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発達障害の子供が不幸になるのは、定型発達という障害を持った親のせい。

我が子等が小学校に入学し、毎日の生活状況を見ているのが面白くてしょうがない。
何人かの子等に、明らかなADHDの行動パターンが見られるからだ。

大事なことをすぐ忘れる、明らかに遅刻している時刻なのに気にせずご飯を食べている、同じことを反復練習するのが大嫌い、眼鏡や財布などかなり大事な物でもなくしてしまう、テストで細かなミスが目立つ、などなど・・・。

入学早々重いからという理由でランドセルをやめてリュックを背負い始め、参観日に学校へ行ってみるとクラスで一人だけリュックを使用しているのをみて、全く周囲に同調していない様子にニヤニヤしてしまうのである。

私自身ADHDの傾向があることを自認しており、子供たちにもその傾向が遺伝している可能性があるのではと思っていた。
親がADHDの場合子供がADHAになる確率は5倍から10倍高くなるという情報があるくらいだ。

自身も子供のころからとにかく物忘れがひどく、細かなミスと遺失物に悩まされてきた。
なぜそのような行動をとるのかについて問われても、「そういうものである」としか言えず、脳の構造のためなのか行動パターンがそのようになっているとしか答えようがない。
そのため、子供たちがなぜそのような行動をとるのかについても理解ができるので、忘れないようにしなさいとか、落ち着きなさいとか、漠然と行動を制限するような指示は意味がないと思っている。

それよりも、物忘れが発生するのはたいていなにかに夢中になっているときなので、行動の優先順位を前もってきめておき、定期的に過去の事柄をチェックする行動を訓練したり、無くしてはならない物については保管や携帯の方法をパターン化しておき、意識せずともなくすことがないような手段をあらかじめ構築しておくなど、自分の経験に基づいた具体的な行動方法について教えてあげることが大事だとおもっている。
そして、実際にそのような方法で不具合を感じることなく生活できている実例を知っているのである。
親がADHDであれば、子供がADHDであっても行動パターンが理解できるので、苦労はないと思う。

問題なのは親がニューロティピカル(定型発達)で子供がADHDなどの発達障害と言われる状況であった場合である。

アメリカの自閉症協会のニューロティピカル(定型発達)に関する定義を参考に、以下に記載してみたので読んでいただきたい。

・ニューロティピカルは全面的な発達をし、おそらく出生した頃から存在する。
・非常に奇妙な方法で世界を見ます。時として自分の都合によって真実をゆがめて嘘をつきます。
・社会的地位と認知のために生涯争ったり、自分の欲のために他者を罠にかけたりします。
・テレビやコマーシャルなどを称賛し、流行を模倣します。
・特徴的なコミュニケーションスタイルを持ち、はっきり伝え合うより暗黙の了解でモノを言う傾向がある。しかし、それはしばしば伝達不良に終わります。
・ニューロティピカル症候群は社会的懸念へののめり込み、妄想や強迫観念に特徴付けられる、神経性生物学上の障害です。
・自閉症スペクトラムを持つ人と比較して、非常に高い発生率を持ち、悲劇的にも1万人に対して9624人と言われます。

いかがであろうか、自分たちが健常者だと思っている大多数の人たちのことであるが、嫉妬や虚言、既得権益への執着や差別やいじめへの原因となる行動パターンをおおむね含んでいるようにみえる。

私の様なADHDの人間からすると、このような行動パターンに対しては、異常で障害をもっているような違和感をもってしまうということだ。
さらに問題なのは、このような人間が世の中の大多数を占めているという事だ。

それはつまり、現行の社会の様々なシステムの在り方が、このような障害をもった人間にあわせて作られているという事でもある。
特に現行の日本の教育のシステムについては、ADHDやASD(自閉症スペクトラム)の人間に対しては全くと言って良い程機能していないと言わざるを得ない。

決められた時間に行動し、決められた項目を決められた量だけ処理する。
そこから逸脱する場合にはペナルティが加えられるという価値観。
周囲の個体と同質であることを目指し、そうでない場合は疎外される恐怖を感じるなど、おおよそ理解ができるものではない。

この行動価値観を、養育する親が何も知らない子供に押し付けることを考えると、毎度ながら気分が悪くなってくる。
例えるなら、犬か猫をどちらかの個体にあわせてその性格を矯正するようなものだ。

ADHDにはADHDの人間のための教育方法というものがあると断言する。
そしてそれは、定型発達の人間には理解できない、何故なら定型発達に合った教育方法を我々ADHDは理解できないからだ。

ADHDを矯正しようと思ってはいけない、投薬治療などする必要はない、それは障害のある多数派の人間が作り上げた勝手な妄想である。

古今東西、この世の天才と言われる人間は何らかの発達障害を持っているため、自信を持ってほしい。
むしろ、定型発達型の天才というものにとんと出会ったことがないので、存在するのであれば教えてほしいくらいだ。

願わくば、自身が発達障害で親が定型発達のために苦しんでいる人がいるならば、同じ障害を持つ天才と何らかの方法でコンタクトをとり、その才能を開花させる方法について教えてもらえる世の中が来ることを切に願う。

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