自然保護と「もったいない」 循環可能な地球環境ができない根本的倒錯問題。
日本語の「もったいない」について。
「もったいない」とという日本語について、英國や国際的な理解を促すには、歴上に降りそそいできた太陽エネルギーの転換と循環を、人間が農業や工業などで生産活動しながら進めてきた結果として、日常生活で消費する全てがあります。
埋蔵資源も原始地球誕生の歴史時代から太陽に関係して準備されてきたものですし、魚海藻植物など海洋資源も同様です。
陸上の気体動植物などと、海水蒸発から雲になり雨水として水の循環機構ができているのも同様です。
これら一切を自然からの恵みとして感謝し、謙虚な気持ちでそこに有る自然循環のシステムに畏敬のきもちを持って、対応する思想や生活習慣として日本語の「もったいない」という言葉ができています。
もちろん「もったいない」と言葉は、各自の個人的な理解の範囲でそれぞれが使っていますが、それら全員と全体、つまり過去と現代の日本人たちと未来の日本人も含めて包括した概念としてあるのが、上に示した意味内容として「もったいない」という日本語があるのです。
このような言葉が示す概念は、普遍的な意味内容を持っていますので、エンゲルスもつぎのように言っています。
「労働している人間は、単に現在の太陽熱の固定者であるだけでなく、過去の太陽熱の甚だしい浪費者である。エネルギーの貯蔵物である石炭や鉱石や森林などの乱費において、我々が何をやっているか、僕より君のほうがよく知っている。
(エンゲルスからマルクスへの書簡1882年12月19日)
このような様々な自然物資の循環関係があり、その上に人間生活と生産・産業システム(国家や世界各国)もあるという、普遍的な理解が現代世界人に無いから、つまり倒錯しているから、あるいは非常識だから、資本主義的な自然物資の浪費が進んでいるのですし、「循環可能な世界をどう建設するのか?」などという問題や命題がていきされたり、マコトシヤカに議論しあっているのです。
おそらくこのノートでも議論百出しているでしょうが、以上に述べた普遍原理とそれを壊してきたモノタチについて、明確にしているものはあるのでしょうか?マスコミや学術書も含めたメデイアに、それはありますか?
これではいくら「循環可能な世界をどう建設するのか?」と命題を立てても楽しい話し合いができるだけで、問題解決はしません。
解決しませんが現在がそうあるように、大被害が出てきて、悲惨な経験を積み重ねて、上の普遍原理とそれを阻むものをハッキリ言う者が出てきて、なおかつ徐々に、何百年もかけて解決していくかもしれませんが、地球自然がその何百年間に耐えうるか、いまの気候変動の進捗速度や世界中の人々の倒錯の深さの事実からして、ほぼ不可能と言えるでしょう。
マルクス・エンゲルスが地球的自然(哲学的には宇宙を含めた意味の「世界」)と人間との関係を深く検討していたことを示す資料として、以下を参考にしてください。現代人の多くがいう自然保護や持続可能性などなどで語られている次元を超えて、それらの諸問題と課題の根底に有る理論的問題(専門家的細部議論)が論じられている。
mhttps://note.com/inoh_t/n/n234cb3c5867a
イギリスのケンブリッジ大学生に日本の印象について聞いてみた結果?https://www.youtube.com/watch?v=A2Fi5ZDqVnM
参照 私のこの記事と一緒に読んで頂くと、あなたの頭の中がキレイに整理されるはずです。https://note.com/y1117259k/n/n10f6371eeb2e