物事の許す許さない問題は時折議論される 学校では、謝ったら許すのが当たり前 世間では、謝っても許されないことばかり じゃあどこから許されてどこから許されないことなのか 失敗はいつでも取り返せる、なんて 過ちは償える、なんて 綺麗事なのか はたまた本当か。 悪に手を染めた人が 更生して社会貢献なんてしてると美談にされる しかしもともと道を逸れず 社会貢献してる人は日の目を見ないことが多い 真面目なやつがバカをみてる現状。 さて、 許されて生きる人もいれば
こどもの頃は美しくて甘いもののように感じていた雨粒も、おとなになるにつれて汚くて避けたいものになる。 ぽつぽつ ぽつぽつぽつ 雨粒の綺麗さを忘れたおとなが汚いのか 雨粒の汚さを知らないこどもが罪なのか ………。 ただ言えるのは、雨が降ると 身体はだるいし 雨音は美しいし 服は濡れるし 傘の中で響く声は綺麗だし もしかしたら、雨でスリップした車がどこかの誰かの大切な人を殺すかもしれないし あわよくば、どこかの誰かの相合傘の中で儚い恋がはじまるかもしれないし
これを読んでいるそこの君 君は健康か?不健康か? 不健康と答えた君はわかっているのわかっていないのかはさておき、素晴らしいと思う。 健康と答えた君は素晴らしく愚かだと思う。 WHOによると 健康とは 「肉体的、精神的、社会的に全てが満たされた状態」 であるらしい。 世界の健康の定義だ。 さて、健康と答えた君、もう一度問おう 君は健康か?
生きることは難しい 息をすることは苦しい みんな当たり前の顔をして過ごしているが 本当は そう思ってる 友達の前で笑ってるあの子も SNSでは 暗いことばかり 日昼元気なあの人も 家に帰れば屍同然。 最初の投稿にしては 暗い内容だが でもそれが今の日常だ 普通だ。 幸せが当たり前の 当たり前が幸せの時代は いつの間にか終わっていたのだ。 不幸せがアクセサリーで 辛さを比べあっては泥仕合をしている いつの間にか 本当にいつの間にか 世界はそうなっていた 何年も