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子育てトークに滲み出る、ゆるやかなジェンダーバイアス

こんにちは。スタートアップの創業経営をしながら、コロナの真っ只中に生まれた双子を育てているかきはらです。

双子育児はなかなか大変ですが、出産100組に1組程度というその低い確率にもかかわらず、その大変さは比較的認知されているらしく、医療関係者からはもちろん、行政からも、それこそ街ゆく人からも、色んなところで声をかけてもらえます。

「双子って本当に大変でしょう」
「頑張ってくださいね」

こういう声って、少しずつでも力になるので、本当にありがたい限りです。

そうやって、声をかけてもらう中で、気づいたことがあります。それは、声をかけたりアドバイスをくれる人のほぼすべてが、妻「だけ」を見て会話をしている、ということです。夫である僕の方にはアイコンタクト一切なし。

こう偏ってると、育児参加してないと思われてるのかな、と勘ぐりたくなります。誰も直接そう言ったことはないので、もしかしたら、考え過ぎかもしれませんが。まあ、そもそも、声をかけてきてくれるのがほとんど女性のみなので、最初からバイアスがかかっているところはあります。男性はそういう声がけ、全然しないよね、と違和感を感じるべき話かもしれません。

似たようなことは、子育て用品を探しているときにも感じることがあります。

「100人中94人のママが安心と答えました!」
「ママのためを思って設計しました」

とかって書いてある。パパはどうするのよ。

アイコンタクトの欠如も、ママだけに向けて書かれた子育て用品の売り文句も、悪意がないことはもちろん、合理的である、とすら思います。うちも、物理的な負荷の面でも、意思決定の主導権の面でも、妻の子育て負担のほうが重いです。世の中の大多数の子育て家庭でそうだと思います。その事実は、日本語そのものにも現れてしまっています。例えば、さっきのコピーの代わりに

「100人中94人の親が安心と答えました!」

と書いても、何かしっくりきませんよね。「ママ」という言葉に、「主たる育児の担い手」というニュアンスが内包されているのですね。「親」にはそれがない。これって大きな欠陥ですよね。

育児参加の偏りをへらすには、育休取得の厳格化など、制度面の手当が有効なのは間違いありません。と同時に、もっと微妙な、無意識の振る舞いや言葉遣いの積み重ねが、育児参加に関する性差を、世代から世代へ再生産する一因になってやしないだろうかと、考えてしまいます。

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