が遅かったこと、序盤から負傷離脱者が相次いだことでヘグモさんが大切にしたかった選手同士の関係性の構築が遅れたことが考えられます。
非保持への対処の遅さについては、ヘグモさん自身も「基本的にどのチームに行ってもまずは守備から始めます。そこで堅固なプラットフォームを作ります」としていながらも、「フットボール本部からのオーダーでより攻撃のトレーニングに時間を割くことになっていた」と話しています。
堀之内SDの会見でも「今シーズンに関しては昨年なかなか点が取れなかった事実もあるので、そこを重点的に改善してほしい、というオーダーはもちろん出していました。そこに関してはクラブとマティアス前監督の合意があった上で進めていた内容ではあります」と話していたことから、この認識は両者で合致しているはずです。
ただ、ここで両者の言葉の上での合致はあったものの、お互いのコミュニケーションの前提を踏まえたものだったのかには疑問があります。日本に長く住んだことのある人が経験していることの1つに「言葉を額面通り受け取るのではなくその奥にある相手の思いも含めて理解することの必要性」があると思います。いわゆるハイコンテクスト文化である日本文化は思ったことを全て言葉にするとは限りません。奥ゆかしさという美徳の感覚があり、直接的な表現や要求は無粋な訳です。
もしかすると、フットボール本部の「昨年なかなか点が取れなかった事実もあるので、そこを重点的に改善してほしい」という言葉の奥には「そうは言っても攻撃に全振りしたら成績が出なくなる可能性が高いから自分で上手くバランスを取りながらで頼むね」という思いがあったかもしれません。成績が監督への評価の視点として最初に話されるのであれば、成績を度外視したチーム強化を許容することは無いと思いますし、「この守備をベースに」という言葉にそうした思惑が含まれていた可能性は高いと思います。
普段からコミュニケーションを取っていたと話していますが、堀之内さんが「最近守備どんな感じ?」と質問することが「守備を何とかして欲しい」という意味合いだったとしても、ヘグモさんからすると質問されただけと認識しているということだってあり得ます。これはどちらが良い悪いではなく、お互いの会話のスキーマが違うというお話なので、そういう前提の違いはどれくらいお互いに考慮できていましたか?という疑問です。
スコルジャさんは昨年の開幕前のキャンプの段階でトレーニングの集合時間の伝え方を変えたり(「15分前集合」と言ったら、選手たちが15分前の15分前(30分前)に集合していたので撤回)、開幕2試合目の後半からJリーグの傾向や日本人選手の指示の受け取り方の傾向を把握して方針転換したりといった具合に、自分で自分の感覚と周りの反応の違いに気付き、すぐに適応できる柔軟さに長けた人だと思います。
フットボール本部側はそういう経験からヘグモさんにも同様の振る舞いを期待しすぎていたかもしれませんし、そこのズレに対するすり合わせがされていたのかが怪しいです。すり合わせがきちんとされていれば「守備をもう一度強化し直す」という現場のアクションが6月末の名古屋戦や7月末の中断期間を待たずにもっと早く行われていても良かったのではないかと思います。
ただ、ヘグモさんの会見にもあったように、離脱者が多くメンバーが固定できなかったことで非保持のアクションの整理をしにくかったという点はあったと思いますし、そこは中断期間中にTwitter(旧X)のスペースで話したことがありました。
負傷離脱者が相次いだことについては、離脱の理由が大久保のような試合中の相手との接触よりも、筋肉系のトラブルが試合中、トレーニング中それぞれで起こったことの方が気になります。それについては5月末の定例会見で質問が出ています。
フィールドプレーヤーで怪我無く試合に出続けてられたのはマリウス、渡邊、敦樹、安居くらいで、それ以外の選手は大なり小なり体にトラブルを抱えて試合に出られない期間がありました。
トレーニングの強度については実際に自分で見た訳ではないですし、具体的な指標を知っている訳でもないので妥当なものだったのか、強度を上げすぎていたのかは僕には分かりません。ただ、少なからず多く離脱者が出たということは選手たちの現状よりも負荷が高すぎていて、もう少し緩やかに強度を上げていくことが必要だったのかもしれません。緩やかにしたペースにしたことで今シーズンの間に求めるレベルまで到達できるのかという別の問題も出てくるので塩梅の難しい話ですが。
また、離脱者が多いチームのあるあるとして、メンバーを代えられないので同じ選手に負荷が偏ってコンディションが下がってしまい、それに代わる選手を入れるためには、回復し始めてきているものの万全には戻せていないという状態の選手を起用せざるを得なくなる、それによって元々出ていた選手も復帰しかけていた選手も共倒れでコンディションが上がらないという負のスパイラルがあって、それが今季前半戦の浦和にも起こっていたように思います。2022年の開幕当初にチーム内でコロナパンデミックが発生し、起用できる選手が限られた状態でスタートした時も似たような状況になっていましたね。
監督としては結果が出ていない上に、早く代えの選手が欲しいのでメディカルスタッフへ圧力をかけたくなりますし、メディカルスタッフ側からすれば今の状態でプレーさせたらすぐに悪くなることが目に見えているのでそれを避けたくなるという対立構造になり、そこの関係性が良化することはほぼ見込めません。
浦研プラスでの島崎さん×沖永さんのトーク動画では「スコルジャさんはスタッフに対する細やかな気配りがあったのに、、」という裏方の声に触れられていましたが、(有料版の方での話題なので細かい引用は避けますが)ヘグモさんがもともとそういう性格だったのか、こういう状況がヘグモさんをそうさせたのかの判別は難しいところです。
さらに、戦術の部分に於いてもすれ違いがあったように見えます。ビルドアップ時に出来るだけお互いの距離を取ったところからスタートすることでボール保持者の周りにはスペースやゲート(相手選手同士の間)に自らボールを運べる状況を作り、それをボールを持った選手が順番に行いながら相手を動かしていく、それによって受け手の負荷を下げ続けていくという部分へ強くフォーカスするヘグモさんたちのスタンスです。一方で、町田戦の後の小泉のコメントが印象的ですが、ボールの受け手が立ち位置を調整してボールを引き出すこと、選手が近接することで出来るだけボールを早く動かして突破を図ること、という部分へフォーカスしてきた経験の多い選手たちのスタンスだったのではないかと思います。
こうしたすれ違いが両者の間にあって、そこの溝をお互いに埋められなかったように見えました。勿論、すべての選手とヘグモさんたちの間に溝があったとは思いませんが。
4-1-2-3という並び方は出来るだけピッチ上に均等に味方選手を配置できる、お互いに一定の距離を保てるので自分でボールを運ぶこともパスをすることも選べるというどんなスタイルのフットボールにも適用できる普遍的な利点があります。一方で、4-1-2-3という配置は最も一般的である4-4-2の守備ブロックに対して受け手になる選手(ボールを持っていない選手)が所定の配置についた段階で相手に捕まりにくい(相手に2択を突き付けやすい)ポジションを取れるという利点もあります。
前者の利点はフットボールの原理原則というかボール保持者が出来るだけ困らないようにプレーをするためのベースにあるもので、後者は「ポジショナルプレー」という言葉の定着もあって相手を攻略するためのツールとして意識されやすいものだと思いますが、同じ4-1-2-3についての話をするときもヘグモさんは前者、選手たちは後者を前提にしたコミュニケーションがされていたのかもしれません。
選手たちからすると、それまでの自分たちの前提とは違う要求をされ続けることにストレスを感じるのは想像できますし、ましてやそれで勝てていないのであればその要求が正しいのかという疑問が出てきて、正面からその要求に応えようとする意欲が落ちていくことも想像できます。3月、4月の段階では「去年のような守備的なやり方にはしたくない」ということから今まで慣れていたものとは違うけど要求されていることに対してトライしていきたいという言葉が選手たちのコメントでも出ていたので、結果の引力の大きさを改めて感じた訳ですが。
ヘグモさんたちがフォーカスしていた部分こそ昨季露呈したボール保持者の個人戦術の薄さであり、それはフットボールという競技の特性から導かれる普遍的なアクションだと僕は考えています。そして、実際にプレーしている選手たちも個人戦術というベースに、配置や噛み合わせ、矢印の方向性の統率といったチーム戦術が乗っかっているという階層のようなイメージを持っているのかなと考えていました。
ただ、僕はプレー経験がなく、後追いで体系的にフットボールを捉えてきたので論理面からフットボールを理解しようとしてきましたが、選手たちは子どもの頃から体感的にフットボールを捉えてきているので、プレー原則の階層といったことを意識する必要性を感じることが無かったのかもしれないですし、そもそもあるのかどうかすら分かりません。
少なくとも町田戦やその後のコメントから見えてきたことは、選手たちがプレーする時の判断指標のほぼすべてが「指導者が何を求めるか」だったのかなと思いますし、それこそが昨年退任が決まった後のスコルジャさんも含め、今まで多くの外国人指導者たちが話してきた「日本の選手は細かい指示を求める傾向にある」という言葉の正体なのかなと思いました。
フットボール本部、選手、スタッフが昨年のスコルジャさんの良かったところ、そして、ヘグモさんたちも含めたチームのほとんどの人たちが自分たちのそれまで培ってきた経験という「古いチーズ」に固執した結果、監督更迭という結末を迎えてしまったのだろうと思います。
監督が日本での生活経験がないことは分かっていたことであり、これまで浦和に限らず、さらにはフットボールやスポーツに限らず、多くの外国人が日本のコミュニケーション文化に馴染めなかった事例があったにもかかわらず、そこを上手く調整できなかったフットボール本部の落ち度はあったと思います。西野TDがその点は海外の居住経験があってその辺りの感度が高かったかもしれないですし、そういう人がクラブを離れたことの影響があったのかもしれません。コミュニケーションの問題は属人的な部分でもあるので、堀之内SDにとっては難しかったのかもしれません。
選手たちも最初に持っていた違和感やコミュニケーションのズレに対して、「今年はこれでやるんだ!」と突き進む動きを緩めてしまったこと、自分たちとは違う前提の存在をかぎつけられなかったことは、結果の引力があったとは言え、僕は残念に思います。
自分たちの国へ外から何かが入ってくる時に自分たちの居心地の良さを変えられることへ抵抗してしまうのはよくある話です。ただ、自分たちが変化を求め、学ぶ文化を作るために外から来てもらうのであれば自分たちの居心地の良さが変わること、来てもらった人も含めて居心地の良い場所を作り直すという努力を怠ってはいけません。
ただ、ヘグモさんたちにしても、日本の選手やスタッフたちが自分たちと違うコミュニケーション体系であることを想像できなかったのか、どこかでコミュニケーションの齟齬が発生していることに気付けなかったのかといった部分については、もっと上手くやれなかったのだろうかとも思います。フットボール本部にそう言われたからと言って、結果という「新しいチーズ」を見せられなければ相手に変化を促すことも難しくなります。
さらに、「関係性」という言葉を持ち出すからには、相手にだけ変わることを求めるのは横柄ですし、お互いに少なからず変化しながら作り上げていくものが「関係性」であるはずが、それを伝わるように体現できなかったことで周りからの信頼を勝ち取れなかったのかもしれない、マネジメントの面での評価を得られなかったのかもしれないというのは勿体なかったと思います。
スコルジャさんの再就任はチームからすると「あの時の良かった人」という感覚であり、自分たちを理解してくれる人が来たという感覚になるかもしれません。就任会見では早速スコルジャさんらしい周りへの配慮が垣間見える言葉が発信されていたことが余計にその感覚を増長させると思います。
ただ、就任会見の中でスコルジャさんが「現時点で、1年前とは違ったチームだと言えると思います。チーム内のバランスも昨年とは変わり、より攻撃的なチームになっています。そういった攻と守のバランスが少し変わっていると思いますが、素晴らしい試合をプレーしている姿も見ました。ペア マティアス ヘグモ前監督が残していった哲学も取り入れながらやっていきたいと思っています。特に攻撃面で、非常に興味深いことも行ってきています。」と話しているように、昨年と同じような要求をそのままするかというと、そうでは無いと思います。
「最初は、あまり美しいゲームは見せられないかもしれませんが」と前置きしていたり、2021/22シーズンのレフポズナンと2023シーズンの浦和の保持が全く違うスタンスだったりすることから、スコルジャさんは理想を追いかけるよりも、その時にいる選手たちが今できることは何かにフォーカスしながら結果を出すことに長けている監督であると言えます。
ただ、レフポズナンではビルドアップは基本的に4バックが最後尾にいる状態からスタートしてCHの列落ちはほとんどありませんでした。SBが手前からスタートすること、最後尾の選手たちが前にスペースがあれば自分でボールを運ぶ場合もあることなどはヘグモさんが選手たちに求めていたことと共通しています。昨季、「岩尾を落として3枚で回せ」という指示があったのはその時にいたSBやCHのキャラクターから考えた時に選手たちがやれることがそれだったという話で、今回スコルジャさんが結果を出せると思った方法が選手たちにとって受け入れにくい要求になる可能性もあります。
浦和レッズは国内でさえ結果を出せば良いというスタンスのクラブではありません。それは、そこに針を振って良いのかは難しいところですが、クラブが2025年のCWCを大きなターゲットにしていることからも窺えます。さらに、浦和レッズの選手理念には「浦和レッズの選手には、第一にサッカーというスポーツを極め、勝利を追求する姿勢、生き方が求められます。」という言葉が掲げられています。クラブ理念の中にある今後の25年に向けたビジョンには「あらゆる分野でアジアナンバー1を目指す」という言葉が掲げられています。
国内で最適化された方法をやっていれば良いというスタンスではアジアナンバー1を目指すことは難しいと思いますし、それがサッカーというスポーツを極める姿勢とは言えません。昨年CWCで感じた悔しさとその中で見えた光は、今のままではいけない、変化して、成長して、彼らに近づいていけるようにならないといけない、そういう感情を喚起させるものだったのではないでしょうか。
そこにあると思っていた今回の「学ぶ文化」はお互いのすれ違い、変化への気づきの遅さによって消えてしまったのだろうと思います。優秀な指導者が魔法を使って選手を優れた選手へ作り変えることはありません。指導者だけの力で選手が成長できる文化や環境を作り出すことはありません。そこには必ず選手自身やチームに関わる人たちも含めたそれぞれの努力、変化が必要です。
果たして選手たちは、フットボール本部は、そして僕たちは、ランニングシューズを履いてチーズ・ステーションCから出て行くことが出来るでしょうか。新しいチーズを見つけてもランニングシューズを首にかけておけるでしょうか。そうした姿勢を持つ人が揃ったときに僕らは2006年以来のリーグ優勝を獲れるのかもしれません。
今回はこの辺で。お付き合いいただきありがとうございました。